周りに理解されない悩みについて

それは将来子供を持つか、ということだ。私には交際期間8年の大切な恋人がいる。今すぐにでも彼と結婚したいくらい大好きだが、彼との子供を持つかどうかについていつも悩んでいる。

理由は、その子を幸せにできるかどうかわからないからだ。正直彼と自分の血が半分ずつ入っている子供なんて、可愛いに決まっているし愛情をかけずにはいられないだろうし、どんな子かとても気になる。すごく会いたい。世の中の多くの夫婦・カップルはこのような気持ちに背中を押されて子作りに踏み切るのだろう。しかし、その時彼らの頭に浮かんでいるのは生後1〜2年、長くとも小学生くらいの誰が見ても可愛らしい幼少期の姿にすぎないのではないかと思う。誰も自分の子供が40歳、50歳になっておじさん・おばさんになった姿を想像して「子供が欲しい」とは思わないだろう。それでも子供は生き続ければおじさん・おばさんになって、自分の人生を振り返る時が来る。その時、自分の子供が幸福感を感じられているかどうかについて、私はすごく気になってしまう。

多くの人は、親がそこまで子供の人生を保証する必要はないというのかもしれない。実際、自分がもし壮年期になって不幸だと感じていても、それを親のせいにすることはおそらく無いだろう。でも自分が自分の子供の親だったらと考えると話は別だ。壮年期の我が子が不幸を感じていたら、ものすごく申し訳ない気持ちになると思う。なぜならその子は一度だって「生まれて来たい」と私たちに頼んだことがないからだ。完全に親の都合で子供は生まれてくると思う。なのに20年そこそこで親の扶養から外れ、スネをかじることは許されず、自分の人生に責任を持つよう要求される。私はそこに違和感を感じずにいられないのだ。だからといってどこまで親として子供の人生に責任を持てばいいのか分からないし、どこで責任を手放していいのかもわからないのだ。

実際、社会に出て自分でお金を稼いでご飯を食べていくことはそう容易いことではない。それ以前に自分の世界が周りと合わずに、生きづらさを感じることもある。その結果自分を責めて自ら命を絶ったり、周りを恨んで加害者になってしまう人は沢山いると思う。犯罪者は必ずしも先天的なものだけで生まれてしまうわけではないケースが多いと思っているから、だれでも犯罪者になりうる可能性を持っていると思っている。自分の子供が人生に挫折して社会の迷惑をかけるくらいだったら生まない方が良いのではないか。そこまで過激でなくとも、なんとなく生かされた人生を消化する日々で、ゆっくりと自分を蔑みながら生きていく人生になってしまわないかと心配になってしまう。

文書化するとすごくネガティブだと気づいた。でもこう考えるのは他ならぬ私が今人生をどう捉えて良いか分からなくてもがいているからだろう。自分はどちらかというと目標⇨達成を3年周期、インターバル1年くらいでやってきた10代〜20代前半で、毎日何かを頑張る、辛抱する、続ける、みたいなテーマで進んできた気がする。その結果として今の自分があり、周りからの評価も上がってきたという自覚があるから、それはそれでアリだ。一方で人生が楽しいものだったかと聞かれた時、即答できないのが正直なところだ。もちろん楽しいことや幸せなことはたくさんたくさんあるし、自分を支えてくれる思い出だが、それは頑張るための糧すぎずそっちを人生のメインに捉えたことなんてなかった。そしてそういう人って周りにたくさんいると思っている(実際確かめたことはないが)から、それが普通だろうと疑わなかった。しかし今この考え方を少し修正していく必要があるのかもしれない。でないと自分の子供に人生を勧めることができないから。

この点、私の彼は人生が楽しいものだと捉えているようだ。私の人生に対する評価が苦痛:楽しみ=7:3だとしたら、彼は真逆の苦痛:楽しみ=3:7だろう。しかしこの割合は、実際の人生に起こった出来事の割合とはイコールではない。彼にも辛いことは私と同じか、それ以上に起こっているはずだ。だけれども彼は人生を明るい面から捉えようとするから、印象として人生が明るいのだろう。人生を明るく捉えることは、今の私に1番足りないスキルだろう。

自分が子供を持つことに臆病になる理由が、自分が人生に満足していないことだとすると、この悩みを理解してくれなかった友人達・両親は人生を子供に勧められるくらい有意義だということなのだろうか。だとしたら今すぐにでも人生を楽しむ秘訣を教わりに行きたい。
だがもう一つの可能性もある。私が子供を持つことに臆病になる理由は、子供のこと・自分が親になることについてより積極的な姿勢で具体的に考えているからだということだ。私は高校生の頃から子育てに興味があり、将来を具体的に考えられる恋人とも同時期に出会い交際を始めた。大学に入って始めた資格取得のための勉強も、彼と築くかもしれない家庭を想像し、子供を幸せにするためには母親にも経済力が必要と判断したから始めたのだ。したがって私は我が子を幸せにしたいがために、我が子を持つか否かを真剣に悩んでいるのだ。物事を明るい面から捉えて、自分自身にこう勇気づけたい。「そんなふうに子供について真剣に考えられる時点で、子供を幸せにできるよ」と。

私なりのやり方で、「我が子に勧められるような楽しい人生」を目標に3年後の達成を目指して頑張って、辛抱して、続けていきたい。

以上

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