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己の価値観の流動性を認識せよ。

朝起きてから夜眠りにつくまで、「情報」ばかりだ。
スキマ時間という部分にまで、スキルとか情報収集とか学びとかを充てがうことが勧められる。

情報弱者とは、情報に触れることが困難であったり活用できない人のことを指すが、情報に疲弊している状態も、ある意味情報弱者のように感じたりもする。

とはいえ、実はこういった「情報」が大好きな自分もいて、肩が凝るまで、目をこすりながらもそれに触れていたい自分もいる。依存症と言われたら、肯定せざるを得ないかもしれない。


昭和の頃、天気予報と朝のニュースで済んでいた「情報」への接点が、ここまで膨大になるとは予想していなかった。

ではなぜ、ここまで私が「情報」というものに触れていないと落ち着かないかというと、価値観の流動性を常に感じているからだ。

昨日良いと思ったものが、今日になって変化しベストだと言い難いものになる。情報と思考のすり合わせによって生じた相違に気づいて、別の価値観を見出していくのだ。

以下に、私が考える価値観についての要素を挙げる。

価値観をつくる3つの要素
 ①生まれながらの資質に基づく感性のようなもの
 ②親や環境から受けた後天的に与えられた思考
 ③物心ついてから自身で開拓し続けている思考

思考の巡らせ方に速度をつけるとしたら、私は③についての思考の速度が極端に速いのだと思っている。


己の価値観の流動性を認識せよ。


これは自分へのメッセージでもあるのだが、③の要素が強い人は、現在の自分がどんな価値観を持っているかをきちんと認識する習慣を付けるべきだと言える。

ある部分の価値観が流動的であることを認めて、その部分をきちんとモニターしていかないと、自分がしていることや、向かっていることに対しての本質を見失ってしまうからだ。

そして、
大切にしている思いが
ブレていないかをモニターするには
その価値観を言語化するほかないのだ。

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