見出し画像

おとめマリアとアテナ、イシス~中村圭志著『宗教図像学入門』を読みながら


 聖母マリアは、「おとめマリア」すなわち「処女マリア」ということになっているが、宗教学者の中村圭志氏の『宗教図像学入門』(中公新書、2021年)によれば、英雄的・神的人物が処女から生まれるというのは、ユダヤ系の神話ではなく、ギリシア・ヘレニズム系の神話なのだという。旧約聖書のイザヤ書にみえる「見よ、おとめが身ごもって男の子を産み…」の「おとめ」は、ヘブライ語で「アルマー」といい、この言葉は結婚適齢期の少女の意であり、「処女」という意味ではないらしい。しかし、当時使われていたギリシア語訳の旧約聖書では、この「アルマー」の訳語に「処女」の意味のある「パルテノス」という語を当てたとのこと。ちなみに「パルテノス」とは、処女神アテナを祀るアテネのパルテノン神殿の同語源である。(処女神アテナは、都市国家の守護神で、知恵や技芸の女神であると同時に、戦いの女神でもある。)マリアに処女性を与えたのは、このギリシア語の「パルテノス」かもしれない。

 しかし、マリアに処女性を与えたのは「パルテノス」だけではないかもしれない。古代エジプトのイシスという女神にも注目してみたい。以前、どこかの博物館で、息子のホルスを抱いているイシス像をみて、「まるで幼子イエスとマリアではないか!」と驚いたことがあるが、中村氏によれば、このホルスを抱いているイシス像が、ローマ帝国時代の後期、エジプトがキリスト教化したときに、聖母マリアと幼子イエスの信仰に入れ替わったのだという。このイシスは「処女神」でもあった。マリアに処女性が付与されたのはは、処女神イシスの影響もあったかもしれない。

ホルスを抱くイシス像 332-30B.C.(プトレマイオス時代)
メトロポリタン美術館所蔵
標題の写真と同じ
イヴィロンの生神女(「生神女」とは正教会におけるマリアに対する敬称)
 1世紀 wikipediaより引用
ラファエロ「大公の聖母」1505-1506 
ピッティ宮殿パラティーナ美術館所蔵 wikipediaより引用 

 こうしてみてくると、「幼子イエスを抱く処女マリア」というマリア像は、新しくキリスト教がひろがった土地に以前から存在した文化~イシスだとか、処女神アテナに関連した「パルテノス」といった言葉だとか~の影響を受けて形成されたものに思える。

 しかし、少し調べてみると、上述のヘブライ語の「アルマー」は「若い女」という意味でしかないという説への反論もあるようである。聖ヒエロニムス(347頃~420 キリスト教の聖職者、神学者)によれば、「アルマー」は、ヘブライ語で「処女」を意味する「べトゥーラ―」という語の上位互換の表現(婉曲表現)だという。「アルマー」は、「見られないようにする(隠れる、隠す)」「知られないようにする(秘密にする)」という意味の「アラーム」という動詞を語源としており、「アルマー」は「隠された処女」と解せるらしい。となると、ユダヤ教すなわちヘブライ語の「アルマー」自体に「隠された処女」という発想がそもそもあったがゆえに、「処女性」と関係する「パルテノス」という訳語があてられたということになるのではないか。また、そうしたユダヤ教の預言を成就したと考えるキリスト教では「隠された処女」が「処女マリア」として結実したということにもなろうし、それが、キリスト教がひろがる以前に彼の地にひろがっていた「処女性」と関係するイシスをもキリスト教に引き寄せることになり、その過程で、ホルスを抱くイシス像というモチーフをキリスト教に取り込むことになったように思える。


(参考資料
①『宗教図像学入門』中村圭志著、中公新書、2021年
②「「処女懐胎は誤訳に基づく話」説は本当か」ブログ『Josephology』
➂『聖書 新共同訳』日本聖書協会)


この記事が参加している募集

読書感想文

探究学習がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?