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母とは自分にとって何か

母親について思うことを書いてみようと思います。
わたしにとっての母は・・・。一言では言えない。大切なようで、足枷のようで、自分を飼っている主のようでもあり、自分が守っている存在のようでもあります。

弟が言った。「俺たちはお母さんに飼われているのだ」とある時口にしていました。その言葉を聞いたとき、なるほど、と思いました。

飼われているというのは穏やかじゃないんですが、どういうことかというと、地域性も関係しているし、生家が自営業なのも関係しているし、父が早くに亡くなったことも関係しているのです。

こと岐阜県という地域においては、「子どもが都会から帰ってきて一緒に暮らしていること」はステイタスの一つに数えられているところがあります。
これは本当にそう実感します。
24の時かな?焼肉屋に家族で行っていて、そばを通りかかった父の知り合いが、
「しょうちゃん、ええなあ娘が帰ってきて」
と言っていました。本当に心からそう思っているという風でした。

ですから、娘と息子が同時に家の仕事を継いだり手伝ったり、というウチは、親孝行の極みなわけです。笑
弟にとって好んで選んだわけではない道でしょうし。
私にとっては祖母にいびられながら仕事を覚えて針のむしろだったわけですが。
母親にとっては最高でしょうね。せっせとご飯を作ってくれます。家事も進んでやってくれます、・・・いつまでも子どものわたしたち。

でもわたしは43歳にもなって、ここから出ていくことを夢見ています。
弟は結婚して、住所だけでも出ていきました。
わたしは継がなければいけない理由はないし、母親ほど商売が上手くないでしょう。する義務もありません、能力としても追いつきません。

じゃあなぜ出ていけばいいじゃない?
実行すればいいじゃない、と思う。何を躊躇うことがある?
自分の人生じゃないか。

正直にいうとすれば、母親が応援してくれないので怖くて出ていけない。というのがあります。母親は出ていきたいと言えば、「いつでも勝手にどうぞ」と言っています。失敗するに決まっている。そう母親は思っている。
むしろ失敗して欲しいと思っている。そう母親は思っている。わたしの中の思い込みでしょうが、「頭の中で母の声がする」。のです。
「あんたは一人でやっていこうとして失敗したやないの。わたしはもう失敗するあんたを見たくない、傷つきたくないのよ」

母に「それみたことか」と言われるのが怖い

母は知っています。
上手くサボってばかりのわたし、他人のしらない汚部屋に住むわたし、体調を崩しやすいグチの多いわたし・・・。

もし家を出て行って、一人になっても、母親は電話なんか掛けてきません。
自分の仕事で忙しい母は、わたしに関心がないふりをします。
自立した母親のふりをします。
わたしは母親が鬱陶しいです。自分のそばにいるのが正解だと態度であらわしている母親が、嫌いです。
奪うようにしてわたしの身の回りの世話を率先してやる母親が嫌いです。
いつまでもわたしを認めない母親が嫌いです。
わたしは母親を幸せにする道具じゃない。
条件付きで「いい子だね」と言われて育ったわたしは、今でも母親の点数を稼いでいます。
あの頃から何も変わらない。
悲しくって、悔しくって、涙が出ます。

母親は大掃除をしません。
わたしが大掃除をしています。
心のゆとりがなかったというけれど、それは嘘です。
あの人は、わたしたちの「ため」という大義名分がないと動けないだけです。
商売は好むと好まざるとに関わらず、もう人生の一部かもしれないけど。
家をきれいに保つことに価値を感じない母親です。

価値を感じるのはわたしたちを「食べさせる」こと。
わたしたちが「してもらった」という感じを受けることなら、本当にこまめに動くことをします。
けれど、今年の冬に脱衣所やトイレの大掃除をしていて思いました。
母が大掃除しているところなんて、見たことがないな、って。

わたしは自分の身の回りのことはあまりできません。
でも、大掃除はやる気がします。
身の回りのこともできないわけではないけれど、
母親に自分の領域を触られると、全て、腰を折られたような気分しかしません。
時間があるなら大掃除すれば良いのに。と思ったりします。わたしは自分のペースで自分のことをやるので、放っておいてくれたら良いのです。

過干渉は人をダメにする

わたしは移住したいのか、母親の過干渉から逃げたいのか、よくわからなくなってきました。多分両方なのですが・・・。
精神的に疾患があるのは、母親の近くにいる理由になり得ました。
今の地元に留まることは、障害年金を受け取ることができて、最高にアドバンテージを得られました。

でも、それらを全部捨てて、どこか知らない土地で、海の見える土地で暮らしたいです。
自由になりたい。もっと大きく息を吸いたい。自分の好きなペースで暮らしたい。

現実を見ればわたしには大した収入はなくて。
セラピーをしていても、まだ駆け出しですし。固定のクライエントさんもそういるわけではないし。イラストなんて定期的に入る仕事ではありませんし。
それら👆で収入をあげようとしたら、他のことに使ってる時間を回さなければなりません。

自分の収入を頼りにして移住する日なんて待っていたら、80歳になってしまうんじゃないかと最近、思います。

このまま親元で暮らして、老いた母と寄り添って、老いた娘は地元にいるべきなのでしょうか?
もう何かに挑戦するのは限界の歳なのでしょうか?
わたしはどうしたら良いんでしょう?
人に迷惑をかけた分だけ、心配をかけた分だけ、詫びながら生きなければならないでしょうか?
もう挑戦なんてやめてくれという顔をされて、一体、出ていくことができましょうか?

わたしは一体どうしたら良いんでしょうか。
わからなくなってしまいます。
考えない、という沼にハマりそうになります。
でも考えなくなったら終わり。とも思います。
苦しいけれど。この問題については、何度も何度も取り出して、検分して、いきたいと思います。
どうしたら良いのかに答えなんかないかもしれないけれど。
憎しみから発している夢なら捨てたほうがいいのかもしれないし。
本当の魂の望みなら移住を叶えてあげたいと自分でも思う。

心の傷を癒やし続けることに終わりなんてない

最近思うのですが、心の傷を癒やし続けることは人生をかけたテーマなんだなと思います。
特に自分のように「条件つき」でしか評価してもらえなかった子ども。
「何もしなくても生きていていい」
「生きているただそれだけで好かれて愛されている」
と思えずに生きてきたような人間には、
癒やしが一生必要なんだろうなとうっすらと思っています。

そして傷をつけた親という存在を恨むことも、恨みながら親子でいなければならないことも、一生傍にあるのだと思います。

父親が死んだ時、本当に悲しかったですけれど、わたしは楽になりました。
まだ母親が生きています。
母親が死ぬのを待つように生きるのではなく。
愛憎がぐるぐると混ざり合ったような心の中で。
どこかで精神的に別れを告げて、・・・自分で立たなければいけない。
そうしたいと思う。ことを、
肯定して生きていたいと思っています。
物理的に老いた親を世話するとか、親のために何かするのを拒否するのではなくて。
心の世界で親から、生きている時に、離れて立っていられるように。
そうなりたいと思っています。

長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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