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いと愛しき渡嘉敷のこと

3月なかばの一週間、恋人と沖縄旅行にいった。
本島の観光に加え、彼がかねてより行きたがっていた慶良間諸島での滞在を計画。まずは座間味島に立ち寄り、そのあと渡嘉敷島にわたって一泊することに決めた。那覇市の泊港から、フェリーで約70分のところにある小さな離島である。

正直なところ、離島にさほど興味はなかった。
豊かな自然でしょ? あったかい地元民でしょ? おしゃれなお店もコンビニもない不便なところ、わざわざ船に乗ってまで行く必要ある? というのは言い過ぎだが、少なくとも積極的に行きたいとは思っておらず、一週間那覇にいるのも退屈だしなと思ってなんとなく恋人に同意した(そもそもわたしは旅の計画を立てることすらめんどうなものぐさ人間なので、決めてくれるのならどこでもよかった、ともいえる)。

ところがどっこい、いざ滞在してみると、想像以上の世界がそこには待ち受けていたのだった。
とはいえ、従来抱いていたイメージ(豊かな自然・あったかい地元民・おしゃれなお店もコンビニもない)を覆すものではなく、むしろその通りであったのだけれど、そのあまりの良さにすっかりとりこになってしまったのである。

座間味島から阿嘉島を経由しておよそ35分。
海を切って勢いよく突き進む小型船はたいへんに爽快だった。到着後、港からほど近いペンションのチェックインを済ませたのち、身軽になった我々はさっそく散策に繰り出した。

宿の前の道をまっすぐ進むと、ものの3分で阿波連ビーチにたどり着く。繁忙期はさぞ人でいっぱいなのだろう浜辺はしかし、プライベートビーチかと見まがうほどがらがらだった。

浅瀬の透きとおったみずいろは、幼いころによく遊んでいたとっておきのビー玉の色に似ていた。浜辺からの距離が遠くなるにつれて深い蒼色へ、つくりものみたいに綺麗なグラデーションに思わず見とれる。きめの細かい砂を踏みしめて歩くと、足の裏にたしかな重力を感じた。海もわたしも生きている。
日暮れのころに再び訪れることにして、ビーチはそこそこに切りあげ引き返し、集落をでたらめに歩きだした。

角をひとつ曲がるたび、のどかな景色を目にするたび、どこか懐かしい既視感のようなものがだんだん強くなってゆく。
この島のことを、わたしはずっと前から知っている気がした。というのも、大好きな江國香織さんの小説『すきまのおともだちたち』に出てくる”すきま”の世界にどことなく似ているからなのだった。

ところが、旅行を終えてから読み返してみたところ、わりと異なっていたので拍子抜けすることになる。
一人きりで暮らすおしゃまな「おんなのこ」や、自動車の運転も難なくこなす年取った「お皿」、豚の紳士や靴屋を営むネズミなんかがみな対等に生きている”すきま”の世界。そこは小さいながらも結構栄えていて、素朴な雰囲気が漂いつつもどこかこじゃれており、気の利いたスープを出すレストランも、足にしっくりとなじむ靴を売る靴屋も、町をぐるっと回る鉄道もあるのだった。

対する渡嘉敷島はといえば、鉄道はおろかタクシーすら非常に限られた台数しかなく、買い物ができるのは集落に一軒きりの商店のみ。平屋の民家や古めかしい民宿がぽつぽつと並ぶ、ひなびた集落。島では人間よりも猫を見かける回数のほうが圧倒的に多く、そして彼らは一様にのびのびと我が物顔でくつろいでおり、我々の歩行を邪魔しながら足にまとわりついてくるほど人なつこいのである。

なのにどうして、あの本に出てきたあの町だ! と感じたのか。
それはきっと、島全体に漂っていたそこはかとない非現実感のせいだと思う。

両者に共通するのは、一見ファンタジーのように思えるけれども、そこにはしっかりと地に足の着いた暮らしがあるのだということ。
自分の暮らす街とはかけ離れた場所でも、もちろん人は生きていて、それぞれの生活がきちんと営まれているのだ。他者のテリトリーにおじゃますることで、非日常感を堪能させていただく。自分にとっての非日常が誰かにとっての日常であることが、とてもふしぎで愛おしく思えた。

車も人もほとんど通らないその島は、びっくりするくらい静かである。耳に届く音といえば、鳥の鳴き声と木の葉ずれと海のさざめきくらいで、世界はこんなにもしんとしていたのだったかと驚く。3月中旬の快適な気候のせいもあり、とても本当のこととは思えないほど平和な空気が流れていた。まるで時間が止まったかのような。

おだやかに降る日差しと、ときおり流れるゆるい風が、まるでやわらかなバリアのようにわたしの体をまもってくれる。あまりにも心が気持ちよくて、たまらず道のまんなかで立ち止まって深く息をした。閉じた目をひらいたあとで少し視線を上げてみると、くっきりと濃いみどり色の山々と突き抜けた青空が惜しみなく広がっている。泣きたくなるくらいきれいだった。

この世に生を受けて23年もの間、その名前すら知らなかった小さな離島。
海辺を歩き、山を眺め、夕焼けをたしなみ星空に息をのみ、散歩をしてごはんを食べておひるねをして、ああなんと無為で贅沢な時間であったことか。
ペンションの主人が開口いちばん「海と山しかないですよ」と笑ったその島で過ごした2日間を、何にも代えがたい宝物のように思っている。きっとこれからも思いつづける。

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