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メタフィクションとゾンビ映画 / The Dead Don't Die (2019)

公開延期されていたジム・ジャームッシュの「デッド・ドント・ダイ」、やっと観ることができたので個人的に面白かったところをメモしておきます。

前置きとして、これはあくまで「ジム・ジャームッシュのゾンビ映画」であり、想像するような、身の毛のよだついわゆるゾンビ映画とは全く異なる存在であることは頭に入れておかなければいけないかと思います。(一体なんなんだこれは…で終わってしまうと思います...多分)

それから、ネタバレを含みますので、鑑賞前の方はご注意下さい。


描きたかったゾンビ像


’’Hey, everyone, wake up! We’re in the sixth mass extinction on this planet.’’ ― Jim Jarmusch ( Vulture Interview | https://www.vulture.com/2019/06/jim-jarmusch-interview-the-dead-dont-die.html, 2019)


ジム・ジャームッシュはこの映画において影響をうけた映画としてジョージ・A・ロメロの『ゾンビ(1979)』を挙げています。彼はフランケンシュタインやドラキュラといった古典的なモンスターを「社会構造の外から出現する」としたのに対し、ロメロのゾンビを「社会構造の中から出現する」と表現しています。地球上の生命体が「6度目の絶滅危機」に瀕しているといわれている今、それはロメロのゾンビに描き出された社会問題は現在も変わらぬまま、地球をむしばんでいることを意味しています。つまり、社会構造の破綻や人間が引き起こした様々な問題のメタファーとしての存在こそが彼の描きたかったゾンビであります。

と同時に、ここで出てくるゾンビは「お互いへの思いやりや意識を失うことのメタファー」とも表現されています。

劇中、警官クリフが唯一クソ野郎と呼ぶ人物は某「MAKE AMERICA GREAT AGAIN」ならぬ「KEEP AMERICA WHITE AGAIN」と書かれた帽子をかぶっています。説教じみた表現を嫌う監督ということもあり、これ以上に直接的な表現はないものの、明らかに政治的な、そして人権主義に対するメッセージを持っています。しかし、映画の中の人間たちは、どんなグループに属している人であっても、あるいはグループに属しているとみなされているひとであっても、同じように狙われ、同じように襲われます。そこに意味や違いはありません。

The real problem on this whole planet is divisiveness. That’s the premier tactic of totalitarianism. I don’t want to fight against my enemies; I want us to all join together to face something that is not political, which is an ecological crisis. ― Jim Jarmusch (Vulture Interview |  https://www.vulture.com/2019/06/jim-jarmusch-interview-the-dead-dont-die.html , 2019)

ここでの描かれ方は「地球上の本当の問題は分裂にある」というジム・ジャームッシュの考え方からも見て取れます。

こうした人間たちを襲うゾンビたちは、彼らとは対照的に、生前求めていたものを探し回り、人間の血と肉を嗅ぎまわる間ほとんどお互いのことが見えていないかのように、自分の欲望のままに生きています。

それこそがもう一つのメタファー「お互いへの思いやりや意識を失った人間」です。ロメロが描いた生前の記憶に取りつかれたゾンビ像の拡張として、「wifi」や「ザナックス(抗不安剤)」など、モノに取りつかれた現代の我々の姿を現しています。


メタフィクションとゾンビ映画


さて、この映画において最も重要なポイントともいえるのがメタフィクションとしての側面です。

メタフィクションは、それが作り話であるということを意図的に(しばしば自己言及的に)読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する。(Wikipedia より)

小説などの虚構の世界と現実世界との間の壁を「第4の壁」と表現されますが、それを打ち砕くのがこのメタフィクションの存在です。この映画の場合、登場人物たちは虚構としての意識以上に、自分たちが映画の中でキャラクターを演じているという自覚があります。

This is all going to end badly. / まずい結末になりそうだ。 

アダム・ドライバー演じるロニー警官は劇中なんどもこのセリフを繰り返します。

テーマ曲『The Dead Don't Die / Sturgill Simpson』はオープニングで流れた数分後、ロニーらの乗るパトカーのラジオでも流れます。警官クリフが「聞き覚えのある曲だ」というと、ロニーは「テーマソングなので。」と答えます。このセリフでこの後のメタ的な展開は予想がつきますが、クリフの心情と同様、もやもやしたまま物語は進みます。

Chief Cliff Robertson: You have been saying that this is all going to end badly, from the very beginning, over and over. So what made you so f*cking sure of that? How did you know everything in advance?
Officer Ronnie Peterson: Do you really want to know?
Chief Cliff Robertson: Yes! I want to know! I really want to know!
Officer Ronnie Peterson: Okay. I know because I’ve read the script.

終盤、ゾンビが出現して以来ずっと冷静すぎるロニーに対し、クリフは激怒しながら理由を尋ねます。ロニーの答えは「台本を全部読んだので。」

これを聞いてクリフはさらに怒りを増しますが、「俺は全部読んでない」など、ゾンビと戦う警官ではなく、もはや一人の俳優としての怒りが湧いています。

こうしたメタ・タッチは多くの鑑賞者の怒りを買いました。さらに加えるならば、劇中全く持って回収されない伏線たちも。

しかし、これこそがジム・ジャームッシュの目論見であるとも言われています。死者が墓からよみがえり、人間たちを襲っていくゾンビ映画に自然原理と合理性を求める、「真面目な」批評家たちをあざ笑っているかのようです。


「まずい結末」と向き合うこと


超豪華キャストによる「デッド・ドント・ダイ」ですが、私にとっては圧倒的にアダム・ドライバーの存在感を感じました。序盤は同僚である警官ミンディに「家まで送っていこうか?」など気を遣う様子を見せますが、ゾンビがでてくると一転、パニックになるミンディに対して暖かい言葉をかけることもなくただただ冷静に状況に対処しようとします。

パトロール先で見つけた遺体も容赦なく首をぶった切って、祖母を追ってゾンビの群れへ向かってしまったミンディに対しての同情もありません。

このメタフィクションとして描かれたゾンビ映画においてのロニー警官の姿は、「まずい結末」が待っているとわかっているとき、人はどう行動するのか?の一つの問いそのもののようでもあります。

Chief Cliff Robertson: So, Ronnie, how does it end, then?
Officer Ronnie Peterson: Well, we got to give it our best shot.
Chief Cliff Robertson: Our best shot. Okay. Yeah. But then it ends badly, right?
Officer Ronnie Peterson: Uh, yeah. Yeah, it does.
Chief Cliff Robertson: Okay, then, let’s do it.
Officer Ronnie Peterson: Let’s do it.

ジム・ジャームッシュが描く、『デッド・ドント・ダイ』から見る我々にとっての「まずい結末」は、『人間がもたらした「6度目の絶滅危機」に始まる地球への影響、モノに取りつかれた人間の行く先』ではないでしょうか。ロニーの姿はジム・ジャームッシュから我々への問題提起のようにも感じられます。


まとめ


なんやかんや書きましたが、これは意味を求めて鑑賞しなくてもよい映画だと思います。「なんだったんだこれは...」を楽しむことができれば、きっとそれで正解なのではと思います。またこの中では触れていませんが、心躍る映画小ネタも満載なので私はニコニコしながら観ていました。賛否両論ある作品ですが、少なくとも重要なメッセージを持った、遊び心にあふれる素晴らしい作品であることは間違いないです。




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