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令和源氏物語 宇治の恋華 第百二十四話

 第百二十四話  親心(一)
 
時は二十年ほど遡ります。
宇治へ隠棲された八の宮さまは連れ添った北の方を偲びつつ、一人の女房を愛されました。
中将の君と呼ばれたその女人は亡き北の方の姪で実際に血縁があったせいか女房といっても身分賤しい風ではなく、ちょっとした仕草などは亡き女によく似ているのが心惹かれたのでしょう。
中将の君も物静かで高貴な宮さまを慕い、召人という身分であるから後添いとまではなれなくともお側で静かに過ごせればそれでよいと愛情を寄せておりました。
しかしながら八の宮さまは中将の君が身籠り月満ちて姫を産み落とすとその子を我が娘とは認められませんでした。
それは北の方を偲んで召使い風情に情けを掛けたもののそれ以上には扱わぬ、という意志表示であり、中将の君はたいそう深く傷つきました。
そうなってはお邸で子供を育てるわけにもゆかず人知れず実家へ戻ることとなったのです。
この頃には大臣家と華々しかった一族もすっかり落ちぶれて日々の生活にも困るようになっておりました実家ですから、子を育てる為にも再び務めに出ねばなりません。
中将の君は近くの受領で羽振りの良い陸奥の守が新しい女房を探しているということでそちらの邸に雇われることとなりました。
中将の君は容貌も美しく雅を心得ておりますので中流の邸に仕える他の女房たちとは明らかに雰囲気も違います。
東育ちの武骨な陸奥の守にはそれが魅力的に思われました。
北の方を亡くしていたこともあり熱烈に求愛したのですが、中将の君は八の宮さまの仕打ちを恨んでいたものでみすみすまた同じような目に遭うとわかっていて簡単には承諾できません。
しかし陸奥の守は持ち前の粘り強さで他の邸に移ろうとする中将の君を引き留めて時間をかけて口説いたのです。
八の宮さまとはまったく対照的な陸奥の守でしたが、出自は上流貴族でけして賤しくはありません。ただ東国で育ったもので動作が粗雑で言葉にも訛りがあり、野卑な印象を受けるのです。
そんな男と結婚などと中将の君は相手にもしていなかったのですが、存外優しいところもあり、誠実な面を見せられると気持ちも次第に和らいでゆきました。
何より姫を邸に引き取って自分の子として育てようと言ってくれたことで心は決まりました。
中将の君が陸奥の守と結婚してしばらくすると、次の司召しで守は常陸の守へと任命されました。
京を離れたことのない北の方でしたが、心機一転とばかりに夫に従い任国へと下ったのです。
北の方は常陸の守の妻として先妻の子供たちを養育し、自らも介との子をもうけたので、たいへんな子沢山となりました。
常陸の守は約束通りに連れ子である姫を娘の一人としてくれましたが、何せ他に姫が大勢おります。
どうしても血を分けた実子ばかりが可愛くてならないのは仕方のないことでしょう。
西の対に連れ子の姫を住まわせて“対の姫”と呼ばせておりました。
北の方にしてみればどの子も同じですが、夫にしてみれば無理からぬと内心悔しくて、自分だけは姫に接する時は“宮の姫”と呼んでかしずこうと大切にしておりました。
北の方は夫に姫の父親のことは何も話しておりません。
自らの力で姫を幸せにしてあげるしかない、と決めたのでした。
果たして血筋とは争えないもので、この宮の姫こそは生い立つほどに上品で美しさを増してゆきます。
母親である目から見ても明らかに他の子供たちとは器量が違うのです。
いつしかこの姫には立派な婿をとって幸せにしてあげよう、という夢をみるようになりました。
姫が年頃になると毎年二回必ず初瀬の観音様にお参りして良縁を授けて下さるよう祈念したおかげでしょうか、宮の姫は裳着を迎える頃にはまこと光り輝くように美しく、これは帝の后となってもおかしくはない、と思われるほどに生い立ちましたが、夫にそれを告げることはできません。
北の方はつてを頼って姫の夫に相応しい人物を自ら探し始めました。
婿を探すと言ってもこれがなかなか難しいものであります。
受領の娘と思われているわけですので上流の高貴な方々が姫に関心を持つとは思われません。
よしんばそのような婿が見つかっても侮られて正夫人にはなれぬでしょう。
そうかといって同じくらいの中流に嫁がせるにはもったいないほどの宮の姫の様子ですので、将来有望な若者を見つけたいところですが、どこの家でも考えることは同じとて優れた若者はみな財力のある家に先に目を着けられてしまうのです。
まったく娘を持つほどの気苦労は無いものですが、宮の姫という北の方の矜持もあっては殊更に相手選びが難しいものです。
そんな矢先にある出来事がありました。
成人した後に数年を過ごした宮の姫にとうとう求婚者が現われたのです。
左近の少将と言って年は二十二、三歳ばかりの学問も優秀という若者です。
これから注目されそうな若者ですが、如何せん財力が心もとないようで、常陸の介の援助をあてにしている模様です。
北の方は実際にその青年が常陸の介をご機嫌伺いに訪れた際に垣間見ました。
なかなか頭が良さそうですっきりとした美青年。
人柄も良いということですので姫の婿には申し分なく思われて北の方は手紙のやりとりから交際を許したのです。



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