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ゼロから始める伊賀の米づくり〜新米兼業農家の記録〜

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2020年1月、三重県伊賀市の父の実家の田を継ぐことになった男の米作り1年目からの記録です。京都⇄伊賀の二拠点生活を送っている筆者が、家族の思い、地域の信頼に応えるべく、自然のま…
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#田植え

ゼロから始める伊賀の米づくり54:これまでの経験や積み重ねを活かし、5年目の田植えに臨む

2020年1月、父から実家の米作りを継いで5年目の田植えシーズンがやってきました。 家族経営の兼業米農家という形式上、口伝や暗黙知で伝えられてきた業務フローやプロセス。それらをきちんと見える化し、共有知として遺していこうと始めた記録も、今回で54回目です。 前回は、田んぼに水を引き込み、代掻き作業を行った際の気づきについてまとめました。 今回は、田植え作業の際に気づいたことについてまとめたいと思います。 昨年の教訓から今回に活かしたこと苗の植付本数の設定 田植えの際

ゼロから始める伊賀の米づくり45:父から継いで4年目の田植えを終えて

3年前、父から継いで始めた実家の米づくりもいよいよ4年目の田植えの日になりました。 先日、代掻きを行なって土と水を馴染ませ、平らにした田んぼは以下のようになっています。 天気も申し分なく、早朝から準備に取り掛かり、田植えを実施することにしました。 田植えの当日の作業まずは、JAで育ててくれている苗を取りに向かいます。 JAの育苗センターでは大きなビニールハウスで苗を育てており、これらを受け取って田植えを行います。 農家の中には自前の苗を育てて田植えを行う家もあります

ゼロから始める伊賀の米づくり31:3年目の田植えの終わりと、家族の新しい形の始まり

前回の記録では、田植え直前に田んぼに水を入れ、水と土を耕して絡ませる代掻きについてまとめました。 今回は、前回までの準備を経て、満を持しての田植えとなります。 田植えのプロセスとしては、JAの育苗センターに苗を取りに行き、田植え機に積んで植える。 シンプルにまとめれば、このような流れです。 今年の初め1月中に苗をJAに注文しておくことで、各農家がその苗を植えることで田植えを行うことができます。 中には、自宅で種籾から苗を育て、そして田植えを行う農家(強者)もいますが

ゼロから始める伊賀の米づくり30:田植え直前、代掻き

前回の記録では、田んぼに水を引き込む水取りについてまとめていました。 今回の記録は、その続きとなる。代掻きについての記録となります。 今年はやや曇り空の中での代掻きスタートとなりましたが、近所の他の田んぼでも続々とトラクターが稼働し始めています。 我が家の代掻きでも、トラクターに活躍してもらいます。 祖父の使っていた、今となってはだいぶ小型のトラクター ですが、まだまだ現役で頑張ってもらっています。 代掻きの場合、普段の耕起と異なる点は、後方のロータリー部分の設定変更

ゼロから始める伊賀の米づくり29:田植え直前、水取り

いよいよ5月連休ですね。 毎年、この時期は我が家は田植え週間となります。 田植えのためには、まず、田んぼに水を入れなければなりません。 今回は、その「水取り」の記録です。 快晴の空の下、耕された田んぼの土が乾燥し、やや白味がかった色になっています。 春になると、雨と晴れの日が代わる代わる訪れ、また、温度が高くなってくるため雑草が増えてきます。 田んぼの中に生える雑草は、稲にとっては土の栄養を取り合う競合相手になってしまいます。 また、収穫時には稲と同様に大きく成長し

ゼロから始める伊賀の米づくり28:畦塗りをして田植えに備える

農閑期である冬から春にかけては、もっぱら長靴を履いて渇いた田んぼの中へ入り、石拾いをしていました。 田んぼの隅々まで石を拾いながら歩くことで、大地と一体化するような、田んぼの土がどのような状態で、何を訴えているのか、というようなことにも同調できるような心境になってきました。 やがて、早朝に霜の降りる冬から春になってくると、雑草や生き物たちにも変化が現れてきます。 冬の間から生えてきている仏の座(ホトケノザ)は茶色から徐々に瑞々しい緑色に染まり始め、テントウムシも活動が始

ゼロから始める伊賀の米づくり19:田植えと、これからの協同体、発信する意味

天気予報によれば、今日をおいて他に無いという晴天の元、無事に田植えを始めることができました。 とはいえ、始まりもやや波乱含み。 田んぼの水を堰き止めている畦道がモグラによって穴を開けられており、隣の田んぼに染み出しているのです。 朝からせっせと土を穴に突っ込んで埋め、一仕事を終えてからようやくスタートしました。 今年で田植え機に乗るのは2年目ですが、身体は操作を覚えてくれていたようです。 始めはゆっくり最低速度で田んぼに入り、調子が出てきたら一気に加速します。 ただ

ゼロから始める実家の米づくり18:田植え前、最後の準備へ

例年5月連休に行う田植え。その田植えが迫ってくる4月末は準備が大詰めとなってきます。 まず、田んぼに水を引き込みます。地域の決めた日程に従い、順次近隣の人々は水取りを始めていきます。 この水取り。上流と下流の関係がある為、好きなタイミングで水を田んぼに入れて良いわけではありません。 昨年は、その件で近隣でちょっとしたトラブルもありました。 水路の保全、水の管理は一戸だけではままならないものです。だからこそ、地域ぐるみの役を設け、1ヶ月に一度程度の頻度で草刈り等の役が発

ゼロから始める伊賀の米づくり7:田んぼを疾走するライダー、現る!?

田植えを終えて1ヶ月ほど。ずいぶん、緑が鮮やかになってきました。 田植えを終えて1ヶ月と少し、6月後半から7月にかけて、実家のエリアでは田んぼの中干しの時期が始まります。 母の元へは、知り合いの地域のおっちゃんたちからこんなLINEも届くそうです。 「そろそろ、水を抜いて渇かす時期やな」 「中干しの時期やから、水を抜こう。地面がカラカラになって、ひび割れるまで渇かしなさい」 中干しとは?ではここで、中干しとは、なんでしょうか? 夏の暑い盛りに田んぼの水を抜いて、土

ゼロから始める伊賀の米づくり6:今、自分を取り巻くすべての人と環境に感謝を。

2日前には代掻きまでを終え、水を入れて均した田を落ち着かせる。 前日には、田植え機のメンテナンスを終え、いよいよ田植えの日である。 天気予報では昼過ぎから雨の予定。思えば、物心ついた頃から雨や土砂降りの中で田植えを手伝った経験は無かった。不思議と、晴れの日の思い出が多い。 とはいえ、雨が降るまでに3反(約3,000㎡)×2枚+0.5反の田の植付けを終えてしまわなければ、後始末も大変だ。 今年は、母、祖母、奥さんと自分の四人体制で取り掛かる。 朝7時に目を覚まし、まずは

ゼロから始める伊賀の米づくり5:田に水を入れる=地域の目に触れるということ

年が明けて2月以降、私は2週間に1度くらいのペースでトラクターに乗り、田を耕してきた。トラクターに乗って土を耕すことは、冬の間に生えてしまった雑草を土に埋め込んで肥料にしたり、地表と地中の土を鋤いて入れ替えることで、微生物の活動の活性化を促し、良い土壌づくりに繋がる。(いわゆる、『天地返し』の原理と同じである) そして、四月末、いよいよ田に水を引く『水取り』の時期がやってくるわけだが、水を引くとは、自分の家の田にとってどういう意味を持つのだろうか? 用水路は、当たり前では

ゼロから始める伊賀の米づくり4:百姓をするとは、地域の信頼を受け継ぐということ

「百姓をする(父から継いで米作りをする)」と決めてから、天気予報に敏感になりました。 数日後に雨の予報が出ていたある日、天気が良いうちに実家へ戻り、単身、トラクターを運転し、耕すことに決めると一路、伊賀市へ。 というのも、父の死後、実家の田を取り巻く様々な声を祖母や人伝に聞いていたのです。 『「お父さんが亡くなって大変でしょう?田んぼはどうするの?」って尋ねてきてくれるんや、近所の人は。私も年寄りやし、土地やら何やらをどうするとは、私からは、よう言えん。』 『俺は、勝

ゼロから始める伊賀の米づくり3:人の都合・天気の都合に折り合いを見出す

今年1月から毎週のように京都⇄実家を往復しつつ、百姓仕事に取り組んでいる。百姓仕事の性として、「天気の都合」というものがあるのだが…これがなかなかままならない。 『雨が降るやろ〜?そしたらトラクターを走らそうとしても嵌まり込んでしまうわけや〜。それに、土が乾燥していないと耕しても空気が入らん。長い間、晴れが続いて土が渇いたその時に鋤くわけや〜。』 とは、父の学生時代からの先輩であり、この地域ではほぼ唯一くらい自前の苗作りから米作りをしているシオちゃん(仮)の言葉である。シ

ゼロから始める伊賀の米づくり2:口伝(暗黙知)を見える化(形式知)する

今年初め。父に『これからは自分が田んぼ頑張っていくよ』と伝えて以来、京都を拠点にティールティール(ティール組織)と言うのと並行して、伊賀の実家の百姓仕事に精を出す日々。 『自分の父親について、手伝いながら覚えたもんだ』と父は言う。 『(頭でわかってても、現場で動けなきゃ意味は無いんだ)』と口でも態度でも示す父である。 あいにくと、自分は京都に出て仕事を始めてしまったため、常に実家に拠点を置きつつ仕事と農家を兼業してきた父や、祖父のようなスタイルで進めることは、現状では難し