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気ままに生きてる話

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日常でふと考えたこととか、ちょっとした生き方めいた話とか。
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2020年8月の記事一覧

言葉について考える

 ある人は自らが発する言葉を自分自身であると語り、またある人は言葉は液体だと語った。なるほど己が内から言葉が生じたときその言葉は紛れもなく自己そのものの一部または全体を示すものであろうし、人によって解釈が、また時代とともに言葉自体が様々に変化・変容するとか、善意であれ悪意であれ時おりそれが『沁みる』などといったところを捉えると、確かに液体と呼ぶこともできよう。  言葉、というものについて考えたとき、そういえば私は(自分にとっての)『言葉』というものについて、明確な答えをいま

いつか見た夢の話

 あの夢を見たのはいつのことだったろうか。十年とまではいわないが、六年か、七年か……だいたい、そのくらい前の話になるかと思う。  ある日、夢の中で自分の姿を見た。その夢の中での私は書斎と思しき部屋でデスクに向かい、眼鏡をかけて白いノートパソコンを使っていたのだ。この夢が、とても強く印象に残った。他の雑多な夢はすぐ忘れてしまうのに、なぜこの夢ばかり印象に残ったのか。それは、夢の中で見た自分の状況と、その頃の現実の自分の状況とが、まるで違っていたからだ。  まずその頃の私は27イ

コンプレックスは武器になるか

 基本的には自分大好きでそれほど隣の芝の青さを気にしない方だと思うのだけど、それでもやっぱりあこがれというか、羨望のまなざしを向けてしまうものはある。ここ最近でもっともわかりやすく、もっとも目につきやすいのはTwitterや、ここnoteのフォロワー数だ。  フォロー数に対してフォロワー数が非常に多い人。芸能人著名人でなくても、クリエイターの中にそういった方は一定数いて、そういう風になりたいなあ、などと、何となしに思ってしまう。創作なり発信なり、精力的に活動してきた結果そう

つくってあそぶぞ

 最初にきっぱりはっきり言っておくと、つくるのは楽しい。 『つくる』とひと口に言っても、何をどのようにして作るかは人それぞれだ。音楽、イラスト、服、ハンドメイドの小物雑貨に、ここnoteなら文章で物語や詩、随筆なんかをつくっている人が多いかもしれない。  じゃあ、『つくる』という行為がなぜたのしいのか――『つくる』ことをきっかけに、それまでにない経験が増えていき、新しい仲間ができ、新しい世界がどんどん広がっていくから――というのはまあ、間違いではないにしろ『そうなったらも

『いつか』

 夢を見ている。  やりたいこと、なりたいもの、手に入れてみたいもの、創りあげたいもの。そのうちのいくつかは、本当に叶ってもいる。けれど。  夢や理想を思い描いて進むとき、ついつい『いつかきっと叶える』『いつか必ず』と、漠然とした『いつか』へと、ひた向きにがんばってしまうことがあったような……気がしている。それ自体が悪いことではない、けれど。  じゃあ『いつか』ってのは『いつ』だ。  何だかそんなようなセリフを、『南国少年パプワくん』の中で見た覚えがある。その時……普通にマ

のんびりと信じていよう

 夢を見ている。ただ、現実も同時に見ている。  わりと幼いころから、叶えたいこと、いわゆる『願い事』があるときには、それを紙に書いて分かりやすくしたり、自分ではない何者か、神や仏などに強く祈ってみたり、大きく声に出してみたり、ということをやってきたような気がする。たとえば七夕の時に書く短冊など。  それらが特別悪いということでなく、目標設定、決意表明、あるいはそういう目標をついつい忘れがちになってしまう自分への戒め、などには非常に効果的だと思う。しかし、あんまりしょっちゅう

作品中での生死観

 現実に生きる分には死に急ぐことはないと思っているし、基本的には『人生ってスバラシイ』ということにして、少々強引にでも生命活動を礼賛するスタンスでいる。現実で死んでしまえばとりあえずそこまで、よほどの偉人か変人、あるいはろくでなしでなければ、後には何も残らない。  が、感情的な部分を抜きにして事象だけをとらえたとき、選択の自由が本人にある限りは、生と死とは等価値ではないか、とおぼろげに考えている。生き(続け)るも死ぬも未知の体験ということに変わりはないし、死にたくないから生

誰にも止められはしない

 若い頃を思い出す、なんて書いてしまうと本当に年だけ食ってしまったような気分になるが、あんまり実年齢と精神性が乖離するのも問題だろうからこのまま続ける。  若い頃――具体的には十代の後半、高校生活も半分を切ったあたりだろうか。その時の自分は、ある程度のことは何でもできると思っていた。苦手教科を克服して成績も上がり、なんだ案外やれるじゃん、なんて自信がついちゃったのだ。今になって考えればなんとも些細でちっぽけな、せいぜい学校の中くらいでしか通用しなさそうなまやかしの全能感。けれ