IT業界でも【課題の枯渇】が始まったのではないか

ほんの半世紀ほど前まで、社会には食べ物もモノもインフラも医療も何もかも不十分だった。

解決すべき課題は周囲を見渡せばそこら中にあった。だから課題を解決することでビジネスは成り立ったし、ビジネスの世界には課題解決型の人材が求められた。

 ところが今は、そういった誰の目にも分かりやすい【課題】は解決されている。
ビジネスを行うには、課題を解決するより前に、そもそも解決すべき課題を【発見する】ことのほうが重要だ―――

 こういった指摘を初めて知ったのは、山口周氏の「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」を読んだときでした。


 平成と共に生まれ、物心ついたときには不景気で、しかし本当に衣食住のモノ不足に困ったことなど災害を除いてはない私にとって、この指摘は目から鱗な内容。

 しかし同時に、親や祖父母時代の苦労話と自分の小さい頃の暮らしぶりを比べてみると、なるほどなと腹落ちした。


 私にとっては、むしろ「解決すべき課題が分かりやすくそこら中に転がっていたから、それを解決さえできさえすればいい」という世界のほうが想像できない。

 ですが言われてみれば「課題を教えてくれ、俺たちはそれを解決するから」の姿勢を続ける企業や人は少なくない。
(レガシーなシステムインテグレーター企業が『御用聞き屋』と揶揄されていたように)


 そのような待ちの姿勢はこの過去の経緯から来ていたのかと納得すると同時に、課題発見型人材にならねばならぬとの発想の転換はすんなりと受け入れた、つもりだった。

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 最近になって、この課題解決型と課題発見型人材の指摘に対して、IT業界特有の事象があるのではないかと感じるようになった。


 実は、ITの世界も既に分かりやすい課題は枯渇し、課題発見型へのシフトを始めるべきにも関わらず。
未だに多くの人が「解決すべき課題が無限に沸いて出てくるから、テクノロジーを使って解決しさえすればいい」という姿勢から抜け切れていないのではないか。


 そして、IT業界がそんな奇妙な状態に置かれているのは、課題が枯渇するのが他の分野に比べて20年、30年程度遅かったせいではないか。

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 例えば、私が物心ついた90年代頃は、既に電気もガスも水道も日本全国津々浦々張り巡らされていた。

これらのテクノロジーがどれだけ発展しようとも、今更解決する課題というものは早々見当たらない。
(発展するどころか、エネルギー不足からくる需給逼迫のせいで、むしろ退化した感覚すらある)


 でもITの世界は違った。90年代から2000年代にかけて、高価で遅くて好きなサイトを訪問するにもいつも待たされていたインターネットは、年を経るごとにどんどん安く早くなっていった。

 コンピューターそのもの、最初はテキストを主に扱うのがせいぜいだった性能が、だんだん音楽も動画もスムーズに扱えるようになった。


 今はどうだろう。
 正直、通信回線が4Gから5Gにかわったところで普通の利用者には全くもって違いが分からないし、新しいスマホが出てより高解像度な写真や動画が扱えるようになったといって買い換えたいほどの魅力を感じない。

 子どもの頃はお小遣いを貯めて毎年自作PCのパーツをどこかアップグレードするのが楽しかった。それだけ私のおもちゃだったパソコンは新しいことが出来るようになったから。


 今自分のパソコンはパーツを買い換えても早々やれることが変わらないから、故障でもしない限りはアップグレードすることなどめったになくなってしまった。


 これは、IT(ネット)も電気ガス水道と同じような【枯れたインフラ】の立ち位置になる途上なのでは、と思うようになった。


 ある時点で開発された新興の技術は、日々改良を重ねて一般に広く普及する過程で人々の課題を次々と解決していった。
 でも、ある一定のラインを越えてしまうと、そのテクノロジーの性能が少々向上したからとかより隅々まで使えるようになったからといって、劇的に人々の生活を変えるわけではなくなる。
 電気ガス水道の存在感が私が子どもの頃と今ではほとんど変わらないように。

 ある一定ラインを越えて普及発展した技術は、解決しやすい課題が枯渇してしまう。
新たにその技術で何か課題を解決しようとするには、課題そのものを発見する能力が必要になったのではないか。

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 暗号通貨/Web3、AR/VR、AI。このところ世間を入れ替わり立ち替わり騒がせるワードの裏側に共通する一つの思惑がある。

 そのテクノロジーに関わる投資家や起業家などが、次のインターネットやスマホに匹敵する革命――と言えば聞こえがいいが、ようは上手く波に乗れば大きく儲けられるビジネスチャンスを伺っている。

 みな、これはインターネット並の革命的な技術だ、乗り遅れるなという。

 既存のネットやPC、スマホの頭打ち感が激しいなかで、かつて2010年頃まで行われていた日々新しいテクノロジーとビジネスの登場、それに初期から飛びつくことで成功者になるチャンスが、今度も必ず登場するとの確信を、彼らの態度からは感じる。



 私は別に、これらの技術による進歩が全くない、とは言わない。
 いくつかの領域においては、その技術が登場する前と後では全く違った変化が起きることもあるだろう。


 ただ、それがかつてコンピューターやインターネットの日々の変化によって、人々の生活にもたらした大きな変化を与えるのかと言われると、私はかなり疑わしく思う。
 
 これらのITテクノロジーで課題を解決したいのならば、そもそも課題を発見する必要があるが。

 新しいITテクノロジーを持て囃す人々は、たぶん、その課題は昔みたいにすぐに見つかると思っている。ゴールドラッシュに沸く金山のようにザクザク出てくるんだと思ってるように見える。



ITテクノロジーだけで解決できる分かりやすい課題は、もう既にあらかた解決しきっているのではないか。

これらの新しいITテクノロジーで解決する課題を発見するのは、過去に比べて決して容易ではないのではないか。

仮にこれらの新しいテクノロジーが解決できる有望な課題があったとしても、それは相当ニッチな、限られた領域の問題解決にしか応用できないのではないか。

 昨今のブームに対して、どれだけ世間が大騒ぎしていても、時代の変化に乗り遅れるな適応しろと叱責されようとも。

 こんな予感を拭い去れず、どこか冷めた目で見つめてしまって動く気になれない自分がいる。

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 自分のIT以外の趣味のひとつは多様な分野の知識を漁ることなんですが。

 歴史を見ていると、実に古今東西様々な場所で、繁栄を極めた人たちがそれは永遠に続くと思い込んでいて、そうではないと思い知らされる事例が起きているんだなとしみじみ思う。

 ブームは終わる、バブルは弾ける、主役の座にあった産業は必ずどこかに移り変わる。
 ITやデジタルの分野は過去数十年来、不動の繁栄の絶頂にいたけれど。AIの登場やらなんやらでこの繁栄はますます栄えれども衰えることはない、と見ている人たちもいるんだろうけども。

 

歴史を見る限り、私は自分が今いる業界がそんな
【我々は確実に繁栄が約束された世界にいる】との確信を強めれば強めるほど、
じわりじわりとすぐそこに大きな落とし穴が待ち受けているのではないか、と恐怖感が募って仕方ないのです。


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