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年が明ける前に2021年の抱負を言ってみる

8月から7階に住んでいる。周りに高い建物がほとんどなく、狭い部屋の中からでも広い空が見えることに、「外出自粛」やら「ステイホーム」やら「在宅勤務」やら、これまであまり耳にしなかった言葉で呼ばれるようになった2020年の日常生活が少し救われたように思う。

空が絵画のようになっている瞬間、思わず写真を撮りたくなる。でも、「このメール返してから」「これをツイートしてから」「この動画を見てから」なんてことを考えて数分後にスマホやフィルムカメラを持って窓を開けると、空の色はすでに変わってしまっている。普段の自分の行動リズムに自然は合わせてくれない。

2021年は、より一層、「一瞬一瞬を楽しむこと」を大事にしたい。

「なにそれめっちゃあほっぽいや〜ん」なんて関西弁のツッコミが聞こえてきそうだ。


「一瞬一瞬を楽しむ」ということには、3つの意味を込めている。


まず1つ目は、人間は今起きていることよりも過去や未来のことを頭の中に浮かべている時間が長いと言われているが、やっぱり、目の前で起きていることを精一杯理解して感じ取って生きていたいから。過去の憎しみや未来への心配など、考えたってなにも動かないことで頭の中をいっぱいにするよりも、「今」を見つめていたい。これはマインドフルネスの基本でもあり、昨年のコーチェラでビリー・アイリッシュがこういったメッセージをMCで話していたことも記憶に新しい。今ライブで演奏されている音、今目の前にいる人の表情、今口の中で噛んでいる食べ物の味の変化、今手に持っているものの感触、今いる場所の匂い、今起きたことに対する自分自身の心の動き。31年間生き急いできたような感覚もある私は、そういったことを蔑ろにしてきたと思うからこそ、二度とこない「今」の感じ取り方を変えたいと考えるようになった。


2つ目は、「1年後」ではなくもはや「1か月」がどうなっているかわからないような見通しの悪い世の中だけど、未来を感じ取るための一番のヒントは「今」にあるから。今を深く知ることで未来を知れる、と一面だけを切り取ったような断言の仕方はしたくないが(過去を知ることで未来を予測できる側面も大いにある)、今なにが起きているかに気づかなくては未来に備えることもできない。


そして3つ目の意味は、どんな瞬間も「楽しい」に塗り替えていきたいという願い、というか、心構え。料理を焦がして凹んでも一緒に爆笑したり、なんでもない時間にふざけた仕草を見せたり。自分の機嫌は自分で取るものだし、ちょっとした表情が自分の精神や人間関係をいい形で保つことにつながっていくから。自分が恥ずかしくなるような局面や、言いづらいようなことや真面目な話、正論を伝えたいときにこそ、ユーモアを。

人は誰しもがぎりぎりのところを歩いてる。人に優しくすること、約束を守ること、毎日学校や会社に行くこと。世の中の「ちゃんと」はかなりレベルが高い。今日を平穏に終えても次の日になればまた真面目さを求められる。生きることにはあらゆる責任感や緊張感がまとわりついている。すべての人間がふとした瞬間に「もう無理」「どうでもいいや」と足を踏み外してもおかしくない。だからこそ。

2020年、ありがとうございました。昨日、今年最後のインタビュー取材で、彼女に「今年を漢字で表すなら?」という質問をして悩ませてしまったあいだ、心の中で自分にも同じ質問を投げてみた。

今年を漢字一文字で表すなら「変」でしょうか。変な1年だったし、変わらざるを得ないこともたくさんで、自分も周りも変化が多い1年だった。感じたことや考えたことはやまほどあるし、お礼を伝えたい人の顔もたくさん浮かぶ。

自分のことを誤解したり陥れようとしてくる奴もいるけれど、私以上に私の能力に惚れて信じてくれた方たちに、たくさん成長させていただいたし人生を楽しくしていただきました。そんなことを、12月30日に想います。

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12月30日の午前中にここまで書き上げていて、午後にピクサーの新作映画「ソウルフル・ワールド」(今月25日よりDisney+にて配信中)を見たら、まさしくこういったメッセージの映画で、あまりにもハマりすぎててびっくりした。大傑作でした。

「I’m gonna live every minute of my life」




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