私は、若さをまだ食べきってなどいない。
一日一日、目減りしていくものがある。昨日より今日、今日より明日、減っていく。毎日お米を食べ続ければ米びつの中身が減るのは道理だけど、何も食べていないのに減るのはおかしくないか。
それを、人は、"若さ"と呼ぶ。若いうちに○○しなさい、若いからまだわからないのね、若いっていいわねえ、若いから未熟……。若さに関する年配の人たちの言葉は、ダブルバインドどころではない。ひどいものだ。
若さは、有限の資源だ。例えば、若いからこそ、書かせてくれるメディアというのは、存在する。
20歳くらいの頃は、まだよかった。若くていいでしょう、そうよ私若いのよって、思っていられた。あの頃は、若い私が永遠だと思っていた。
だから、若さの上にあぐらをかいていられたのだ。若さ、最高! なんて思ってもいた。今思えば、いずれ失われることに気づかないなんて、なんて愚かなんだろうと呆れてしまう。
それを指して、"若さゆえの全能感"とでも言うのだろうか。
若いから、失敗しても大目に見てもらえて、お嬢さんと可愛がられる。いわゆる実力に下駄を履かせてもらっている状態だ。
その下駄が履けなくなったらどうなるだろう。私に実力がまったくないとは言わないけれど、絶対的なものではないから、下駄がなくなる瞬間が怖いのだ。
そんなことを書き連ねている間に、アラサーになってしまうし、下手したらアラフォーになるかもしれない。
そんなのは嫌だ。年を重ねたくない。老いたくない。いつまでも若さを武器にしていたい。若いままでいたい。
ああ、不老不死が人類の望みなのも、理解できる。不老不死は見果てぬ夢だ。永遠に25歳ならどれほどよかったことか。
永遠に25歳であれば、よかった。
「現実を見なさい。老いるんだよ」と声がする。私は耳を塞ぐ。
老いることに何のメリットも感じられないからだ。老いてしまえば、体も動かなくなるし、シワやシミができてしまう。できることは若い頃より少なくなってしまう。
年齢を重ねるごとに美しくなるのなんて、いわゆる美魔女と呼ばれる、一部の芸能人やお金持ちだけだ。私は、老いても美しくもなく、履いていた下駄は消滅する。
散々じゃないか。
老いるのは死に近づくことでもある。となればなおさら受け入れられない。誰だって死にたくないからだ。
死にたくない。老いたくない。
泣いて喚いて抗いたいくらいだが、意味がないと知っているので、しない。
医療の進歩に期待したいところだ。
執筆のための資料代にさせていただきます。