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令和源氏物語 宇治の恋華 第百四十四話

 第百四十四話 浮舟(八)
 
万事が順調かと思われておりましたが、宿縁とは突然に残酷な顔を見せることもあるようです。
正月元旦の祝いが終わり、匂宮が若君の顔を見たくて二条院に戻っていると、折悪く浮舟からの手紙が中君あてに届けられました。
仕えはじめたばかりの小さな女童が自分の手柄のように小松とそれに結び付けられた髭籠(ひげこ=竹で編んだ籠)を手にして浮舟からの藍色の薄様の包み文と改まった立て文(右近の君からの手紙)を手にして走って来ました。
「中君さま、お手紙でございます」
中君は間の悪いこと、と思いつつもさりげなくその手紙を受け取りました。
果たして匂宮という御方はたいそうこうした時の勘が鋭いのです。
中君が何気なく受け取った小松と手紙を目に留めました。
「それはどこからの文ですか?」
女童は褒めてもらいたいばかりに包み隠さずを話してしまいます。
「宇治からのものでございます。使者の方は大輔(中君の女房)の君にとおっしゃっておりました」
宇治からのものと聞いて匂宮は先刻一瞬顔を曇らせた中君の様子を思い出し、もしや薫からの懸想文ではないかと訝しみました。
些か見当違いではありますが、何かしら秘された事情があるのではと嗅ぎつけたのは驚くべき勘としか言いようがありません。
女童は大人ぶって知った風な口をきいております。
「この髯籠は金を彩色した籠で小松もよくできておりますわね」
などと、匂宮の関心を惹こうとするのを中君ははらはらとして見守っておりました。宮がその中君の困惑を見逃すはずがありません。
「どれその素晴らしい細工物を見せておくれ」
と手に取りました。
「手紙は大輔の元へ持ってゆきなさい」
中君が内心冷や汗をかきながら女童に命じるのをその前に宮は手紙を奪ってしまいました。
「読んでもかまわないかね?」
「まぁ、女同士の文通を覗き見るなんて趣味が悪うございますわ」
「それではその女同士の秘密とやらを見てやろう」
匂宮は遠慮なく手紙を開きました。
そこには予想に反して、あまり上手ではないものの確かに女人のものらしき手跡が連ねられておりました。
 
:浮舟消息
久しくお便りもせぬうちに無沙汰を重ね年が明けてしまいました。
宇治の山里では物思いも絶え間なく峰の霞までもが京と隔てを置くようで寂しゅうございますわ。
小松を若宮さまに、心ばかりでお見苦しゅうございますが。
 
なるほど確かに何の変哲もない女同士のやりとりである、と宮は感じましたが、今ひとつの立て文を開いておや、と思いました。
 
:右近消息
新しい年を迎え、中君さまにはご機嫌麗しくお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。大輔の御許にもお慶び事がたくさんおありでしょう。
宇治での生活は万事不足なくございますが、薫君がご多忙でなかなかお越しになれぬのが寂しいばかりでございます。
浮舟君は何も仰いませんが、心中物足りなく思召しておられることでしょう。
じっと考え込まれる折もありますのでいっそ二条院に参上してはと勧めたのでございますが、浮舟君はあの夜の忌まわしい出来事に怖じて気恥ずかしく思召しておられるご様子です。
若君の邪気払いに卯槌を進上致します。
匂宮さまのご覧になりませぬ折にでも若宮に差し上げて下さいませ。
 
この浮舟君とやらは普通の女房とは思われぬ。
その文面を何度も読み返し、匂宮は浮舟という姫があの夕べの美女であるか、と思い当たりました。
小松の二股のところには藪柑子の赤い実を作って付けて、卯槌(うづち)に付きさして添えてあります。暇な人の手慰みな細工物のようです。
枝に結び文があるのを宮は開いて歌を読みました。
 
 まだふりぬ物にはあれど君がため
      深き心にまつと知らなむ
(松は長寿の象徴でありこの小松はまだ年若くありますが、若君の千年の栄えをわたくしは願っております)
 
格別に優れた詠みぶりではないものの、あの折の姫が詠んだと思うと匂宮は目が離せません。
これを隠していたか、と中君への腹立ちも相まって座を立ちました。
「私が手紙を覗いたくらいで機嫌を損ねられたかな。私のほうこそ失礼させていただくよ。早く返事を書かれるがよい」
自分が思案したいばかりに一人になれる場所へ行こうというのに、匂宮はこのようにすべてが中君が悪いように当てつけられる御癖があるのです。
まったくの言いがかりであるのを中君は辛く、知られてしまったことで浮舟に何事か出来しないよう祈るばかりなのでした。



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