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John Felix Arnold Ⅲインタビュー(アーティスト)

この記事は、zine Pursuit vol.1に掲載している記事のオンライン版です。
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 サンフランシスコ・ベイエリアとロサンゼルスを主な拠点とし活動するジョン・フィリックス・アーノルド・サード。アメリカ・ノースカロライナ州ダーラムで生まれ、ダンサーだった両親から影響を受けて育った。日本アニメーションとの出会い、ニューヨークで過ごした日々、カリフォルニア移住、アルコール依存症からの克服・・・。
 波乱万丈な人生のピースはどれも、現在のアーティストとしての彼の日々を紡ぐ必要な糸だった。アーティスト村上隆も彼の作品をコレクションしているひとり。そんなジョンのアーティストとしての原点、そしてその軌跡をたどる。

-両親-

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ーーどんな環境で育ったの?
J「両親がふたりともダンサーで、母はバレエダンスを、父はモダンダンスを踊っていたんだ。母はビジネスタイプの人間で、父はどちらかというとクリエイティブで自由な変わり者って感じかな。感情的というか。父と母は僕が2歳の時に離婚してるんだけどね。」
ーーお父さんはアーティストタイプだったんだ。
J「母はバレエダンサーだったから、何かを創造するというよりかは構成と完璧さを求める。でも父はモダンダンサーだったから、そこには即興性とか内側にあるものを解き放つという感情的表現要素も必要になるからね。」
ーージョンのクリエイティブさはお父さん譲りなのかもね。
J「間違いなくそうだと思うよ。彼のダンスの動きと自分のペイントスタイルには似ている点がたくさんあると思う。両親が離婚してからも父と一緒によくツアーに廻っていたんだ。彼の所属していたピロボラス・ダンス・シアターは、パートナリングと呼ばれる自分の身体と相手の身体を繋ぎ合わせてアメーバのような形を作って踊るスタイルでよく知られていて、ステージ上を有機的フォームを描きながら移動して踊るんだ。めちゃくちゃ恰好よくて毎月その舞台を観に行ってたよ。とにかく構成も決めず動いていく。自分のペイントスタイルもまさにその通りだと思う。」
ーー向かう方向があった上で、後はフィーリングに導かれて描くの?
J「そうそう。一度大きいプロジェクトをやった時に、ある程度プランに余白を残した上でやってみたんだ。そしたら自分が想像してたよりも面白い仕上りになったんだよ。作品に登場させるキャラクターから感じる自分の感情を取り入れながら作品の中に落とし込んでいく。外的なものが変動していけば自ずと内的なものも変動していくでしょ。描くキャラクターの上にどんどん自分の感情的精神世界を重ねていくんだ。」
ーーそれ以外にも受けた影響はある?
J「父のシアターはニューヨークにあったから、僕も一時期ニューヨークに住んでたんだ。911含めあの街では色んな経験をしたよ。小規模ではあるけど父はアートコレクターでもあって、ニューヨークに住んでいた時は例えばロバート・ラウシェンバーグなんかの作品を集めてたんだ。コミックも相変わらず大好きだったんだけど、でも彼の持ってた作品のおかげで抽象画にもその頃から興味が強かった。それも今の作品に大きく影響していると思うよ。」

-ナラティヴ・エクスプレッショニズム-

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ーー日本アニメーションの影響はその中でも特に大きいと思うんだけど。
J「そうだね。でも浮世絵とか日本の文化物との出逢いの方が先なんだ。父がよく連れて行ってくれた日本食レストランでも、15歳の時に大阪から移住してきた夫婦の経営してるレストランでバイトしていた時にも、そこに飾ってある日本アートに触れる機会があった。子供の時に通ってたアート施設にもコレクションとして着物が展示されてあって、行く度にじーっと見つめてたよ。見ていると気持ちが落ち着いて、どこかで自分とそのものとが繋がっている感じがしたのを覚えてる。大きくなるにつれて僕の作品は構図面(空間の使い方や被写体と空間との関係性の表し方)でかなり日本芸術からの影響を受けている部分があるって気付き始めたんだ。そして11歳の時に『アキラ』と出逢って全てが変わった。」
ーー私も年に1回ぐらいのペースであの映画は観るよ。
J「本当に?!じゃあ今度一緒に観ようよ(笑)僕も数ヶ月に一度は観直すよ。」
ーーずっと前に作られた作品だって信じられないよね。
J「80年代に作られた中でも今でも価値が薄らぐことなく、たぶんこれからもそれは変わらないっていうタイムレスな作品だと思う。現代にも通じるものがあるし、今でも限界を押し上げ続けてると思うよ。『アキラ』の製作者たちはただ単純に「かっこいいものを作ろうぜ」っていうそれだけだった気がするんだ。それに比べて現代作品の多くは市場を恐れている感じがする。デモグラフィック(ターゲット層)をすごく気にしているというか。」
ーー自分たちの表現よりも売れることをより意識して作品を作っているっていうこと?
J「ガンダムでさえ2000年半ばくらいにそういう現代的傾向が見られたと思うんだ。初期の頃に比べて内容がとっつきやす過ぎるというか。もちろん僕の考えだけどね。あの頃のガンダムはとにかく老若男女誰にでも分かるように作られている感じがして、それは僕が初めてガンダムを観た時ほど力強いものとは感じなかったな。」
ーージョン自身は特定の層を狙ったりテーマに絞って作品作りをしているの?
J「最近はナラティヴ・エクスプレッショニズム(物語風表現)に少しずつ取り組んでるんだけど・・・アメリカ文化って何でも表に出さないとダメだって考えに執着する癖が強いと思うんだ。外から見て分かりやすい形が好まれる。でも僕が描きたいのは「内部で何が起こっているのか」という物語の模索みたいなもので、見る人が自ら経験していかないとそこにある物語を紐解くことができないっていう作品。自分達のための物語を僕の作品から紡いでくれたらいいなと思って。この前ノースキャロライナでやった展示では、たくさんの小さな作品を全体として組み合わせて構成させることでひとつの表現が成り立つような展示形式にトライしたんだ。人生で苦悩した時期に僕の内部で起こっていた感情とか苦しみをひとつの旅という形で表現した。時間の経過を表すために比喩的にアニメのアイコンキャラクターを使って、そこに言葉だったり抽象画を添えたりしてね。オーディエンスにも分かりやすい素材なんだけど、ほんの一部しか描かれていないから実際に見る側はこれが何とはうまく特定できない。その曖昧さが制作しながら僕に感情的何かを訴えてきたんだ。言葉ではうまく表現できない内側にあるものを、それぞれの画が異なる言語で語っていた展示だったよ。」
ーープロフィールにも『苦難と静謐の両面性』って書いてたね。
J「そのどちら共に終わりはないんだよ。実際は一生ハッピーとかってないのに、多くの人がどこかにゴールの線が引かれていると思っている。特定的ゴールに達せれば幸せみたいな、そういう印を社会が作り出しているように感じてしまうな。ここ数年で僕が強く価値を置いているのは、極端なまでに居心地が悪かったり、変化が起こるのを感じるような瞬間なんだ。それを通らないと本物の快感を感じることができないって思うから。そうでないと有り難みが実感できないと思うんだよ。これは現代のデジタルカルチャーつまりSNSの産物でもあると思ってる。ぬるま湯に常に浸からせた状態にしようとしていて、全部何でも大丈夫だよみたいなさ。」
ーーみんな美人で、みんなハンサムってね(笑)
J「本当に(笑)なんでもそうだけど、物事には両面性がある。ドラッグと同じでいかに自分で自らを律して利用できるかってことだと思うんだ。使い方次第では前に進ませてくれるものにもなり得るし、規律がないと堕落させ得る可能性もある。非現実的な世界(SNS)と現実の世界とを比べていることをきちんと理解すべきなんだ。確かに素晴らしいツールだけど、同時に本物の繋がりを希薄にさせてしまう。今を捉えるものとして生まれたものなのに、同時に『今を生きる』ことから僕たちを遠ざけてしまうものでもある。目の前にある生きなきゃいけない現実から分離されたものを実際には経験していることになるんだ。やり過ぎてるなって思う時は、どっか1ヶ月くらい旅にでも出て電源オフする必要があると思うよ。」

-依存症からの克服、そして覚醒-

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ーー2007年にニューヨークからカリフォルニアに拠点を移しているね。どんな変化があった?
J「ニューヨークにいた時からパーティーしたりって生活をしてたんだけど、カリフォルニアに移ってからはアルコール摂取が酷くなってしまって・・・家族からも遠く離れて友達もほとんどいなくて、孤独だったせいでとにかく荒れてたんだあの時期は。その頃は主に道端に落ちているガラクタ材を使っての作品制作に取り組んでいた。拾ってきた木片とかメタル板に抽象画をプリントしてみたりインスタレーションを組み立てたり・・・今思うとそれを通して何かしら意味を探し続けていたんだと思う。」
ーーYouTubenのビデオでその様子を観たよ。その発想はどこで生まれたの?
J「当時抱えていた苦しさをとにかく何かに変換したかったんだ。別に何かを探し求めてたというわけではないんだけどさ。捨てられてしまったものたちはかつてはすごく輝かしいものだったはずなんだ。そこでは今では消えてしまった目に見えない人・場所・時間との関係があったはずで、その間にあるエネルギーが美しいなって感じて。」
ーーかつて意味のあるものであった何かを再生させることにより、ジョンの中で失ってしまった何かを同時に再生したかったのかな?
J「それもあると思う。ニューヨークでも同じような制作はやっていたんだけど、カリフォルニアに移ってからはもっと精力を注いでいたと思う。その作業を通して、馴染めずにいた新しい環境と時間をかけて友達になっていくような心地よさを感じた。とにかく孤独だったから。社会環境が変わるにつれ資本主義の変化の中で忘れ去られてしまった美しいものに対する敬意でもあるんだ。僕にとって常に正しいものは、最新の輝きを纏った最高質に改善されたものというわけではない。かつては社会の中で一番の存在だったのに、変化の過程の中でその座を次の世代に譲ったものに対して僕は力を感じるんだ。選ぶ素材はそういうエネルギーやストーリーに僕が共鳴できるもの。それをスタジオに持ち帰って、僕の作品として生まれ変わらせるんだ。その当時通っていたアートスクールにいる友達にはその逆を追求している傾向が強くて、どうしてもその考えに馴染めなかった。僕は作品と自分が心から繋がれるものが作りたいって思っていたからかな。その当時はトラブルだらけだったからね。2010年ぐらいまではずっとアルコール依存症から抜けようと必死だった。2008年にはだいぶマシになってきてて、2010年くらいにはほとんど回復してたと思う。さっき話したインスタレーション制作に約7ヶ月くらい没頭して、出来た作品をそれまでで一番大きな規模で展示したんだ。ベイエリアではメジャーなアート系ウェブサイトにも取り上げられて展示は成功したよ。そのプロジェクトでは、時代のせいで大きく街の様子が変化したベイエリアを忘れないようにしたいって想いも込めた展示だったから、オーディエンスに響いたんだと思う。サンフランシスコの都市開発は激しくて、その中でも特にベイエリアは酷かったからね。」
ーー完全に依存症を断ち切ってからは何が一番大きな変化だった?作品にも影響は出たと思う?
J「もちろんだよ!僕は外から流れ込んでくる創造エネルギーと繋がっていないと何も作れないタイプの人間なんだ。繋がっていない状態で作り出すものはリアルじゃないし価値がないと思ってる。何かが心に引っかかりながらずっと出口を探し続けて、(依存症を克服することで)やっとのこと抜け出しして・・・そのことで全ての歯車が再び廻り出したんだ。それまでは本当に何も作れなかった。目の前に暗闇があってそれに対して何か行動しなきゃならないって分かってはいるのに何もできなかったから、自分自身のことなのにどうしようもないって状態が一番怖くて。そこから脱出した瞬間に大きなエネルギーがどっと吹き込んできて、それまで留まっていたものが栓を抜いたように飛び出してきた感じかな。リハビリに通い始めた頃は展示で色々やらなきゃならないことが多かったんだけど、でももう何も考えずにまるで手が勝手に動いているのを傍観してただけっていうか、禅でいう瞑想状態のようなものだったんじゃないかな。導いてくれているものが自分ではコントロールしきれないレベルのものを引き出してくれる。今でもたまに道を逸れてしまいそうになることはあるよ。自分のエゴを自分自身でちゃんと確認して、エネルギーが足りていないと気付いたら軌道修正して、の繰り返しだよ。」
ーー前に歌手のアデルのインタビューを観てて面白いこと言ってたんだよね、ずっと歌が書けなかったのは自分が幸せだったからって。苦しみはアーティストにとって必要なエンジンだと思うんだけど、ジョンの場合はアルコール依存症がそれだったのかなと思って。ずっと戦い続けてきたものがひとつ終息して、それに代わるエンジンみたいなものはあったの?
J「いい質問だね。でも実は僕の場合その逆で、自分が幸せで生きているのを実感できている時の方が良い作品が作れるんだ。いつも盲目状態だと見えるはずの物事との繋がりを一切断たれてしまう。物事の本質から遠ざかってしまっている混乱状態なんだ。それを一度経験すると、物事の真の姿をきちんと感じられることが何より幸せなことだと気付く。もちろんそれによって傷つくことだってある。でもそれさえも生きていることを感じられているってことだと思ってる。洪水のように内側にあったものが溢れ出して、少しずつ時間をかけてそれらを形にすることができるようになっていった。」
ーーその時に得たエネルギーはまだ残っていると思う?
J「違う形として残っていると思う。これまでの人生の中で遮られてしまっていたものを探求する作業だから、それは全部違っているし数はたくさんあるんだよ。これを言わなきゃいけない出さなきゃいけないというよりかはむしろ、そのエネルギーがあるからこそ自分が伝えたいことをちゃんと確認できていると思う。前回の展示が自分ではすごく気に入っていて、ここ数年で学べたことを出せたっていう実感が得られた展示だった。色んな手法を使って世界を色んな角度から見てそれを形にしていく作業がすごく楽しくて。結果としてその違うピース全てを繋ぎ合わせて見てみると、物語みたいに色んな感情や考えの交差がひとつの世界を作り上げていることが見えてくる。アートを通して物事を理解していくのが大好きなんだ。昔はアートという言語をどうすれば使いこなせるか分かっていなかったんだけど、今は楽しみながら自由にそれができていると思う。場所や時空間を操ることによって物事のつじつまが合ってくるんだ。」

-2015年-

ーージョンのこれまでの作品アーカイブを見てて実は思ったことがあって・・・。2015年だけ作品の中にほとんど色がないんだよね。その他の年に比べてその年だけは本当に削ぎ落とされた色しか使っていない。それに気付いた時に、2015年という年がジョンにとって何か転換の時だったのかなって疑問に思って。
J「すーっごく大きい転換期だったよ、よく気付いたね!完全に依存症を断ち切り始められたのが2014年終わり頃だったんだけど、それまでの数年間はとにかく色々必死で・・・。自分の中で作品を作るということの本当の意味が見い出せなくなってしまってたんだ。ビジネスキャリアという概念に固執し過ぎていて、自分の人生を全て頭にある考えだけに合わせようとしていた。それは賢いことでもあるんだけど、でも結局バランスなんだよね。自分の内面にあるものと調和できないといずれ崩壊してしまう。その時の僕は完全にそういう内面を見る目を失っていた。キャリア的問題を解決したいってことばかりに気をとられ過ぎて、自分のやりたいことができているっていう幸運さを見落としていたんだね。ずっと痛みをごまかそうとか嫌なことから逃げようって生きてきて・・・。最終的に依存症から抜けられたから万事オーライって訳じゃなかったんだ。自分の考え方の癖を変えるってなかなか時間がかかることなんだよね。理想的キャリアに執着し過ぎた結果、真のライフパワーを失ってしまって、かなり深刻なブレイクダウンが起こってしまった。自滅的で逃げられない恐怖ばかりに気をとられて、結果そんな精神状態のせいで身体の方にも支障が出てしまって。今思えばあれは僕に必要なことだと分かるけどさ。2010年から2015年の作品にはその時々の僕の人生がダイレクトに映し出されているものばかりだと思う。ある時点では感情や衝動の表現をすることよりも、どうやったらオーディエンスに気に入られるかなってことを考えてたんだなって見える。カリフォルニアに戻ってきてから過去の経験を再び頭の中で経験しながらビジュアル化していったのが2015年の作品。そこでの複雑な物事をできるだけ削ぎ落として単純化して作品に落とし込んでいった。心の暗闇をそうやって外に出してくとそれが最終的に光になることに気付いたよ。村上隆が買った作品もその時期の作品なんだ。」
ーー村上さんとはどんな話をしたの?
J「実は会ったことはないんだよ。どこかで知ってギャラリーに電話をくれたんだ。彼の選んだ作品は『鎧』について僕が持つアイデアを表現したものだった。鎧ってみんなが持っていて、それで心の奥底にあるものを隠して生きているんだと思うんだ。鎧を着ていることに気付いていない人もいると思うし、鎧をもっと求める人もいる。薄い鎧だけで大丈夫な人もいるかもしれないし全く必要ないって人もいるだろうね。僕もいつかは必要ないって人間になりたい。鎧が必要ないってことは本当に自分の強さを知っているってことだからね。でも同時に、今はまだ完全に失くしてしまうことを恐れてる自分がいる。僕はあまりにも長い間それを纏って生きてきたからそれなしで生きるっていうのがどういうことか分からなかったんだけど、自分が依存症を克服していく中で自分の鎧について考えるようになって、少しずつだけど手放せるようになってきていると思う。ガンダムはそのコンセプトに添わせるのに完璧なアイコンだったから、その絵の中に登場させたんだ。ほとんどフリークアウトした状態でオイルパステルを手にその全てのフィーリングを抽出することに集中した。最後に白い絵具で描いたガンダムの半分を塗りつぶして「I reckon I'm not a robot after all(おれは本当はロボットなんかじゃないんだ)」という言葉を添えたんだ。ずっと世界の中で「本当の」自分でいることを恐れ続けてたけど、あのブレイクダウンがあったからこそ鎧を手放し始めることができた。もうロボットみたいに生きなくてもいい、全てが決められた通りじゃなくていい、そんな作られた姿でこの社会に属さなくてもいいんだってね。彼はそういうものを感じ取ってくれたんじゃないかな。実はその展示で売れたのってその作品だけだったんだ。でもすごく嬉しかったよ。」

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-未来の神話-

ーーこの先ジョンが追求していきたいことは何?
J「この2年間すごくラッキーだったと思ってる。昔みたいにたくさん展示はしていないけど、クライアントから依頼をもらってアーティストとしてちゃんとした生活を送れているから。お金をもらって自分のアートを大きな規模で作ることができているってすごいことだと思うんだ。もっともっと大きなプロジェクトをやっていけたらいいなと思ってるよ。今なら自信を持って作りたいものをちゃんと実現させることが可能だと思ってる。頭の中に今3つくらいプロジェクトアイデアがあって、自分でもすごく楽しみだよ。幼い時からアニメのフィギュアで遊んで育ったから、その原点に戻って彫刻制作にも取り組んでみたいと思ってる。例えば昔の源氏物語とかいうものだけが神話ではなくて、『アキラ』だって神話と同じだと思うんだ。300年とか1000年後にはコミックブックだって神みたいな存在になっているかもしれないと思うんだよね。そういう新たな神話を表現する作品に挑戦してみたいなと思ってる。寺院みたいな感じで大きなインスタレーションを組み立てて、見た人が「嘘だろ?これひとりの人間が作ったのかよ?!」ってくらい大きなものを作りたい(笑)その中に人々が入り込んで実際に神話を体験していくんだ。今すでに何人かと新しいプロジェクトの話を進めていて、これからどう向かっていけばいいのかを考えているところ。でも何せお金はかかるから資金集めは必要になるかな。これを作ってみたいっていう僕個人的な強い想いに同じくらい共感して機会を与えてくれる人達を見つけていきたいなって思ってる。」
ーー私含めジョンをサポートする人はたくさんいるよ!
J「ありがとう!必ず実現させていきたいな。」

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John Felix Arnold Ⅲ
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interview by yukako atsuchi (Pursuit)
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このインタビューは2018年のものです。

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