見出し画像

【ユカシカド 社員インタビュー #4】スタートアップにチャレンジを決めたアートディレクターの想い

誰でも手軽に栄養改善ができる世界を目指して、様々なプロダクト・サービスで実現しているユカシカドには、様々なスキルやバックグラウンドを持つメンバーが集まっています。
社員インタビュー企画では、メンバーたちがどのような想いでユカシカドにジョインし、日々どのような想いで働き、事業や組織の成長に携わっているかをお届けしていきます。

西島 りょう Nishijima Ryo
大阪府出身。武蔵野美術大学を卒業後、大手制作会社・総合広告会社・飲食系事業会社等で、クリエイティブディレクション、コーポレートブランディング等に携わる。
2021年春、デザイン組織の責任者としてユカシカドに参画、コーポレートやプロダクトのクリエイティブのマネジメントを担う。趣味はスクーバダイビング、フットサル、サッカー観戦など。

本日はユカシカドのデザイン組織を担うアートディレクターの西島さんにお話を伺っていきます。まず、西島さんがデザインの道を志したきっかけについて教えていただけますか?

一番最初のきっかけは映画、本、音楽ですね。小学生の頃、映画館につれていってもらったり、お小遣いをもらったらレンタルビデオ屋で映画のVHSを借りて自宅で鑑賞したり、書店で本を購入してひたすら読みふける、そんな日々を送っていました。

映画や本のコンテンツそのものを楽しむだけでなく、いつからかパッケージや装丁にも興味を持つようになっていました。当時は、映画館にあるポスター、新聞の映画情報欄、そしてテレビCMなどから新作映画の情報を得ていたのですが、新作情報が1枚のポスターや15秒のCMに凝縮されているモノを見ることに、とにかく夢中になっていました。

レンタルビデオ屋でも、全てのVHSを借りて見ることはできなくても、ポスターが縮小されたVHSのパッケージデザインを見ることが大好きだったので、片っ端からパッケージを見ていた記憶があります。

そんな子ども時代を過ごしているうちに、パッケージや装丁といった側の創り手になりたいと思うようになっていて、中学を卒業する頃には美術系の大学に進みたいと考えていました。

実際に武蔵野美術大学に進学されますが、同大学を選んだ理由を教えていただけますか?

単純に、当時の武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科が最も倍率が高かったことから、日本でデザインを勉強できるトップクラスの環境だと思って進路を選びました。

また、同大学はデザインやアートをアカデミックな側面から教育していることでも定評がありました。

視覚伝達デザイン学科では、デザイン全般を学びました。
最初は、タイポグラフィー、ブックデザイン、エディトリアルデザイン、アドバタイジングデザイン、写真、Webデザインと、興味があった領域を学びながら、4年生時にはアドバタイジングデザインに絞って学んでいました。

得意な分野、逆に苦手な分野などはありましたか?

ポスター制作の成績が抜群に良かったんです。大学だけでなく高校のときも美術の授業でポスター制作物が評価されたことがありました。子どもの頃から大量のポスターやパッケージ等の成果物に浴びるように触れてきたからこそですかね。

四角い紙の中にビジュアルをどれくらいのサイズでどこに配置するか、全体の構図の構成、といったことが上手くできる方だったと思います。

逆に、絵を描くこと自体は得意だと思っていなくて、そっちは自分より上手な人たちがたくさんいました。

また、大学4年生時にアドバタイジングデザインに絞っていたのは、当時の時代背景として広告がとてもダイナミックで面白い時代だったということに加えて、アドバタイジング以外のブックデザイン、写真、Webデザインなどは、自分以外に才能豊かな人たちや専門家がたくさんいたので、彼らがやった方がいいんじゃないかという思いがあったからです。

私が好きなことであり得意なことがアドバタイジングデザインだったので、大学卒業後の就職先も大学3年生の時点で広告業界に行きたいと思っていました。広告業界に就職することを見据えてデザイン実務を在学中にやっておきたかったので、大学3年生のときからデザイン事務所で働いていました。

そして希望通り、大手制作プロダクションである東北新社に就職されています。同社でのご経験ついて教えてください。

デザイナー、アートディレクターとしての基礎を固めるにはこれ以上ない環境でした。入社後配属された部署が、クライアントと直接仕事をしたり競合コンペに参加するチームで、いわゆる精鋭部隊でした。それゆえに、相当の能力・スキルが必要で、私を含め4人のチームだったのですが、チームの先輩方全員のデザインレベルは相当に高かったです。特に、チームリーダーのADに厳しく鍛えていただいたことは、今でも自分の基礎になっています。

忘れられないエピソードがあります。
「・」(なかぐろ)って、パソコンのキーボードで「てん」と打つと出てくるじゃないですか。社内で掲示する制作物のデザインをしていた際に、私は「・」を普通にキーボードで打って使っていたんですね。

〜補足〜
-----------------------------------------------------------------
・最後にフロアを出る人は電気は消しましょう
・エアコンのスイッチも消しましょう
-----------------------------------------------------------------
といった趣旨の掲示物で、文頭に「・」(なかぐろ)があるとご想像ください。

すると、当時のチームリーダーに言われたのが、

「『・』(なかぐろ)、ちゃんと描いたほうがいいんじゃない?」

ってことだったんです。

すみません、ちょっと理解が追いついていないのですが、もう少し詳しくご説明お願いできますか?

つまり、箇条書きなどで注意喚起や項目整理の役割がある「・」(中黒)って、キーボードで「てん」って打つと出てくるんですけど、それってサイズやカタチがその時点で決まっているんですよ。当たり前なんですけど、一種類しかないんです。

チームリーダーが言いたかったのは、その制作物において、アテンションとしての存在感と、グラフィックデザインとしての美しさのバランスが取れた、あるべきサイズ、間合いの「・」(なかぐろ)をちゃんと考え抜いたのか?、という問いかけなんですね。

これって、私がつくった制作物の「・」(なかぐろ)が、デザイン的に美しくなく、簡単にキーボードで打ったものであることが見抜かれている、ということなんです。

その上で、あるべき「・」(なかぐろ)を、ちゃんと描く(illustratorでデザインする)べきなんじゃないの?、と。

そういことですね!分かりやすくご説明いただきありがとうございます。

これはほんの一例で、他にも日々このようなことがあって、この人たちとのデザインスキルの距離は一生縮まらないんじゃないか、という焦りを感じていました。

一方で、同社で経験を積んでいくうちに、クライアントや会社からの評価はされるようになっていました。

その後、東北新社を退職されて一度はフリーランスに転身され、その後に今度は総合広告会社である日宣に転職されています。この時期の転身の理由、想いについて教えてください。

まず、東北新社を退職したのは、全国的なキャンペーンを担当したことで得た自信を、当時のチームを離れて別のフィールドで試したいと思ったことが理由です。フリーランスとして事業を拡大して自分のデザインブティックをつくるという、キャリアのロールモデルの様なものがあって、漠然と自分もその道を歩みたいなと思っていました。

ありがたいことに、数社からプロジェクトのお声もかかり、食べていくこと自体に困ることはなかったのですが、1年くらいで、これは向いていないな、と思うようになりました。

例えばですけど、「仕事は簡単だけど報酬が高い案件」があって、そういう案件を請けているときなどに、「本当にこれでいいのか?自分がやりたいことなのか?」という変な葛藤がありながら仕事をしていること自体が精神的に不衛生だなと感じていたり、案件によってチームの人数や期間が様々で最小単位は私一人のこともあって、チームとしての知見の蓄積が物足りないなと感じたりしていました。

東北新社のときは4-5名のチームで、自身の学びとチームとしての知見の蓄積を日々実感していたので、自分が好きで向いているのはそっちだなと改めて感じていました。

4年間のフリーランス活動ののち、再度企業に戻りたいと思い転職活動を開始し、縁あって入社したのが総合広告会社の日宣です。

日宣では、大手住宅メーカーやコンテンツ配信会社等の案件から、自社メディアのデザインリニューアルを担当したり、デザイン組織を構築することや採用も任せていただき、組織づくり・マネジメント業務も経験することができました。

クライアントワークでその会社の担当の方とお話をしている中で、自社の製品・サービスについて本気の人とそうでない人がいるのを感じていました。これはどちらにしても真実であり、嘘がないことには違いなくて、自社の製品・サービスのことを、好きとも言えるし、そうでないとも言いながらも事業を行っている、これが事業会社なんだなと肌で感じていました。

私が担当していたクライアントには、前者のほうの方々が多かったので、単純に羨ましいと思っていましたし、自分もいずれはあちら側にいきたいという想いが強くなっていきました。

その想いは、クライアントワークでは実現できないものなのでしょうか。

これは私の考えですが、クライアントワークではどうしても「誇張」せざるを得ないことがあるんですよね。そんなときって、自分が作るデザインに何の価値もないように感じてしまっていました。仮にそんなデザインでプロモーションをして、その製品・サービスが売れたとして、果たして誰が幸せになっているのか、凄く悩んでいました。

そんな自分の経験と、目の前で想いを持っている人たちと一緒に仕事をすることを通じて、自分も自社の製品・サービスに誇りをもって仕事をしたいという想いが強くなったんですね。

あとは、広告業界の人にとっては事業会社に転身することが一つのキャリアステップと考えられているということもあって、自分もそういうキャリアステップを刻みたいという気持ちもありました。

なるほど。そういう想いがあって、日宣の次は飲食関連の事業会社であるトリドールホールディングスに転職されたのですね。数ある事業会社の中で同社に決められた理由を教えてください。

当時の転職活動の軸として、事業会社の製品・サービスが人の暮らしを幸せにしているものがいいなと思っていて、衣食住、そしてスポーツに絞って探していました。

そんな中で、丸亀製麺等を運営するトリドール社からホールディングスの社長室直下でクリエイティブ全般をマネジメントするというオファーをいただきました。オファー内容、ポジションにやりがいと面白みを感じれたのと、元々丸亀製麺のファンだったし、「丸亀製麺のうどんって本当に美味しいんですよ」って、事業会社の一員として言えるようになりたいと思えたので、同社への転職を決めました。

入社後はどのような業務に携わっていたのですか?

持株会社の代表取締役社長直下で経営企画室配属のコーポレートブランドマネージャーというポジションでした。社長が今後の事業展開を加速していくうえでデザイン面を強化していきたいというビジョンがあって、やりたいことをその都度伝えていくのでカタチにしていってほしい、という社長からの要望に応えつつ、私自身これは課題なのではないか?と思ったことを自ら社長や該当部門の責任者に発信して、彼らと対話を重ねながらプロジェクト化して課題解決を行うといったようなことをやっていました。

例えば、CIのデザインガイドや新卒採用の専用サイトやパンフレットを強化するべきだと感じたので、それらを提案して作る、といったようなことを行いました。

自ら課題を発見する、自ら仕事を取りにいくというスタンスは、今の西島さんに通じているのだなと感じました。

今振り返ると、トリドールの前の日宣のときもそのように動いていましたね。日宣のときの話に戻りますが、当時元々所属していたクリエイティブディレクターと同じレベルで仕事ができる人がほしいということで私が入社した経緯がありました。もちろん仕事の依頼はくるのですが、基本はいわゆる大きい案件がメインでその数自体はそれほど多いわけではなかったこともあって、日々の業務においては空いてる時間が意外と多かったんですね。

そういう状況だったので、まあ、家に帰ってもよかったんですけど(笑)、やれることはやりたいなと思ったので、自分のポートフォリオを持って営業のフロアに行って、こんなことできるけど何かない?みたいな感じで話しかけに行ったりしていました。

ありがとうございます。話を戻して、トリドールでの3年間を振り返っていただきたいです。

色々ありますが、特に、様々なバックグラウンドを持った人たちが集まる事業会社でその人達と一緒に仕事ができた経験は大きかったです。それまではずっと広告業界のデザインの世界にいたので、スポーツに例えると、サッカーという競技の中で、同じポジションの人とポジション争いをしながら、試合になると他のポジションの人とたちと協力してゴールを目指す、みたいな感覚でした。

トリドールでは経営企画室配属だったこともあって、コンサルティング会社出身の方や広報のプロといった方々がいました。これも例えですけど、サッカーではあり得ない腕の太さをしているアメフト選手や身長2mを越すバスケ選手がゴロゴロいるような環境です。いわゆるクリエイティブ系の職種の人だけに囲まれた環境では気付けなかったことがたくさんあり、そんな人達と一緒に仕事をしていくことに刺激を受け、何度も衝撃を受けましたね。

あとは、オフィス移転のプロジェクトに参画していて、これまでの自分のグラフィックデザインの経験、また、映像制作、空間の演出、撮影など、そうした知見など、自分の能力をフルに使いつつ、総務部と連携してワークショップを開催してファシリテートしたり、オフィスツアーをアテンドしたりと、それまで自分がやったことがなくて、事業会社でないと積めなかった経験をたくさん積むことができました。

画像1

そして2021年春、ヘルスケア領域のスタートアップであるユカシカドに転職されました。ユカシカドとの出会い、入社を決めた理由を教えていただけますか。

別の事業会社でチャレンジしたいということは元々考えていて、領域は以前と変わらず、衣食住、スポーツ、そして、より社会貢献度が高い事業を行っている会社を探していました。何社かに絞っていった中にユカシカドがあって、そのうち唯一元々知らなかった会社だったんですけど、会社HP等でミッションや事業、製品・サービス等についての情報をざっと見た感じ、これは社会貢献度が高く、人のためになる製品・サービスにしか見えなかったんです。

ただ、今だから正直に言いますけど、、、それまでユカシカドのこと自体を知らなかったので、企業としての信頼度なんかはどうなんだろう?って思っている自分もいました。

そうなんですね(笑)正直におっしゃっていただきありがとうございます。
その不安はどのように払拭されたのでしょうか?

代表の美濃部のnoteですね。美濃部は、いわゆる経営者として優れているのは言うまでもないのですが、同時に自分の想いを平易な文章や表現で綴って伝えることができる人だなと思って。栄養検査VitaNoteのことを漫画に出てくるツールに例えたりしていましたよね。それで、感覚的に、大丈夫だな、と思えたんです。

社会に胸を張れないビジネスをしている人は変に理論武装している表現に偏りがちで、そんな伝え方できないと思うんですよ。

あと、企業の信頼とは別の話なんですけど、美濃部のnoteに、意思を持って自ら切り拓く勇気を持って有言実行するのが「リーダー」である、その逆で、責任を負わず結果を出せない有言不実行の人は「評論家」である、といった趣旨の内容が書かれていました。

要は、「評論家」ではなく「リーダー」であるべきという話なのですが、私の考えもかなり近いんです。つまり、美濃部も私も「評論家」のことを全く良く思っていない(笑)

そのnoteの記事を読んで、代表の美濃部って人はそういう考えの人なんだなと思って、この人となら何やっても大丈夫なんじゃないかな、と思えました。

経営者として左脳的な能力は言うまでもなく、誠実さ、まっすぐさ、熱さ、といった右脳的というかエモーショナルな部分を感じましたし、左脳と右脳の両方の力をバランス良く持ち合わせている経営者ってそう多くないと思っているんですけど、美濃部にはそれがある。この点はユカシカドに入社する意思を決める上で大きかったです。

ありがとうございます。ユカシカドでの西島さんの役割を教えていただけますか?

まずは、代表の美濃部が、デザインを強化したい、改善したい、新たにデザインを乗せていきたい、ということに関してしっかりと応えていく、というのが自分の役割だと思っています。美濃部は逆算思考で考えているので、明確に実現したいことやぼんやりとでも何とかしたいと思っていることはたくさんあります。

加えて、ユカシカドの社員が認識するには到ってないけどやるべきことがまだまだきっとあるはずだと思っていて、そんなことを日々探しながら、気づいたことがあれば改善の提案をしていくということが、同じくらい大事なことだと思っています。

もちろん、自ら提案をしていくのは、期待されている役割に応えてこそということも認識はしています。

まさに「有言実行のリーダー」ですね!
そんな中で西島さんがワクワクしていること、感じている課題感などあれば教えてください。

シンプルにデザイン組織を新たに作っていくというのはやりがいを感じますね。
それとは別に、ユカシカドの認知自体はまだまだ低いと思っていて、認知度を高めていくためにデザインは重要な要素だと考えています。

そして私自身、事業会社の一員としてスタートアップ自体に、この組織規模のフェーズから携わるのは初めてなのでとても光栄に思っています。

知人にユカシカドのことを話すと、必ず「何の会社?」って聞かれます。つまり、みんな知らない状態です。トリドールのときも、社名を言うと同じく知らないという反応だったのですが、丸亀製麺って言うとほぼみんな知っているんです。

この伸びしろは大きいと思っていて、これから認知を高めていくプロセスを楽しんでいけると思っています。

今のユカシカドでデザイナーとして仕事をする面白み、やりがいなどを教えていただけますか?

ユカシカドは事業特性上、自前主義を取る事が多くて、例えば栄養検査の検査センターや食品・サプリメントの製造工場・出荷センターを自前で保有していますよね。

デザインにおいても、可能な限り自前主義のスタンスを取ることになると思っています。
そうだとしたときに、そのようなスタンス、体制は、事業会社の中では特殊だと思います。

自前主義、ワンストップを掲げる会社は多いですが、本当に実現できている会社はほとんどないのではないでしょうか。

ユカシカドは、真に自前主義、ワンストップですよね。
この点は、先ほどの企業としての信頼度の話においても、社会に対して正直で誠実だなと思います。

例えば、マス媒体を活用したプロモーションを行うことがあるとすれば、その企画を代理店にすべて投げるのではなくて、コアアイデア作りやディレクションで直接携われるのだとしたらデザイナー・クリエイターとしては腕がなりますし、キャリアの観点でも価値のある経験を積めることは間違いないですね。

また、栄養検査キット、サプリメントや食品など、自社製品を複数保有しているので、パッケージデザイン等にも携われる可能性もあります。パッケージデザインはプロモーションデザインと異なり、それ自体が商品の一部であり、それ自体が価値になります。

もちろん、味や機能が第一に選ばれる理由ではありますが、パッケージデザインは人を引きつける要素ですし、継続して購入するファンになってもらう要素の一つだと思います。この点はデザイナーとしてチャレンジしがいのあることの一つだと思います。

Webデザインを中心にスタートして、いずれはそうしたマス媒体、パッケージデザイン、動画広告などもやってみたいという希望があればそうした機会をご用意したいと思いますし、もちろんずっとWebデザインをやっていきたいということでも大歓迎です。

なるほど。そんなユカシカドには、どんな志向やスタンスをお持ちのデザイナーの方が向いていると思いますか?

まず、能動性ですね。デザインという自分の特殊技能で人を喜ばせることや社会のためになることをやりたいと本気で思っていてほしいです。

そして、ユカシカドには様々なチャレンジの機会があるので、デザイナーとしてどんなことをやってみたいか、どのようなキャリアを積んでいきたいのか、ある程度明確に言語化できていると良いと思います。

働き方についてもお伝えしておきますと、デザイナーに限らず東京本社オフィスのメンバーはオフィス出社とリモートワークを使い分けして仕事をしています。

ユカシカドには、三倍の生産性で働く、ということを大事にしていて、これを実現するためには、相当な集中環境が必要だと思います。
リモートワークができるということは、その集中環境を自分で好きなように作れるということです。時間についても、フレックスタイム制なので、時間の使い方を自分でコントロールすることができます。

働く環境については、Activity Based Working(フリーアドレスとはちょっと意味が違います)という考え方があって、働く人がいまやるべき仕事に対して、いつ・どのような空間で行うのが最適かを考え、選択し実践するスタイルのことです。

前職ではオフィスデザインでABWを導入していたんですが、ユカシカドでの私の場合は、リモートワークを利用して自分の働き方をABWにしています。デザイン性の非常に高い作業を自ら手を動かして取り組む場合は、デザイン資料が揃っていて、息抜きへの切り替えもし易いので、自宅に最適な環境を作り、一方でデザインディレクションや確認作業はオフィスで人の意見も聞きながらやる方が効率が良い。mtgに関しては相手のコミュニケーションスタイルの好みやそれぞれのコンディションに考慮さえすれば、どこでやっても問題ないと考えています。

画像2


最後に、私もスタートアップで仕事をするのは初めてなのですが、スタートアップはデザイナーにとってフィットする環境なのではと感じています。
スピード感や開放的な雰囲気など、クリエイティブなセンスを発揮するには最適な環境ですので、是非当社のようなスタートアップをキャリアの選択肢として考えていただければと思います。

インハウスデザイナーは自分自身のデザインで、プロダクトやサービス、企業自体のブランド構築に、まさにその一員として寄与できるとても素晴らしいポジションです。楽しく、誇りを持ってプロの仕事に専念できる環境です。

意外と盲点でありながら、インハウスデザイナーが実は直面する旧来的な社会人としての常識の壁というのがあって、デザイン業界ですら常識的な服装を求める会社もあり、事業会社となると業務規程でスーツやジャケットスタイルを義務付けている会社も多いですが、服装問題もユカシカドでは全く気にする必要はありません。ご自身のセンスを存分に発揮した装いで楽しく仕事していただければと思います(笑)。

貴重なお話ありがとうございました!

代表取締役CEO 美濃部のnote

取締役CTO寺田とシステム開発部メンバーによるテックブログ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?