障害や病気は絶対的なもの
以前、脳損傷者の支援をしていた時に、当事者間で、若干の障害マウントのようなものがあった。
きみはいいよね。受傷後も仕事に戻れて。私なんて復職できなかったから、もう大変で。
あなたは歩けていいよね。僕なんて車いすになっちゃって。
おたくは話せていいわね。うちの主人は言葉が話せなくなっちゃって。
内容が障害なので、ちょっとドキドキするけど、似たような弱者マウントは私たちの日常にもある。
お子さん、頭よくていいわよね。うちなんて…
ご主人が健康で良かったじゃない。うちなんて…
もう住宅ローンが終わったの?うちなんて…
苦労を伝えたいマウントというのか。
でも、もともと比較すべきことではない。それぞれの人生には、それぞれに大変なことがある。どんな弱点も障害も、その人にとっては一大事で、自分の中心にあるもの。
例えば一卵性双生児の兄弟だって、別々の人間。
ましてや赤の他人。比べてどうするのって感じ。
支援者として工夫していたのは、その人を「絶対的存在」として見ること。その人の背景を理解し、できなくなってしまったこと、できるようになりたいことに耳を傾けること。
特に病気や障害のことは、まったく同じ条件や背景で、全く同じ状態の人なんて、絶対にいないのだから、比較しちゃいけない。
それが本当によく分かるのが介護。
「父が認知症で」そんな人は今の日本大勢いる。
でも、その父親がどんな人生を送ってきたのか、どんな性格なのか、家族の中でどんな役割なのか、どんな症状があるのか、それで困っているのかどうか、何に困っているのか、何は困っていないのか、誰一人として同じ人はいない。だから、「あなたの場合は、うちの場合よりまし」とか「うちみたいに、内臓の病気よりいい」とか、そういうことを言ってはいけない。
もっと「絶対的」なものだ。
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