令和源氏物語 宇治の恋華 第百六十一話
第百六十一話 浮舟(二十五)
暁の別れはいつでも辛いもの。
しかし、此度の別れを殊更に辛く感じるのは浮舟が薫の物でまたいつ逢えるかともわからぬからでしょうか。
匂宮の困ったところはいつでも本気で女人に溺れ、その時に呟いた言葉はすべて真実の心からであるのです。その後にどう心が変わろうがそれはまたその時の本音なのですが、翻弄される女人たちの哀しきことよ。
しかし目下の処匂宮の心は浮舟に囚われて、胸に浮かぶはあの可憐な姿ばかりで恋しくてなりません。
恋の病で食が細り、顔が青ざめてゆくのをまた主上は物の怪にでも憑かれたかとねんごろに祈祷などをおさせになる。
見舞いの客が絶えぬもので、せめて浮舟に手紙をと思いつつ、書く時間がとれないでいられるのが、またせつなく宮の胸を焦がすのです。
宇治においても浮舟は匂宮を想いつつも例の厳しい乳母が娘のお産から戻って来ていたので、密事を気取られぬようにと心中穏やかではありません。
幼い頃から姫を育てた乳母なればその変化を見逃すことはないでしょう。
右近の君はこうしたことにも心を配らなければならないのです。
近頃雨が降り続いたために山路はぬかるんで赴くのも困難であろうと諦めた匂宮はこまごまと想いを綴った手紙を宇治へ贈りました。
折も良く、女房たちはそれぞれに寛いで浮舟君のまわりに侍従の君しかいないのを見計らって右近は手紙をそっと渡しました。
「姫さま、匂宮さまからお手紙でございます」
浮舟は受け取るとすぐにその手紙を開きました。
ながめるやそなたの雲も見えぬまで
空さえ暮るる頃のわびしさ
(せめてあなたがおられる宇治の空をのぞもうと思うのであるが、恋しさに涙溢れて見ることができない。そんな心寂しさをわかってくれようか)
歌を噛みしめるようにしみじみと、下にも置くことのできない姫の様子を見て、匂宮に心酔した侍従の君はさもあらん、と頷く。
「ごもっともなことですわ。あの宮さまの美しさ、気取らぬ冗談をおっしゃるところなど愛嬌があって、毎日逢えるのであれば中宮さまの元へお仕えしたいほどですもの」
「軽率なことはおっしゃるな、侍従の君。何より思慮深く女人を大切にして下さる薫君こそ立派な御方ですわ。不義など見苦しいばかりです」
やはりここで姫君を御諫めしなければ、と右近は浮舟に向き合いました。
「姫さま、ようく考えて下さいませ。匂宮さまも薫さまも姫を京へ迎えるよう進めておりますが、どちらを選ぶ方が御身が幸せになれるのかを。匂宮さまは姉姫さまの夫でございます。もしも姫が宮さまに迎えられても匿うようにしか待遇されませんでしょう。まさか姉妹ともどもを夫人とするなんて御仏がお赦しになるはずもないのですもの。宮さまは信心などありませんでしょうが、世間の見方というものはそういうものでございます。また母君は姫さまが薫さまに迎えられると喜んでいるものを、宮さまの囲い者になるなど承知されませんわ」
どのように縛られても心は縛ることはできまい。
しかし浮舟は右近の進言で自分の置かれた立場を理解したのでした。
そこに薫君からの文が届けられるとはなんとも皮肉なことか。
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