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2月14日(日)

 이월 십사일 일요일

 昨晩地震が起きた時には布団の中に入りながらプロジェクターで『The Ghost Story』を観ていた。揺れがおさまらず怪しいと思ったのですぐに充電中の携帯をとり、作業机の椅子にかけていたナイトガウンを羽織り、玄関の外に出た。自分の住む2階の高さとだいたい同じくらいの目線に見える電線がゆらゆらと大きく揺れ踊っているのを奇妙な気分で見ていたら、隣のアパートに住む2階の男性も出てきた。私と目が合うと何故かすぐに引っ込んでしまったけれど。空には灰色の雲が浮かんでいるのが見える夜空だった。色は藍色をしていたから、灰色との色合いが綺麗だった。そのうち揺れが少なくなり家に戻る。すぐ近くに住む親友が怖がっているかもしれないと思い電話をかけたが出なかった。震源地を調べると東北の方だったので、もう一度親友に電話をかける。彼女の父親は単身赴任で岩手に住んでいるのだ。出ないので「お父さんに連絡してみて」とメールを残すと、しばらくして返信がきた。お父さんとも連絡がついたようだ。そのまま停止していた映画を再生し続きをみた。地震に慣れてはいけないのに、慣れてしまう。

 今朝は泣いて目が覚めた。時々こうして泣いて起きる。昔よりも頻度が多くなっている気がするのは気のせいだろうか。今日の夢で泣いたのは、自分の寂しさとか情けなさのせいだった。遅く寝たからまだ眠いのに、時計をみたらまだ早い時間だった。体を起こすのは面倒だったけれど胸の中のもやもやがおさまらなかったので、携帯でボイスメモのアプリを開いてそれに向かって話した。作品を作ることを普段から考える頭だと、どんなことでもネタだと思う癖がついている。ついしめしめと思っている自分がいる。

 ベッドの中にいるのも飽きたのでやはり体を起こしコーヒーを淹れ、新しい動画の編集をする。今日はバレンタインデイなので、それをテーマとしこんな作品をつくった。

 肌荒れマックスな自分の顔は嫌いだけれど、それが本当の私でもあるし。

 ドラマを観たり筋トレしたり韓国語を勉強したり、いつもと変わらない1日を過ごした。携帯の充電器が壊れたので、コンビニまでケーブルを買いに外に出る。もう日本はすっかり春日和で、もうすぐ日が暮れるというのにまだ風が暖かった。今年は春が長いのだろうか。それともすぐに暑くなり、夏が長い年になるのだろうか。ニュースを見ないから世の中で起こっていることのほとんどを知らない。それじゃあよくないと思ったりもするけれど、興味が湧かないから仕方ない。でも街に出て歩けば、世界は見えてくる。小さな小さな街角で、世界はいつも私に何かを見せてくる。すぐそばに生きる人々やモノたちの幾千もの顔を知ることと、世界で「大きいニュース」として取り上げられていることを知ることと、一体何が違うのだろうか。私は私の人生しか抱えられない。私の近くで生きる人たちの人生に関わることだけで精一杯だ。それがひとりの人間の当たり前なんじゃないんだろうか。私は心が狭いし、生きる範囲も狭いのかもしれない。だけど、それが私の器の大きさなのだと思う。

 コンビニでついでに、またいつもの安い赤ワインを買った。今までずっと呑まなかったのに、一度呑み始めると止まらなくなる。昔からなんでも0か100かの人間なのだ。

 昨日観た『The Ghost Story』が何故か頭に残っている。別に最高の映画だというわけでもないのに、何かがひっかかっている。あの映画の雰囲気に飲まれているだけだろうか。それともあの映画には、私にとって大切な何かがあったのだろうか。今朝みた夢は、あの映画のせいもあったんだろうか。目覚めて寂しい気持ちでいっぱいなのに、一人でいることに安心するのはどうしてなんだろうか。私はいつまで、どこまで寂しさに包まれれば、満足できるのだろうか。寂しさがなくなってしまったら、きっと私は生きていけない。寂しさがなければ、愛することができない。


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