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下手に手伝うと、逆に可哀そうなことになる

子供のことを、親が先回りして、いろいろやってあげると、その子供はそれらのことを自分でできなくなる。
例えば、左右の靴を間違えないように履くという行動は、何度か間違えてこそ身につくものだ。間違いとはどういう状態なのかを体感しないと、成功は成立しない。
大抵の靴は、左右反対に履くとと気持ちが悪い。だから自分で気がついて直す。脱ぐ時に乱暴に脱ぐと、揃えた時に左右が反対になることもある。そういうことも、経験すればわかる。
そこ親が先回りして直してあげたり、かかとにマークをつけて、どちらが左でどちらが右か分かるようにしてあげたりすることは、結局、その子のためにならない。
親は、一生その子の靴にマークをつけられるわけではないし、その子の靴を直して履きやすいように揃えてあげることもできない。

実際にそれを大人になっても続けている親子もいる。本当に、その子供は自分で何もできない人間になってしまった。靴に限らず、何もできないのだ。

着替えを揃えてあげるだとか、持ち物を用意してあげるだとか、そういうことも同じだ。やってあげる限り、自分でやれるようにはならない。

ところが介護はちょっと違う。逆にだんだんとやれなくなるのだ。やりたいと思ってもできなくなるのだ。「脳トレ」だと言って訓練していたのもつかの間、本当にできなくなる。危険が伴うようになる。

例えば料理。料理は本当に脳トレだ。材料を揃えること、適切な大きさに切ること、複数のメニューを作る場合の手順の複雑さと言ったら、どんなパズルよりもリアルに難しい。

でも年を取ると、だんだんできなくなる。そのメニューを作るのに、何が必要なのか分からなくなるし、買い忘れも多くなるし、手順も分からなくなるし、何しろ火が危ないし。

だから宅配の介護食を頼んだり、家事支援を頼んだり、そういう状態になっていく。ここでどこまで踏ん張れるか見極めるのがすごく難しい。

私は、数回母とキッチンに立って、無理だと思った。父が入院中で一人暮らしのような状態の時は、一人分だし、何とかなると思ったが、父が退院したら、父の介護もプラスされる。だから、火を使う夕食は毎日介護食の宅配を考え、妹に提案した。

でも、妹は、できる限り自分で準備させたいという。火を使わない方法でいいからという考えで、二人で話し合い、そのようにした。

ある程度できるうちから、下手に助けてあげると、逆にかわいそうなことになる。お姉ちゃんがいつでも手伝ってあげられるわけじゃないんだからと。

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