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「主体性」を許さなかった大人こそが、「主体性」を持つべき理由。


高校の保護者会に出席すると、今後の大学受験の話をされる。
「これからの大学受験に必要となる資質・能力について」みたいな資料が配られる。

①知能・技能 
②思考力・判断力・表現力
③主体性・多様性・協働性

これらが必要だとのこと。
①はこれまでの受験で必要とされていたもので、②③はこれからの受験で必要なもの。

この資料を見せられた時、思わず顔が緩んで笑ってしまった。そんな保護者は他にはいなかったかもしれない。

「大学受験に必要な〜」という記載だったけれど、要は「これからの社会ではこういう人が欲しいですよ」ということなのでなはいかと受け取った。

思わず笑ってしまった理由は3つ。

一つ目は、こんな素敵な資質と能力を持った人材を、あと数年で受け入れられる企業がどれだけあるのだろうと思ったこと。

二つ目は、高校受験まで「知識・技能」で育てられてきた子供に、いきなり「主体性」を求めるとか。息子の後ろ姿を思い浮かべながら、「君たち大変やなぁ」と同情してしまったこと。

三つ目は、これだけの資質と能力を持っている大人が、今どれぐらいいるのだろうと。おちおちしてたら、社会の流れからドロップアウトする日も近いのではと感じたからだ。


「主体性」を許さなかった大人こそが、「主体性」を持つべき理由。

持論・極論だが、これまでの日本社会は、「主体性」を許していなかったように感じる部分がある。「自主性」は歓迎していたが、「主体性」は求めていなかった。

掃除の時間に毎日決められた箇所をいち早く掃除することは評価していたが、雑巾片手に、汚れている箇所を探し歩いている生徒は「ふらふらしてないで、決められたところを掃除しなさい!」と注意されていたようなもの。

これが、「自分たちで考えて、掃除しなさい!」になった時、何が正しいのかを示すことができないのは、実はこれまで主体性を許していなかった大人なのではないかと思ったりする。

今の大人こそ「主体性」を知らずに育てられ生きてきた人がほとんどだからだ。

ではどうするか?

いろいろな方策があるが、とりあえずできる簡単なことは「行動」だ。
大きなことではなくていいから、とにかく行動することだ。
行動するには考える。そしてまた行動する。
「インプットとアウトプットの高速回転」といわれるものも然り。
とにかく動くのだ。アクティブを意識するのだ。

これからの時代を
「主体性」で生きる楽しさを
自ら手にしよう。



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