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こんばんは。
わたしは日本という猿山から降り、海外で起業した一匹の猿だ🐒

先日のプロローグを発信したところ、
インパクトあるタイトルのおかげでありがたいことに反響をいただき、
シェアしていただいたり早く続編を読みたいとの声をいただいている。

流石兄さんが考えたタイトルである。

さて、今回シンガポールというダイバーシティの中に動物園を開園したわたしだが、周りの動物たちを紹介する前にまず、

"わたし"
という猿について説明をしておこうと思う。

属性 : 日本猿
生まれ : 青森県
体長 : 171cm
体重 : チンパンジーぐらい
すきな餌 : 日本酒とおつまみ、ワインとおつまみ
習性 : 群れない
趣味 : 引越し、起業

まず、属性と生まれについて話そうと思う。

生まれたのは青森県という場所である。
猿にぴったりの温泉が沢山ある。
魚介やりんごが有名な、本州最北端の県である。

日本猿以外の猿や他の動物に出身地を話すときは、
Very country side (すごく田舎)
とか、
Snowing place (雪が降る場所)
Nearby Hokkaido (北海道の近く)
これを良く伝える。

りんご、とか
ねぶた、とか
言ってみたことも過去にはあるのだが、
大体伝わらずに
へえ〜…
という空気感になるので
とりあえず"北海道"という巨大キーワードを使うのだ。

地元はどこ?と言われても
海外の猿や動物にはなかなか響かないことがほとんどなので、
申し訳ない雰囲気の時は、

あ、でも
ここに来る前は大阪に長く住んでて、
その前は東京にいたよ。
と付け加えておく。

そうしたらやっと知っている大都市の名前が出て来て、やっとのことで会話になり始める。

さて、話を戻すが
わたしは青森県出身とはいえ、
小学校は5回も転校していて
2年ぐらいは仙台に住んでいた。

今でも仙台に行くと落ち着くなあという感覚があったり、仲良い子たちがいたりする。
あと、"いぎなし"うまいものもある。


"転校生"
というポジションは今のわたしを創るひとつのファクターになっていると思う。

父親の職業柄わたしたちは転勤族だったわけであるが、兄弟はせっかく仲が良い友達ができても2年ほどで引っ越してしまうので、転勤がすごく嫌だったらしい。

わたしはといえば

  • 引っ越して場所が変わること

  • 人間関係が刷新されること

についてとても楽しんでいたと思う。

引っ越しはわたしにとって
言わば冒険だ。

引越した場所の家から学校までの通学路、
スーパーにどんな魚や野菜が売っているのか、
方言はどんな感じ?
ひとは優しい?シャイ?

など色々な違いがあるから
何回引越してもワクワクする。

大人になった今は、

この国・この地域にあるもの / ないものは何か?


をよく見るようになった。
それがビジネスになったりする。

引越しが当たり前だった幼少期なので、
1人で東京に移り住むのも
1人で海外に移り住むのも
わたしにとっては大したことではなかった。

国内と海外とを合わせると、20回ぐらいは引っ越しをしている。


自身の体長(身長)について話すと
171cmある。
なかなか大型のチンパンジーだ。
現代社会の中でZoomやSNSを使い知り合い、
関係性を構築して来た人たちとリアルでお会いすると、大概
"本物はこんなに大きかったんだ"
と言われる。
ほぼ、100発100中で言われる。


身長順に並ぶと中学までは大体1番後ろだった。
中3の時に今も親友である美人な猿が横浜という都会から転校して来た。それからはその子が176cmというメス猿にしては珍しい体長にて最後尾を死守するわけだが、
わたしたちはどこへ行っても

でかいでかい!!



言われて来た。
でも、地方にある日本のメス猿にしては本当にでかかったのである。

親友は中学の頃にはもうスカウトされていて
高校の時にはモデルとして活躍しており、地元の温泉に浸かるCMやパソコンスクールの宣伝のCMが流れていた。

わたしたちはでかいので、
どこへ行っても、
良いことをしても悪いことをしても
どうやっても目立ってしまう。
高校の時にはよく先生に怒られていて、なかなか学校に入れてもらえなかった。

その時のひとつのエピソードがある。

わたしは学校に自分がかわいいと思える制服で登校したかった。

だから

  • A高校のチェックのスカート

  • B中のネクタイを改造したもの

  • C高校のブレザー

  • D中の後輩からもらった学校かばん

  • E中のシャツ

  • Harutaの黒・茶のローファー気分によって使い分け

  • 靴下はとりあえずラルフのネイビーのハイソで、下校時はルーズソックスに履き替え

  • 髪はエクステ

というスタイルで登校していた。

想像に容易いと思うがもはやどこの高校の猿なのかもわからないため校門で追い出される。

自分にしては悪いことをしているつもりは全くなく、自分が居心地がよい組み合わせの制服で学校生活を楽しみたかっただけである。
強烈な拘りがあっただけで、
先生に迷惑を掛けようだとか
周りの生徒を威嚇したいだとか
反抗したいだとか
そういうつもりは全くなかった。

ただ、学校ではどうやっても目立ってしまうので
いつも悪い子の枠に入れられていた。

前職のスタートアップで母校の高校を訪問した時、

おめが〜、
苗字変わってらはんで気ぃつかねがったじゃ、
やんちゃだったから忘れるわげねえわ

と、当時いた先生たちに言われた。

転校生だったのもあるし、
強烈な拘りがあって
先生からみんなでひまわりを描きましょうと黄色い絵の具を渡されても
わたしは紫のグラデーションでバラを描きたいとゴネるほど、
幼少期からとんでもない変わり者だった。

"属性"の
"群れない"について話していこう。

わたしは生まれつき、
群れるのが苦手だ。
言い換えると群れることが出来ないのだ。


みんなでこれをやりましょう、
と言われると嫌悪感が沸々と湧いてくる。
その為、高校は修学旅行も行かなかった。(行けなかった)

ただ、相性の良い人は存在していて
すごくその人たちのことを大切にする。

一度海外に住んで日本に戻って渋谷の会社に就職した時、
会社の日本人と会話が全く出来なくなってしまったことがある。
趣味も、好きなことも、
価値観がほぼ合わなかった。

これ可愛いよね!この俳優さんめっちゃかっこいい!
と同じ年代の女性に言われてもそう思えないことが多く、そして日本のテレビも見ていないので若手俳優が同じ顔に見える。

本音で話してしまうと女子猿たちの仲間に入れないので、
気を使いまくっていたら、
全く言葉を発せられなくなった。

この時、

日本はトレンドを追っかけて
人並みのファッションで
同年代がすきなものをすきでないと
なんと生きづらい国なんだ、と感じた。

いわゆる一般的で常識的で

大半のひとの大多数の意見の方にいる、
"普通"でないといけないのだ。

半年後、その会社のディストリビューターになり再び海外に戻った。

今思うと、わたしは海外に出る前から
日本の猿山をひとりで降りていたのかも知れない。
連まないし、群れない。


これがわたしだ。
日本猿らしくなろうなろうと、
いわゆる"普通"になれるよう頑張ってはみたが
わたしには無理だった。

何をやっても
どうしてあなただけみんなと一緒にできないの?
と言われてしまう。

わたしは海外というダイバーシティに出てみた。
自分らしくいられる場所に
自分という個性が1番輝ける場所に自分を置きたいと思った。

わたしはシンガポールから来た自分の仕事のオファーを受けることに決め、
旦那は日本での仕事を辞め、
アンパンマンのぬいぐるみと息子、
さらにはわたしの母親も連れて
家族全員で日本という猿山を降りて
シンガポールというジャングルにやってきた。



つづく。



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