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日本の批判・完璧文化が国産ITを潰しつつ海外IT成長の都合良い踏み台になってる説

日本でコロナ感染者接触通知アプリがリリースされた6月中旬の週末。
SNS上のエンジニア界隈では、アプリで発見された不具合とその反応を巡って騒動が巻き起こっていました。

その騒動を眺めているうちに、私は日本へ進出したある海外ITベンダーの言葉を思い出しまして。

今回は【日本の批判・完璧文化が原因で国産のIT活用が進まない現状のみならず、海外のIT成長に貢献する都合の良い踏み台になっているんじゃないか】という話です。

コロナ接触アプリの不具合を巡る「批判文化」への反発

接触アプリを巡って、こんな議論が巻き起こっています。

端的にまとめると

・ボランティアでエンジニアをはじめとする有志メンバーがアプリ開発に尽力
(最終的に一国一アプリなどの規制都合上、アプリのソースコードは国に寄付される)

・アプリに存在した不具合の指摘時に「こうしたらいい」といった建設的な提案ではなく、「技術力がない」というだけの言葉が投げかけられ、開発にボランティアで尽力した関係者の心理を傷つけた

という事態でした。

これは、単純にアプリへ不具合があるのが悪いとか、いやアプリの最終的な責任者は国だから国が批判されるべき、といった話になるべきではないとと思います。

今回の話に限らず、日本にいればどこにでも目にする「人の失敗を批判し、褒め称えることは滅多にない文化」が日本のIT活用をダメにしてるんじゃないか。それがあのブログで指摘されている話です。

世の中の「判断」には「やり直しがきく・きかない」の二種類ある

上で述べた風潮ゆえ、多くの日本人は何か新しいことを実行するとき
失敗したら人から批判される。だから、失敗しないように念密に完璧な計画を立ててから実行しよう】と思っているのではないでしょうか。

これは複雑性を増し、かつ時世の変化が激しい今の時代に即した考え方とは言えません。
完璧な計画など作りようがない」からです。


世界で最も成長著しい企業の一つ、Amazonのトップであるべゾフは
世の中には失敗をやり直しのきく失敗とやり直しのきかない失敗の二つがある、と述べていまして。


さらにこんな趣旨のことも語っています。


タイプ1の意思決定

いくつかの意思決定はその結果が重大で、あとで修正したり、もとに戻すことができないものだ。つまり一方通行である。

このタイプの意思決定は念入りに、注意を払って、ゆっくりと行う必要があり、十分に考え、専門とする人からの意見を参考にすることが要求される。

というのも、一度行ってしまえば、その結果としての状況を見てこれはだめだと思っても、もうもとに戻ることはできないのである。
タイプ2の意思決定

ただ、ほとんどの意思決定というのはそういう類のものではない。それらはあとで修正を加えることができ、もとに戻すこともできる。つまり、両方通行なのだ。

もし、適切でない意思決定をしてしまった場合は、その結果と長く付き合う必要はない。もう一度ドアを開けて、出ていけばいいのだ。この手の意思決定は判断力の優れた個人または少人数のグループによってすばやく行われるべきだ。


海外のソフトウェア開発においても、基本はベゾスと同じく「まず試す。ダメだったらやり直す」ことが尊ばれる風潮です。
でも日本の風潮だとそれが許されない。だから今まで新しくITを使ったチャレンジが根付かなかった。

今回のコロナ禍で生まれたアプリリリースの経緯が、せっかく芽吹き始めた「やり直しのきく判断だから、まず試す」の文化を潰しかねない。
冒頭のブログ著者を初め、海外と日本の差を知るIT関係者でそうハラハラしている人も多いのではないでしょうか。

批判文化は日本のITを潰すが、海外ITを磨き上げる

他方、この業界に勤めていると、日本に進出してきた海外のITベンダーからよく聞くフレーズがあります。
日本市場のお客様は品質に対する要求が厳しい。それに応えていくことは製品をブラッシュアップ(品質を向上させる)のにうってつけだ」と。

実際に Microsoftのサポートエンジニア採用広報インタビューでこんなこ
とが語られているのも確認できます。


ITシステムについては日本のユーザーの細かい要求が、米国などではなかなか理解されないことも多い。
しかしながらAzureのカスタマーサービスに関しては、日本からの問い合わせの質はかなり高いことがグローバルでも認識されている。
日本のお客様の要求レベルは高いので、データセンターのオペレーションチームや開発チームからも日本からの声をもっと聞かせて欲しいと要望されます」と乾氏。
実際、日本からの要望が反映され、それがグローバル標準の対応となった例もある


まずは新しいことを小さく試してチャレンジする。たったそれだけのことが、日本の批判・完璧文化に起因する厳しい品質要求レベルでは成り立ちません。

しかし、海外のIT勢は日本ほど品質要求の厳しくない自国市場でそれを行います。
そして製品が十分に成長したら日本に進出。日本人の厳しい品質要求を元に製品をブラッシュアップする。そんな構図を感じます。

つまるところ、日本の批判・完璧文化は自国の新規ITをぶっ潰してしまう一方、GAFAMを始めとする外国系IT企業が世界進出するに当たってちょうど良い踏み台を提供しちゃってるワケですね。

モノづくり時代には合っていた批判・完璧文化

モノづくりが主体だった昔は、この批判・完璧文化が有利に働いたかもしれません。


私の父は東大阪の町工場でモノづくりに関わっていました。
その父は生産に必要が金型はすぐに替えのきくものではなく、だからいかにそれを完璧に作り上げるかが大事かということをよく私に説いていました。

でも時代が変わった。
これからはモノづくりではなく変化の激しいソフトウェアの時代です。
従来のモノづくりで有利だった発想に社会全体が縛られ続けていれば、それはこれからの複雑性を増す社会で足を引っ張りかねないでしょう。

コロナ禍では「やり直しのきかない判断」もあるが・・・

一つ、コロナ事態で今回の話をややこしくさせている要素があります。

それは上記でベゾスが「ほとんどない」と指摘した「やり直しのきかない」判断がありえる状況であったこと。
なおかつそれが「やり直しのきく」判断と複雑に入り乱れている状況だったことです。


海外では「やり直せばいい」スタンスで数々の新興テック企業が検査キットを発表していました。
しかしそれらにはロクな精度がないモノもあった。それがそのまま市場に出れば、粗悪な検査キットによって医療判断ミスが起き、混乱を巻き起こして人命に関わる。救えたかもしれない命が救えなくなってしまう。
まさに「やり直しのきかない」判断です。

どこの馬の骨ともしれない検査キットについては
「頼むからそんなものリリースしてくれるな・・・!」そういう風に懸念する医療関係者のコメントもありました。


だけれども、同じコロナ関係の事態でも、本当に接触確認アプリはこれらと同じ「やり直しのきかない」たぐいの話だったでしょうか。
むしろ積極的に「まずはやってみて、やり直せばいい」チャレンジへの風土を育てるのに絶好の機会ではないでしょうか。

今回の騒動は単純にコロナ対策進展に関わるだけの話ではなく。



散々遅れていると言われ続けた日本のIT活用が、今からでも巻き返せるか。

批判・完璧文化に萎縮してさらに遅れを取ってしまい、逆に海外ITが成長するだけの養分を提供するだけの国に成り下がるか。

その重大な岐路に立っている気がしてなりません。



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