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作品中での生死観

 現実に生きる分には死に急ぐことはないと思っているし、基本的には『人生ってスバラシイ』ということにして、少々強引にでも生命活動を礼賛するスタンスでいる。現実で死んでしまえばとりあえずそこまで、よほどの偉人か変人、あるいはろくでなしでなければ、後には何も残らない。

 が、感情的な部分を抜きにして事象だけをとらえたとき、選択の自由が本人にある限りは、生と死とは等価値ではないか、とおぼろげに考えている。生き(続け)るも死ぬも未知の体験ということに変わりはないし、死にたくないから生きる人間も、生きたくないから死ぬ人間も、どちらも存在するのは、自然ではないかもしれないにしろ当然ではあるんじゃなかろうかと。世の中にはいろんな人がいるわけだし。
 病気で動けないとか、誰かに理不尽な形で命を奪われる、といった状況だと、また話は変わってくるけれども。

 ただやはり現実の世界で積極的に死を讃えることはできないし、純粋に誰かが亡くなれば悲しい。であるから、創作の物語、フィクションの世界の中ではできるだけ、生を無条件で肯定するとか、ただただ素晴らしいものと説くとか、死を厭う、悲しく惨めなものと決めつける、みたいなことは、しないよう心掛けている。生き様も死に様も、それぞれ主役たちが、また物語が決めていくことでもある。

 しあわせの形は本当に人それぞれで、では一見して奇異かもしれないそれぞれの『しあわせ』をどのように記述していくか……というのは、これからももうちょっと自問していきたいなと思うところ。

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