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憧れの大学での入学式で、なぜ私は泣きながら帰ることになったのか

この季節、入学式の話題を見聞きすると私がいつも思い出してしまうのは、大学の入学式での出来事だ。

中高時代にあった様々な困難を経て、憧れだった大学、憧れだった学科 - 情報工学科に入った日のこと。

同じ学科の同期が揃った教室で、ふいに後ろの席の男性達から、せせら笑うような口調でこんな言葉が聞こえてきた。

「このクラスにイイ女はいねぇな」

私はその言葉を聞いたあと、うつむいて必死に涙を見られないと取り繕った。帰路にはついに耐えきれずポロポロと泣きながら帰った。

私があの大学入学に至るまでの想いを知らなければ、男性はおろか女性ですら「それくらいのことで?」と思うような話だろう。
おそらくあの言葉を放った男子学生達に至っては、自分がそんな言葉を言ったことすら覚えてないに違いない。

昨今のマイノリティを巡る炎上沙汰に対する反応には、必ずと言っていいほど「そのくらいの何が悪いのか」という言葉が付き纏う。

マジョリティが「そのくらい」と思うようなことであっても、時に暴力的なまでに誰かを傷付けることがあるのだということを、私がなぜあの日涙ながらに家路に着くこととなったかの話を通じて伝えられればと思う。

情報工学を目指したきっかけ

情報工学、つまりはコンピュータのテクノロジーを学びたいと思い始めたのは、8歳を過ぎた頃だ。
父が買ってきた自作のパソコンを自分でも弄って壊したり直したりしているうちに、ソフトとハードとインターネットの組み合わせで何でもできるこの魔法の箱へと夢中になった。
お気に入りのコンピュータ雑誌を毎月隅から隅まで欠かさず読み尽くしながら、将来はエンジニアになってコンピュータを自在に操れるようになりたいと強く思った。

挫折

本当なら大学で情報工学へ行くのではなく、高校入学の時点で高等専門学校でコンピュータを学びたかった。
思わぬ障害が降り掛かったのは中学2年の時。起立性調節障害という思春期に多い病気の症状が重すぎて、私は午前中は布団から起き上がれず不登校になってしまった。

高専への入学はテストだけでなく内申点も重要だったから、不登校の経歴がある私には合格の目などあるはずもない。
泣く泣く工業系の学校へ行くのは断念して、テスト結果だけで合格できる普通科高校へ行くことになった。

執念での逆転

私の家庭はお金が無かった。国公立の学校でなければ大学へ行くのは難しかった。だけれどもこの経緯で通うことになった高校は進学校には程遠い状況だった。
毎日8時間国公立大学合格を目指して勉強し、さらに予備校にも通う人々の勉強量に対し、私が放課後の自主勉強だけで敵うはずが無いのは少し考えれば自明のこと。
それでもコンピュータを専門に学んでエンジニアになることへの夢は諦めきれなくて、私が必死に調べて考えてたどり着いた選択肢が、とある国公立大学で行われているAO入試の合格を目指すことだった。

通常の大学合格者相応の成績が無くても情報工学を修了する学力と熱意があると証明するにはどうすればいいか。
そのために私は普通科高校生ながら、独学で基本情報技術者試験の合格を目指した。

コンピュータに関する広範な知識を問うこの国家試験は、高校生の合格者自体が少なく、合格しても工業系学科に在籍している場合がほとんどだったから、仮に合格できれば自分の能力を証明する手段としてはうってつけだと考えたのだ。

高2の秋に一度目の試験を受けた。結果は不合格。
高3の春に二度目の試験を受けた。秋に行われるAO入試の実績として使うにはこのタイミングでの合格が必須である。
二度目の試験は、非常に良い成績で合格することができた。

高3の秋、私がエンジニアを目指す最大限の熱意と実績でもってAO入試に出願した。
結果、通常の入試より倍以上高い競争率を勝ち抜いての合格
当時私に残された唯一の情報工学を学ぶ道を、がむしゃらに自分なりの勉強をして手に入れた瞬間だった。

現実

それだけの想いを持ってたどり着いた大学の初日に投げかけられたのが、冒頭のあの言葉である。

私はあの場に、他でもなくエンジニアの卵としているつもりだった。女性比率は全体の一割程度。だが周りの男子学生達と違うフィールドに立つつもりは毛頭無かった。

けれどあの言葉は、私をエンジニアとしてではなく、周りの男子学生達の性的関心を満たすための、彼女だかアイドルだかコンパニオンガールだか - とにかく別種の生き物として勝手に扱い、かつ勝手に貶して嗤う言葉で。


8歳の時にエンジニアになりたいと願い、以後大学入学の18歳までの10年間を、病気や貧困に直面しつつも必死にその道を目指してきた私にとって、あの言葉は私の人生の半分以上の道のりを否定されるほどの、あまりにも屈辱的だったのだ。

子供の頃、周囲にあったパソコンに興味を持って自分でコンピュータの勉強を始めてコンピュータ系の学校に進んでエンジニアになる。
この業界ではよくあるようなコンピュータ少年の道のりだ。

私は心のどこかで、この業界でよく聞く典型的なコンピュータ少年と同じように生きられると無条件に思い込んでいたのかもしれない。
けれどもああやって、私は女性であるというただそれだけで、対等な仲間ではなく男性を喜ばせられる存在かどうかで判断されるのだと知ったとき、否応なしに私はあの典型的なコンピュータ少年達と同じように生きられはしないということを思い知らされた。

沈黙

正直に言えば、私はその言葉を放つ男子学生達にその場で「ふざけるな!」と叫び出したいくらいの心情だった。
けれどもその怒りが、私の長年のエンジニアという夢に対する想いを知らなければ、男子学生はおろか、その場にいた少数の女子生徒にすら意味不明であることも重々承知していた。
ここで怒ったところで、その怒りに至る想いが理解されなければ、ただのいきなり怒鳴り散らす頭のおかしい女扱いされる。下手をすればそのままイジメコースになることすら容易に予想できた。

私はその挟持を傷付ける言葉に、黙って俯くことを選択した。

これが、私が憧れだった大学の入学式の日、一転して涙ながらに帰路につくこととなった顛末である。

実力主義の光と影

あの出来事で酷く人間不信に陥った私が、その後もなんとか大学卒業までこぎ着けられたのは、皮肉にも私の家庭が貧しいために、大学中退ともなれば何処にも行く場所がなかったからだ。
なまじ裕福で大学に入り直す余裕があれば、そのまま辞めていたかもしれないほど、あの言葉に私は打ちのめされていた。

そうこうして続けた学生生活について、大学側の名誉のために言うなら、昨今話題になったどこぞの学部と違い、女性だからという理由で不当に成績を評価されたと感じるような出来事は一度もなかった。
むしろコンピュータに微塵の興味もないのに偏差値だけを理由にあの学校へ来た学生も少なからずいた中、熱心に勉強する私の姿勢は、教える側には悪からず映ったのだろうか。
決して成績も良くない、自分のところの研究室の学生でもない私に目をかけてくれた教授もいた。

けれどもあの男子学生達のような女性に対する価値観と相容れず、エンジニアのコミュニティに参加できないという場面は、大学時代も就職してエンジニアになった今でも幾度となく出会う。
思う様にコミュニティへ参加できないことによる見えない機会損失の大きさに、悔しさから歯を食いしばるような瞬間が未だにある。

ルール上の明示的な差別であれば、外部の監査によって強制的に是正することは可能かもしれない。
けれどこうした既存のコミュニティに存在する人たちの振る舞いを、外部から強制的に変えることは出来やしない。
なぜならその人々は「そのくらいの言動の何が悪いのか」と、全くの罪悪感を抱いていないからだ。

実力の正当評価だけでは決して改善できない世界がここにある。

「そのくらい」と思ったときに考えるべきこと

炎上事件への弁明に「そのくらい」という言葉が聞こえてくることはままある。
私も別に全ての炎上事件について、抗議した側が絶対に正しいというつもりもない。

だがなぜ炎上に至ったのか、その理由についての弁明に「そのくらい」というのはあまりにも無意味過ぎる言葉だと思う。

おそらくそれは「そのくらい」の名のもとに、誰かにとって著しく傷付く出来事が、今までは多数派の圧力によって黙殺されていただけなのだ。
あの日の入学式の私のように。

「そのくらい」と思うようなことがあるのならば、そこにこそ自分の常識の埒外にある想いがあるのではないか。そうやって推察する努力が必要なのだろうと思う。

誰しも一人一人が発信できる時代に、もはやマイノリティの抗議を「それくらい」と黙殺することは不可能なのだから。

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