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令和源氏物語 宇治の恋華 第百七十五話

第百七十五話 浮舟(四十)
 
時方の下人が教えられた通りに浮舟君の御座所に近づこうとすると、居丈高な警護人に呼び止められました。
「おい、お前。何用があってこの邸に罷り越したか?」
「はは。私は常陸の北の方さまからの遣いでございます。此度初めてこちらに参りましたので要領も得ず、庭先から浮舟君にお手紙をとしたのですが、迂闊でありましたな。右近の君とかいう方を取次にお願いしたいのですが」
そのきょとりとまるで何も知らぬような男に内舎人の警戒心も収まりました。
「なにも庭先ではなく正門から入ってくればよいものを」
「これは失念しました。先の遣いの言うままに考えも浅く、いやはや」
その人の好そうな様子に見逃された下人ですが、邸が以前とは違うぴりぴりとした雰囲気に包まれているのを肌で感じ取りました。
「北の方さまの使者というのはどなた?」
「はは、私でございます」
媚びる風でもなく、謙るその下人に違和感を覚えたのは右近の方でしょう。
受領ごときの下人とはとても思えなかったからです。
「ああ、あなたは常陸殿の隋人でありましたねぇ」
「覚えていてくださいましたか、ありがたい。御方さまからの文でございますよ」
下人は調子を合わせて宮からの手紙を右近に託しました。
そして、右近が近づいた隙に「宮さまはそこまでお越しになっております」と、そっと耳打ちをしたのです。
右近の君はまさか宮さまがここまで無理を圧して来られるとは、と今の浮舟君の状況を鑑みても望ましいことではないと顔を青くしました。
「とても今夜は浮舟さまにお逢いすること叶いませんでしょう。薫君の側近が詰めております」
端的に冷たく言い放たれて下人は事の次第を感じ取り、事態を報告すべく宮の元へと走りました。
「宮さま、どうやら邸の警戒が尋常ならざるものとなっております。これはもはや薫右大将に事が露見したとしか思われませぬ。御身に危害が加わる前に去られるようにと右近殿からのご伝言でございます」
この思わぬ報告に宮は愕然と肩を落としました。
「いったいどうして薫にバレたのだ?」
「それは今は問題ではありませぬ。屈強な男達が近づく者を両断する勢いにございます。どうか今宵はあの邸には近づかれませんように」
下人は主人の尊い身が安泰であるようにとそればかりを慮っているものの、恋にやっきになる宮にはそれがおわかりにならない。
「時方、侍従はお前の女であろう。それを口実にうまく邸内に入り込んで浮舟と連絡をつけよ」
無茶なことを、と時方は思いますが、誰よりも宮の表情を読み取る乳兄弟ゆえ、このままでは宮の感情が破裂しそうなのは見てとれるのです。
「我が君、すべて私がうまく計らいましょう。どうか心安らかにおいでませ」
時方はどんなことをしても事情を探ってこようとその場を離れました。



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