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共感の落とし穴。

人は共感する生き物だ。共感性というのは、本能的に備わっているらしい。共感性がなければ、友人はできない。

女性は特に、共感を好む。
同じ思いを共有してくれる、頷いてくれる存在に安心感を覚える。
もちろんこれは自然なことで、悪いわけではない。

共感してくれる人を求めるのは当然のことだ。

共感しない技術。


私が、仕事として人の話を聞く時に気をつけていることがある。
それは「共感しないこと」だ。

共感することで、相手が親近感を覚えてくれるかもしれないと思いつつ、自分の中では共感しないようにしている。

分かりやすくいうと次の通りだ

・相手の話はじっくり聞く
・話の内容を全力で理解する
・「なるほど」とうなずくこともある

え? これ、共感以外の何物でもないでしょ? と思われるかもしれない。
ただ、私の中での解釈としては、

そういう考えも理解できる

というところで止まっているのだ。
意識的にそのようにしている。


共感の落とし穴。

誰かの悩みや気持ちを、冷静に聞かなければならない時に、「同情はいらない」と思っている。
何故なら、解決を求めて話をしてくれる相手は、同情よりも次の未来への道標を聞きたいと考えているからだ。

共感してから一緒に考える?
私からしたらそれは時間と感情の無駄遣いだ。

相手と同じ立場ではなく、別の立場で思いを知り、別の立ち位置から行動につながる言葉を取り出す。
これが一番の近道だと考えている。


・・・*・・・*・・・

こんな考えを娘に話すと、「だからグサグサ刺さるような話し方になるんだ」と笑いながら言われることがある。

とはいえ、傷つけるための言葉ではなく、前に進むための言葉だから、あえて刺すような言い方になるのだ。

そして今日も、私は誰かの話を聞き、言葉にする。

最後に・・・
小さい頃からグサグサを体感している娘は、
私にとっての理解者の一人であることは間違いなく
いろいろな意味で、かけがえのない人だ。

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