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このnoteでわたしは、自分に正直になる

ここ数日、連日投稿したおかげなのかスキをいくつか頂きまして、ありがとうございます。
スキとコメントの通知は、いつ見てもキュンキュン出来て有難いかぎりです。

今朝、𝕏で流れてきた動画を見て、不意に涙を流してしまってる自分がいた。

これの私は、何に感動してたか。
父親としての愛情と、夫としての妻への愛情をどっぷり感じてしまったから。
かわいい娘が、彼氏に浮気されて別れたことにより家が無くなり実家に帰ったのなら、可哀想に。。。大変だったな。
なんて言葉をたやすくかけてしまいそうなもの。

だけど、この父親は違った。
その彼氏についてなんて、眼中にいれてない。
娘の人生を真っ直ぐに考えて紡ぎだされてく言葉たちが、愛に溢れて居た。

『ぬるいんだよ』


このワードが、異様に突き刺さった。
昭和の時代を生き抜いて家族を養ってきた父親にとってみると、おそらくこの令和の時代を生きている私たちのことは、ぬるいものに見えてしまうと思う。
だけど、昭和だろうが令和だろうが、ぬるいことやってちゃ自分の夢なんて叶えられない事に違いはないんだと思う。
多少根性論みたいなところもあるけれど、それくらいしか娘のためにしてあげられる事がないんだと思った。

自分がどうしたいか

最終的にどんな壁にぶつかっても、答えを出すにはいつもココに辿り着く。
自分がどうしたいのか。
自分を助けてあげられるのも、自分しかいない。
いやいや、友達や家族にだって助けられたりしたことあるよって言う人もいるだろう。
確かに、気にかけてくれたり、外に連れ出してくれたりして支えてくれる存在ではある。
けど、それは家族や友達と一緒に過ごす時間の間だけ救われてる感じがしてるだけで、『ありがとう。またね。』と別れた瞬間、そこからどの道を選択していくかは、自分なのだ。

自分に嘘をつく事は出来ない

本当はこうしたいのに、人の目を気にしてそんなこと恥ずかしくて言えない。
こう思ってる人は、少なくないだろう。
それを続けて幸せになれるかと言えば、そうではないと私は思う。
自分に嘘をついてちゃ、自分に失礼だと思う。
自分に正直になれなきゃ、誰が本当の自分を愛してあげられるんだろう。

私は、自分に嘘をついている時、どうにも鳥肌がたってしまう。
心の中で、本当は違うことを思ってるのに、何言ってんだ?!って。
最近、その瞬間をよく感じ取ってしまう事が多かった。
だから、もっと自分に素直になろうって意識してる。
鳥肌や違和感を感じた時は、自分に質問してみる。
本当に、そう思ってる?って。

もっと自分と対話して、自分を知って、自分を信じてあげられる人になりたい。
そのためにも、日記を書く、思ってることを言語化することはとても大切らしい。
だから私は、自分のためにnoteを書こうと思った。
自分のために、アウトプットを極めていこうと思った。


もし宜しければ、サポートをお願い致します! そのサポートでさらに自分をアップデートさせていきたいと思います。