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適性検査の作文は、書く面接だ

文章力養成コーチの松嶋です。

国語力があるかどうかを見ているんじゃない

私が初めて都立中高一貫校の生徒の受検の指導をしたのは、もう、かれこれ20年近く前になる。そのころは、過去問もあまり存在せず、どのような課題が出されるのかも誰も予想できなかった。

私立の中学受験とは全く別のスタンスでということで、いわゆる、国語力を見るものではないだろうというのが私の予想。作文には、出来事に対する姿勢みたいなものがにじみ出てくるから、適性検査の作文は「書く面接」のようなものになるんじゃないかと想定し、指導方法も工夫した。

いわゆる「てにをは」を直したり、漢字のミスを修正したりすることではなく、簡単に言えば「ボーっと生きてんじゃないよー」とチコちゃんばりに指導していた。

例えば、環境問題について。
集団塾だと、たぶん、こういう切り口の問題が出ますよとか、それにはこんなふうに答えると加点されますよとか、そういうノウハウありきで指導があるんだけど、あらゆる角度から環境問題について語れる、体験と思考が必要。

例えば、二酸化炭素の排出を減らすために牛肉を食べないようにするのは有名はネタだけど、じゃあ、牛肉の代替肉は美味しいのか、人間がそれに耐えられるのか?という小学生ならではの切り口で語ると断然いい。そのためには、一度代替肉を食べる必要があり、そこには知識欲、探求心、好奇心が必要。
だけど、好奇心に関しては、受検が近づけば近づくほど、勉強以外に傾けてはいけないものになっていってしまう。「そんなこと言っている暇があったら、1問でも多く、算数の問題を解きなさいとかね。

面接と似ているのは、その場限りの受け答えでは、採用されないってこと。こう聞かれたら、こう答えるといいみたいな形では
「ぜひうちに来て勉強してほしい」という子に見えない。

どんなに小さい、どんなにくだらない体験でもいい。そこから、子どもらしい好奇心で、十分な深い思考をすれば、その子はもうかっこいい。

そういうトレーニングを小さい頃からしていると有利だよね。

小論文でもそう。例えば、少子化が悪者みたいに言われているから、少子化の課題が出たら「少子化を食い止める工夫」みたいなことを書けばいいと、塾では教わる。

でも、少子化は、食料自給率が低い日本には、食糧難にならずイイみたいな子供らしい考えもある。あるのに、正解を装った偽物に丸め込まれちゃう。
「そんなこと書いたら落ちるよ」って。

でも、自分の頭で考えた答えがそっちだったら、そして、否定されなければ、「少子化は案外悪いことでもないのかもしれない」という作文も十分書けるわけ。そもそも意見文に正解なんてないんだから。

算数の問題のように、正解なのか、正解に一番近いルートでスマートに答えているかどうかを見る科目じゃないしね。

そういう意味でいうと、今までの人生でのものの見方を問う、面接に似ているのかもしれない。


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