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献血ができなくなったあの春の日。

身近にあった献血

私が経験したボランティアと言えば、親に言われて仕方なく行った地域のゴミ拾いと、献血である。

献血は輸血の必要な人のために、血液を提供するボランティアである。父が献血の回数を重ね、記念品のお猪口のようなものをもらっていたから献血そのものは身近であった。献血に行くと、ジュースが飲めて、お菓子が食べられて、少ししたら血液検査の結果も送られてくる。そんなイメージだった。

16になって初めて献血した時のことは、正直よく思い出せない。お菓子がおいしかったな、くらいのことしか考えていない。

それでも献血は私の性にあっていたように思う。健康であること、継続して行くことで誰かの役に立つし、明日交通事故で大怪我するかもしれない自分のことだって救っている。子どもに勉強を教えるとかそういうボランティアだと"コミュ力"を求められてしんどいけど、献血はそういうことはない。優しいスタッフの方が丁寧に対応してくれる。継続して行くと顔も覚えられたりして、何か嬉しい。コミュ力がなくても、子どもと野山を駆け回れる体力がなくても健康な血液さえあればできる社会貢献だ。

就活でウケるようなボランティアではないのかもしれない。学生を採る企業が聞きたいのは継続して献血に行っていて記念品ももらっている話じゃなくて、子どもに勉強を教えるとか被災地にボランティアに行くとかしたそんなボランティアの経験なのかもしれない。

それでも私はやってきたボランティアと言えば献血だと返すし、継続しているのだからそれもとてもいいことだと思っていた。献血やボランティアどころでなくなる、あの日までは。

献血ができなくなった、その日

その日とは抑うつ状態と診断され、薬が処方された日のことである。処方された薬は抗うつ薬だった。もう何でもいいから助かりたかった。

その日には献血ができなくなったことに気づかず、日常のまま献血ルームに立ち寄って、飲んでいる薬を記入して断られて気づくことになる。

通い慣れた献血ルームにこの薬がなくなるまで来られないなと寂しさを覚えながら、心の中でさよならを言った。

世間的にも自分は病人なのだという現実から目を背けたくなったがそうもいかない。献血ができなくなったし、抗うつ薬も飲んでいるし、病人なのだ。

いつかまた献血に行けるようになることを願い、治療を続ける。

追記:献血についておもしろいnoteがないかと見ていたらおもしろいnoteを見つけたので紹介しておく。

献血ができた頃、私は成分献血が好きだった。何故なら横で血漿と血球の分離が行われているのを見るのが楽しかったから。あと時間が長いので読書に最適だから。献血ルームで読破した漫画がいくつかあるくらいである。

執筆のための資料代にさせていただきます。