くだらないの中に愛が
正直、別れを考えたのは一度や二度ではなかった。
恋人とつきあって約5年、同棲を始めてからは3年が経つ。
いつかはできたらいいな、くらいだった結婚願望がいよいよ深刻になってきたのがここ2年。話し合いを持ちかけたり、友人をけしかけたりしたのも一度や二度ではない。
それでもなかなか踏ん切りがつかないらしい彼の様子を見て、かなしみ・憤り・怒り・嘆き・知人の結婚報告を妬み(SNSをミュートし)、負の感情は一通り経験した。みにくい自分を嫌というほど知った。
それ以外にも、5年そばにいたら何もないことはないもので、もう別れたほうがいいんじゃないかと何度か真剣に考えた。当然向こうも考えたことはあると思う。
それでも別れに踏み切れなかった最大の要因は、顔である。
うそやんと思われるかもしれないが、これがまあ侮れない。わたしは彼の顔が好きだ。いちばん好きなところは顔といっても過言ではないくらい、好きだ。
一度、よもや破局かというほど深刻な事態に陥った際も、苦悶の表情を浮かべる彼を見て(なーんて綺麗な顔なんやろう……わたしが一生懸命シェーディングしてる場所に勝手に影できてるやん……)と場違いなことしか考えられなくなり、うやむやにしてしまったことがある。
以来、恋愛関連の話になると「結局大事なのは顔」と力説しているのだが、我ながらなかなか信憑性が高いのではなかろうか。
*
1月下旬のある日、「仕事で淡路島のオーベルジュから招待が来たから一緒に行こう」と誘われた。
恋人は仕事柄、たまにそういう機会がある。以前もご相伴に預かり、高級温泉旅館に宿泊させてもらったことがあった。
タダで良いとこのフルコースが食べられるなんてラッキーである。調べてみると雰囲気もべらぼうによいし、かなり楽しみにしていた。
当日、通されたのはずいぶん広い個室だった。
昔の貴族がごはんを食べていそうな、重厚感のあるクラシックなお部屋。テーブルがでかい。正面に座る恋人との距離が遠い。
そのうえお品書きを見ると、お肉もお魚もある品数のやたら多いコースである。めっちゃ豪華やん!こりゃあ取引先の方ふんぱつしたな!と興奮しながら口走った。後に、ふんぱつしたのは取引先の方ではなかったことを知る。
コースには、淡路3年トラフグをはじめとした淡路の食材がふんだんに使用されていた。
聞いたことのない調理法に見たことのない盛り付け、何もかもうつくしくておいしくて、終始感激がとまらない。
特に感動したのは「淡路3年トラフグと白子のベニエ 淡路藻塩添え」。
衣がものすごく薄い。かじると"サクッッ!"と音がする。"サクッ"ではなく"サクッッ!"である。薄焼きのポテトチップスに近い食感。
大好物の白子はねっとりクリーミーでホワイトソースみたいな口当たり。はい〜ありがとうね〜と拝みたくなるおいしさ。恋人が自分の分をくれたのでにこにこしながら食べた。
白子がおいしいのはまあ当たり前として、トラフグのほうもすごかった。白身魚の淡白さをたたえながらも、なんて滋味深いお味なのか。ほろっとくずれて旨みの余韻だけが口に残る。慈しみ惜しみながら食べた。もっとたくさん食べたかった。
その後も「淡路魚介のカルタファタ包み」、
「淡路ビーフの薪焼き」とコースは進み、
「淡路3年トラフグのリゾット」で食事は〆。
*
くちたお腹をさすりながら、お口直しの洋梨のコンポートをいただいていると、恋人がお手洗いに立った。
スマホを取り出し、先ほど撮った写真を眺める。この日の氏はスーツにベスト、淡路へ来る前に買ったシックなネクタイを身につけており、非常に格好良かったのだった。
様子がいい彼の写真を無心でスクロールしていると、ふと個室に人が入ってくる気配がした。
店員さんかと思い、スマホを置いて姿勢を正すと、後ろからデザートプレートが置かれた。何やらメッセージが書いてある。
なにか、メッセージが、書いてある。
このあたりから記憶が曖昧なのだけども、たぶん結構大きな声が出たと思う。
えっ?えっ!?と動転しながら振り向くと、そこには花束を抱えた恋人が立っていた。
ものすごく混乱しているのに、涙は勝手にとめどなく溢れた。まったく想定していなかった。頭が真っ白になる。でも涙はとまらない。
動揺しすぎて椅子に固まったままのわたしに、恋人が立つよう促した。
ひと抱えもある大きな花束を差し出された。バラだ。赤い。
待たせてしまってごめんね、と言う。今となっては「そうだそうだ!」「待たせすぎだ!」とヤジを飛ばす元気もあるのだが、このときは当然それどころではなかった。
号泣ってこういうことをいうのだなと思うくらい、声をあげて泣いてしまった。信じられない思いだった。
夢にまで見た"ひざまずき指輪パカリ"が行われたのち、「聴いてほしい曲がある」と促されて個室を出た。
ピアノの前のテーブルに案内されて席に着くと、ピアニストの方が演奏を始めた。イントロを聴いた瞬間、ほんの少し引きかけていた涙がまたどっと溢れた。
曲は、星野源の「くだらないの中に」だった。
それはもう大正解の選曲やん。
自分たちの暮らしみたいな歌詞だから、と言う。綺麗なことや正しいことばかりではない、他愛もないくだらない日常の中にこそ愛が。そうやね。こんなふうに暮らしてきた。
心が揺さぶられて仕方なく、いっこうに涙がとまらなかった。嗚咽していると、隣のテーブルのご家族の「めっちゃ泣いてる(笑)」というささやきが耳に飛び込んできた。聞こえてんで。
演奏が終わると、余韻にひたる間もなくお隣のハッピーバースデー(生歌唱付き)が始まり、おもわず吹き出した。
そこで、ようやくひと心地ついたのだった。まごうことなきプロポーズだった。
もちろん仕事の招待などではなく、ふんぱつしてくれたのは恋人なのであった。着席した瞬間、「わーいタダ飯や〜!」「ピアノの人ってバイトかな?」とか口走って本当にすみませんでした。
*
永遠というものを信じていない。指数本で足りる程度ではあるが、これまでの人生で幾度か失恋を経験して、信じきるのはもう絶対やめようと心に決めた。信じていたものがなくなるくらいなら、最初からすべてを委ねないほうがいいのだと思っていた。
婚姻制度のことも過信していない。所詮は紙切れ一枚のこと、このご時世3組に1組の夫婦は離婚するのだというし、将来別の道を歩む可能性は十分あると思っている。
でも。
それらを踏まえてもなお、今たしかに「一生一緒にいたい」と思ってもらえていることが、途方もなく尊い。
わたしが結婚したかった理由はそれだった。先のことはわからないけれども、少なくとも今は、あなたと一緒に生きていきたいと思っています。わたしは恋人に対してずっとそう思っていたから、同じふうに思ってもらえたらいいなと願っていた。だってそんなに誠実なことってないだろう。それ以上の約束ってない。
恋人の性格をひと言で表すならば「自由」である。
何からもだれからも縛られたくないのであろうことはひしひしと伝わってきたし、だからこそ将来の約束もしたくなかったのだろうと思う。
その自由さこそが彼を愛する所以でもあったが、こと結婚に関してはずいぶん気を揉んだ。相手の描く人生設計に自分が含まれていない気がしてずっと切なかった。そんな彼が心を決めてくれたことが、今は本当に本当にうれしい。
*
寝不足で迎えた翌日の朝。通勤中にふと、aikoの「愛は勝手」が浮かんだ。
へんに真面目でめんどくさくて偏屈で、おまけにずぼら。自分の欠点はいやというほど理解している。
こんなわたしと一緒に生きてくれるんやね。生きるって言いましたね。聞いたからね。ありがとう。
「幸せにしてください」とも「幸せにします」とも思わない。ただふたりで手を取りあって、微熱くらいの温度でそれなりに暮らしていきたい。
くるくる踊ったり、寄りそって眠ったり、おいしいものをほおばったり、げらげら笑ったりわんわん泣いたり、根気強く向き合ったり適度にあきらめたり、お互いを見つめながら生きていきたい。
でもつかれたらたまに目を逸らしてもいいよ。きっとまだまだ相手のことなんてちっともわかっていないから、いつか終わりが来たときにでも、答え合わせするつもりでわかっていきたい。
その日までどうぞよろしく。
あなたの隣で生きていきます。
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