見出し画像

果たして私は憧れの女性になりたいのか

以前ビジョンボードを作った時に、私の理想像として、夏木マリさんを写真に選んだ。ビジョンボードの記事はこちら。

夏木マリさんを写真に選んだけど、実はもう一人憧れの女性がいる。それは天海祐希さん。私の中では、この二人は全然違うタイプなんだけれども、他の人の感想を聞くと、いやその二人は同じだと皆笑う。確かに女性を夏木マリグループかそうでないかの2つに分けたら、天海祐希さんは夏木マリさんと同じグループに入るかも(笑)

で、以前、ある企画で自分のヒロイン像をあげてみようというものがあって、その時私が名前を挙げた人たちのことを思い出した。

映画のヒロインで
『ニキータ』のヒロイン、アンヌ・パリロー
『キル・ビル』のヒロイン、ユマ・サーマン
『エイリアン』のヒロイン、シガニー・ウィーバー
『羊たちの沈黙』のヒロイン、ジョディ・フォスター
『SPEC』のヒロイン、戸田恵梨香

彼女たちの特徴は、
・冷静である
・頭脳明晰である
・疲れない
・美しい筋肉
・ストイック
・孤独を選んでいる
だ。

なぜ憧れるのかということを考えると、やはり私にないもの持っているからではないか。
しかし、自分が元々持っていないものは、どう鍛えても、彼女達のレベルに持って行くのは、無理なのではないだろうか。
これはもう「憧れ」というより「ないものねだり」に他ならない。
例えば「冷静である」「頭脳明晰である」ことは、今から取り組んで多少効果はあるかもしれないが、ヒロインにあげた人達のレベルには行き着かない。「美しい筋肉」などは、ほぼほぼ「悪あがき」でしかない。「孤独を選んでいる」というような雰囲気も、私には一生醸し出せないような気がする。

こうなりたいと思う理想像って、自分の延長線上にはないのかもしれない。だからこそそこに向かおうという原動力が出来るのかも。想像できる範囲の自分の未来像の自分は、想像の範囲の努力でたどり着けるけど、想像の範囲外の理想像にたどり着くには、自分が思ってる以上の努力をしなくちゃいけなくって。それぐらいの努力をしないと近づけない。憧れって、そこに意味があるのかもしれないよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?