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FAT LAVA: Marei【ライフワーク】

おはようございます。
今年は少し薄雲がかかってはいるものの陽の光が暖かい、気持ちのいい朝ですね。

今日も西ドイツ時代の陶器において、その代名詞とも言えるFAT LAVAの作品を多く作り、その名を世界に知らしめたファクトリーを1つずつ掘り下げていきます。

Marei(マレイ)

今日ご紹介するのはMarei。
このファクトリーの作品はまだ所有していないけれど、気になる作品で見てみるとこのMareiであることが多いため、今回取り上げたい。

ファクトリーの起源

Mareiは、1948年にテラコッタ事業を行っていたFuss & Emons factoryでJean Fuss(ジーン・ファス)とJosef Emons(ジョセフ・エモンズ)がそれぞれ独立する形で設立された。 FussがRheinbach(ラインバッハ)に拠点を置き、息子たちと開設し、Jean Fuss & Sohn KG、その後直ぐに Majolikafabrik Rheinbach Jean Fuss & Sohnに改名 (略称は Marei)したのが、このファクトリーの起こり 。Mareiはフランス語で「海」を意味し、フランス語も公用語とするベルギーに近いボンのすぐ南西に位置するRheinbachの Fussはそれを意識したのかもしれない。
この時、Joseph Emons Söhneも息子たちとES keramik を設立する。(こちらも名の知れたファクトリー)

Fuss & Emons factoryは、2人がRuschaの前身であるKlein & Schardを退職した1921年に設立された。そのファクトリーでは植木鉢、装飾用陶器、そして最終的には排水管などを製造していた。第二次世界大戦が始まると軍事関連製品以外の生産はほぼ停止され、戦後通常生は再開されたが、二人は異なる方向に進むことを決めた。
Mareiは当初手描きされたシンプルな表面装飾が施された植木鉢や花瓶の製造がメインだった。1951年にFussの息子はが不幸な事故で亡くなるが、1957年に娘のHildegard Fuss(ヒルデガルト・フス)とその夫のWolfgang Bruchhausen(ヴォルフガング・ブルフハウゼン)が家業に加わり、会社の経営を引き継ぐ。彼らはすぐに有名なデザイナー、Bodo Mansを起用してMarei製品ラインを充実させ、これがファクトリーの名を広く知らしめるきっかけとなる。

かつてはMareiはかなり小規模な会社であり、その生産高は1950 年代にピークに達したと一般に考えられていた。しかし、最近では、その最高傑作のいくつかは後の数十年に生産されたことが判明している。カタログの発見により、これまでRoth Keramikのものとされていた多くの作品がMareiによるものであることが判明したのだ。これは長年にわたり形式番号と釉薬名の両方を再利用するというMareiの慣行によって混乱させられた結果だった。
Mareiの最も重要なデザイン作品の製造は1960年代から70年代に盛り上がりを見せ、閉店する 2016年まで存続した。

Mareiの特徴

Mareiの製品の特徴は装飾的なガラス質の花瓶、水差し、壁タイルなどに代表され、その多くはRuscha、Rothなどの製品に類似している。
彼らの最も象徴的なデザインには、いわゆる直方体に穴の空いた「煙突」の花瓶やぷっくりの上が膨らんだペンギンの様な花瓶がある。
また、海を意味するMareiの名の通り、寒色系の色合いが美しく、またドイツの陶器では珍しく紫色を多用するのも特徴であり、僕がこのファクトリーの作品に惹かれる理由の一つでもある。な

生活必需品を作る工場から始まりながら、それぞれの個性や理想のために各々が新たなファクトリーを開きそれぞれの細工品を作り上げていく。
工業製品でありながら徐々にアート作品としての要素が高まり、そしてその流れが薄れて閉鎖となり、ほとんどが過去の作品として残されている。(半世紀以上前の作品がこれだけ多く綺麗な状態で残されていることはとてもありがたく嬉しいことだけど)
ドイツの陶器産業の流れをマクロで見てみたい、つくづくそう思う。

僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、良い一日を。

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