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FAT LAVA: Jopeko【ライフワーク】

おはようございます。
今日も梅雨とは思えない、清々しい晴れ。
植物たちも朝日を浴びて早々に「水をー!」という状態なので水をたっぷりあげましょう。

今日も西ドイツ時代の陶器において、その代名詞とも言えるFAT LAVAの作品を多く作り、その名を世界に知らしめたファクトリーを1つずつ掘り下げていきます。

Jopeko(ヨペコ)

今日ご紹介するのはJopeko。
昨日ご紹介したJasbaと同じ、Ransbach-Baumbach(ランスバッハ-バウムバッハ)で設立され、現在も存在しているファクトリー。

ファクトリーの起源

ファクトリーの歴史は古く、Johann Peter Korzilius(ヨハン・ペーター・コルジリウス)によって1848 年にJopekoの前身となる「Krug und Abflussrohr Fabrik」を設立。当時は蒸留酒、化学製品、排水管用の容器を製造していた。
伝統的なスタイルで作られた釉薬での装飾が施された陶磁器を製造することになるのは第二次世界大戦後まで待たなければならなかった。
創業者と同じ名前を持つ3代目が会社を引き継いだのを機に、1948年に社名は創業者(と3代目)の名前にちなんで「Jopeko」に変更された。もう察しの良い方はお気づきだろうが、何語かと想いを巡らせる様な可愛らしいファクトリーの名前はJohann Peter Korziliusから来ている笑

この家族経営のビジネスがJasba同様、奇しくもRansbach-Baumbach(ランスバッハ-バウムバッハ)という小さな街にあるというのは、まず土が焼き物に適しているんだろう。
もしやと思って、この間訪れた笠間と益子を調べてみると、やはり笠間は涸沼川(ひぬまがわ)、益子には子貝川という小川が街中を流れている。流れが緩やかな小川周辺には適度に山から流れてくる良質なミネラル等を含んだ土が堆積して焼き物に適した土になるんじゃなかろうか。なんて面白い仮説が立てられる。どこかに焼き物に関する論文とかないかな。

1950年代には他の陶器ファクトリーと呼応する様にモダンな形や装飾のデザインの焼き物の展開を始め、 1957 年にさまざまな色の「収縮釉」を使用した装飾品「1003」を発表しました。これは焼物全面に塗られた釉薬が”収縮”することでひび割れ、地の色とのコントラストが際立つ仕上がりになり、そこにブルー・レッド・イエローの3点を描くことで、Jopekoの製品であると特に比較されていた同郷の競合Jasbaと差別化を図った。

右上と左下の作品三色のドットが見てとれる。

1960 年から 1961 年にかけて、同社のデザイン責任者ハインツ マーティンは、「Jopeko-Werkkunst」(ヨペコ-クラフトマンシップ) コレクションを発表。これは主に装飾的かつ比喩的な装飾を施した贅沢にデザインされたフォームを展開するものだった。 しかし、花卸売業者、小売業者、生花店への販売が主で、大手の販路には流通していなかったため、ドイツの陶器市場での流通は限られていた。
1985 年から 1986 年にかけて、Jopeko は最も人気のある昔のデザインの多くを再リリースしました。

FAT LAVAの仕上げをポイント使いするデザイン

Jopekoの特徴

Jopekoが一番得意としその代名詞ともなっていたのが、FAT LAVAのキーカラーである鮮やかなレッドやオレンジ、そして彼ら独自のグリーンにこれでもかと厚みのある溶岩のような白い釉薬が垂れ込める、もしくは上下挟み込むようなカラーリングの作品。

元々厚みのある収縮釉が得意だっただけに、Volcano glaze(ヴォルケーノ釉薬)の扱いもお手のものだったに違いない。いわゆるFAT LAVA感が最大限に表現されていて、その表情を楽しめる作品が多い。

創造を辞めないファクトリー

Jopekoは、こちらも同郷のJasba同様に企業としてアートワークの生産はしておらず、一般家庭やケータリング向けに音響セラミックや照明、衛生陶器等さまざまな生活必需品を対象として耐炎セラミックスを製造している。しかしその傍ら、その施設を利用して、工房の陶芸家が限定生産の陶器を生産するのを支援している。こうして脈々と続くファミリー企業の、昔ながらのブランドのフィロソフィーを次世代にも繋いでいる。

僕は幸せになると決めた。
今日もきっといい日になる。
一歩一歩、着実に歩もう。

皆様も、良い週末を。

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