税収

税収〈名〉国や地方自治体に税金としてはいる収入。

テキトーに決めた2つの番号をテキトーに開いたページに当てはめて辞書で引いているだけなので、自分に言葉の決定権は偶然頼り以外はないのだが、2020年2回目となる今日のお題も、年始一発目に引いた「ワシントン条約」に引き続き政治絡みのお題となった。しかも「税収」という、なんとも響きだけで重みがずっしりと肩にのしかかるこの言葉。光がみえないが頭で考えても仕方ない。まずは早速書き始めてみることにしよう。Here we go every body come on Rocken' 「税収」(スネークマンショーの『スネークマン・ショー』参照)。

日本国の税収決算額を調べたことなど人生で初めてだが、そこから始めなければ話は進まなさそうである。というわけで「開け!Google!」2018年12月21日付で掲載されている時事ドットコムの記事がいちばん最初に出てきたので、ここで書かれている情報を元にして、いざ開始。

その記事によると、2018年度当初発表された2019年度の税収予算は、前年度と比較して5.8%増の、62兆4950億円を見込んだと書かれてある。この額は、日本国が最も景気が良かったとされるバブル期の60兆1059億円を約1兆3000億円上回る、過去最高額を記録更新するものだそうだ。これに2019年10月より施行された増税が加勢していることは言うまでもない。100万円がどれくらいなのかうまく想像もできない私が、いきなり兆なんて額を思い描けるわけもなく、おそ松くんバリに「とほほでヤンス」ってな感じなわけだが、同じく時事ドットコムにめちゃくちゃ分かりやすくこの予算に対する収入と支出の関係を書いている記事があったので、是非そちらをお読みいただきたい。(【図解・行政】2019年度予算案を家計に例えると…(2018年12月)

このページに掲載されている図を拝借し、こちらに添付させてもらう(以下参照)。

この<支出>欄をみてわかるように、生活費(政策経費)内でいちばん大きな支出は、医療費・親の世話などにあたる社会保障の340万円である。(注)にもあるように、これは一般会計総額を1000万分の1に圧縮している額になるので、実質日本では収税額の34兆円(細かくは34兆587億円)が社会保障にあてられていることになる。この社会保障額とはつまり、医療、年金、介護、生活保護などの財源を指す。年金、介護、生活保護についても言いたいことは多分にあるが、ここで私のチョイスとしては「医療」に関して話してみようと思う。

最初に言っておくが、これから私がここに書くことに対して、反感を覚える人が多いのではないかと思う。反感とまではいかずとも、明らかに主流な考えでないことは確かだろう。何故ならその意見は、日本だけでなく、一般的に当たり前とされている現医療のあり方、つまり西洋医学の大部分的否定・非難を含むからだ。
しかし話をあまり複雑にしても埒があかないので、端的にとりあえず言いたいことをまとめると、「風邪ひいただけで、病院なんか行ってんじゃねーよ」ということだ。この少し過激な言い回しをやわらげるために、角野卓造のモノマネをしているハリセンボン近藤春菜の口調で頭の中で読んでみることをオススメする。そんな感じでリーピート・アフター・ミー。
「風邪ひいただけで、病院なんか行ってんじゃねーよ!」
さて、もう少しその奥を掘り出してみることにしよう。さあさ、食ってかかってきたい人、寄ってらっしゃいみてらっしゃい。

まず初めに、簡単に私の治療に対するスタンスを説明しておいた方が話が速いかと思う。私が推進している治療法は主に、
①自然治療法
②ホメオパシー
のふたつだ。

私は病院から遠のいて、最低でも8、9年は経つ。遠のいてとは字義通り、その間全く歯医者を除く病院には、一切足を踏み入れていないということだ。風邪なんてもちろんのこと、私はインフルエンザでさえも、病院に頼ることなく完治してきた。風邪ぐらいであれば、アニマル浜口のように「気合だー!」とかなんとか言って誰でも放っておけば治る、と理解してもらいやすいのだが、インフルエンザとなるとさすがにそうはいかない。みんなから大体「はあ?頭おかしいんじゃない?」みたいな顔をされる。私からすると「はあ?そんなので病院行ってるの?」という具合なのだが、意見の相違はなかなか埋まらない。しかしここで種あかしをすると、私は別に、何もしないで治っているわけではない。ということで、そこで登場するのが、自然治癒法とホメオパシーである。

知らない人のためにこのふたつについて簡単に説明しておこう。

まず自然治療法だが、これは分かりやすく、身近にある薬草や食物の力を利用して人間が本来持つ自然治癒力を高め、病気を治すという考え・手法のことを指す。症状に合わせたお茶(柿の葉茶、よもぎ茶など)の使用などは一般的にも知られる治療法だが、例えば皮膚の炎症に対して、里芋パスター(湿布)と呼ばれる里芋の粉を水で練ったものをパックのように患部に塗り毒素を抜くことで治療する、といった方法なんかもある。簡単なニキビやその皮膚の炎症であれば、塗って一晩ほど寝ればほとんどの場合完治する。里芋パスターは乳癌などにも効果があるので、癌の恐れがある方は毎日患部付近に塗って寝るとよい。その方法は様々あるのだが、とりあえず、そのような方法を用いた療法が、自然治療法と呼ばれている。

ちなみにもう少し余談をすると、これが自然治療法に正式に含まれるかは分からないのだが、もしも癌になった場合は、人気の少ない砂浜に行って、毎日自分で砂を掘って砂風呂をするのをオススメする。砂はかなり強力に毒素を吸い出してくれるので、これを毎日続けていればその内癌はなくなるか、少なくともかなり小さくなるはずである。人気が少ない場所というのが重要で、これは他人の毒素を吸ってしまっている砂では効果が得られないからだ。砂風呂で売り出しているスパなどもあるが、あれは砂を入れ替えていない場合、逆によくなかったりする。単純に他人の毒素を吸った砂をかぶせられるからだ。実際に私の知り合いのお姉さんは、この砂浜砂風呂で効果を得て、癌の治療に成功したと聞いたことがある(「なくなっちゃった」らしい)。

お手軽に試せる風邪の治療法としては、体調がわるくなったらまずは何も食べないこと(消化で使われるエネルギーをセーブし、ウイルスと戦うエネルギーに置き換えるため)。熱が出てきたらとにかく厚着をして最高まで熱を出し切り、布団に入って汗をかくこと。熱が7度台であれば、キャベツの葉を濡らして頭にかぶせて、タオルなどで固定して寝る。8度台の場合は、水切りをした豆腐を薄く切り、おでこに貼ってタオルなどで固定して寝る。豆腐がぬるくなったら張り替える。汗をかいて熱が下がってきたら服を薄着に着替えて、あとはとにかく寝る。すぐに治るので是非試してもらいたい。ちなみにキャベツも豆腐も笑い話ではない。
その他にもいろいろ面白い話はあるのだが、とりあえずここらへんでやめておく。

次に説明するのがホメオパシー。これについては全く知らないという人も多いのではないだろうか。知っていても経験したことがないという人も少なくないはずである。この第一の原因は、このホメオパシーという治療法は2010年を主な境とし、ほぼほぼ日本では消滅の方向へ向かわされているからである。これは、とある助産院で新生児に義務として与えなければならないとされるk2シロップ(血液を固める作用のある因子の合成に必要とされるビタミンKを含む液体)を与えず、代わりにホメオパシーのレメディ(西洋医学でいうところの「薬」のような役割のものだが、これについては後述する)のみを与えた結果、その新生児が頭蓋内出血により死亡した訴訟事件が発端だった。これは病院側が母子手帳にk2シロップの投与をしたと嘘の記述をしたこともあり大きな事件となったわけだが、これについて色々と調べていくとおかしな点がいくつも出てくる。よくありがちなことかもしれないが、口止めや双方の証言の食い違いなどなど、ホメオパシーだけのせいにするにはどうも怪しい部分が多過ぎる。しかしこれに対しての医学会、そしてその影響による市民のホメオパシーに対しての目はかなり厳しくなってしまった。

ここから少しだけホメオパシーについて書くことにする。

ホメオパシーは、1796年にドイツの医師ハーネマンによって提唱された新たな医療学だ。簡単にいうと「毒をもって毒を制す」という考えに基づいており、例えば眠れないという症状に対しては、コフィアというコーヒー豆からできたレメディを使用する。先ほど「レメディとはなんぞや?」と思った方。西洋医学にいうところの薬のような役割を果たすものと説明したが、実際は薬ではない。何故かというとレメディーは単なる「砂糖玉」だからだ。どれだけハイテクな成分分析機にかけたところで、検出されるのはどこまでも砂糖。ハテナがたくさん浮かんでいる皆さん、ウェルカム・トゥー・ホメオパシーワールド。

めちゃくちゃかいつまんで、いきなりスピッたような言葉で説明すると、成分としては砂糖しか使用していないのだが、この中に含まれるエネルギーが身体や精神に出てきている症状に作用し治る、という考えである。つまり、科学的には全くその効果の理由が証明されていないのである。これがまさに、多くの人が「プラシーボ」だと揶揄する理由であり、医学会が認めない理由である。目に見えないものはありえない、の一点張りで彼らは生きる傾向にあるのだから、これは仕方のないことである。ただの砂糖玉であるため、そのエネルギーが的外れで作用しなければ、ただの砂糖として体内を流れるだけなので、よほど雑な使い方をしなければ副作用はない。

ホメオパシーは基本的に「意味があるからその病がふりかかる」とし、病気はありがたい、という思想を持つ。それ故に身体の起こす反応は無理に抑えない。分かりやすい例でいうと、風邪で熱が出たら下げるのが西洋医学で、熱を上げることで病(ウイルス)を根本から殺すのがホメオパシーである。(先ほど自然治療法の中で説明した風邪治療の中で熱を上げる助けをするのが、アコナイトと呼ばれるレメディである。併用することでインフルエンザなどは2、3日あれば大体治る。)人が除菌する時に冷たい水でなくお湯をかけることを考えれば、身近な例として想像しやすいだろう。

さらに突っ込んで説明すれば何時間あっても足りないので、詳しいことは割愛させていただくが、事実結果として、私は最低でも8年間はこれにより病院要らずの日々を送っている。インフルエンザといった内科的病から、手に無数にできた多量のイボという外科的な病(しかも岩のように硬くて大きなイボイボ!あのイボ of イボたち!)を、シリカという岩石などに含まれるケイ素のエネルギー成分を利用したレメディーで完治した。(イボ体質な私はよく手にできてしまうが、毎回シリカのおかげで助かっている。)私の家族は全員、骨折などの場合を除いて、このように自然治療法やホメオパシーを主に利用しながら生活してきている。これはたまたまでも奇跡でもなく、効果の証明である。

さて話は長くなったが、ここで税収における社会保障の中の医療費に話を戻していこう。

これはわりと有名な話であるが、風邪をひいただけで病院に行くのは日本人ぐらいのものだ。これは端的に医療費の安さと、それを促す政治体制ができているからである。病院がなぜ政治体制と関係あるのかって?それは医薬品、つまり薬が金になるからである。病院ですでに処方されている薬があるにも関わらず、その他の症状の「傾向」が見えると分かった途端に次の薬が増えるのはそのせいである。繰り返すが、薬は金になるのである。それは医者自身にとっても有益な収入源となることは明らかだが、その先にいる人々、つまり政治家にとっても大きな収入源となるはずだ。実際に彼らが手を組んでいるのかどうかは分からないが、それはないなんて言えはしないだろう。そのせいもあり、予防接種の種類は年々増え続け、その裏で起こっている悲惨な状況は報道対象から外される傾向にある。この国は、(全員でないにしろ)医者たちは、一体何を守ろうとしているのだろうか。

それに比べ自然治療法やホメオパシーは安い(ピン切りではあるが、家庭で使う程度のレメディであれば600円ほどで長期まかなえるぐらい)。しかも効果があれば病気を根底から「治してしまう」。癌だとしても大きな手術なんてしないし、入院費もかからない。下手して(?)末期癌患者が1ヶ月で完治してしまう。それは医者の立場からするとあまり好ましいことではない。そういう意味でも、特にホメオパシーは日本の大部分の医療界から唾棄される存在となっている(と思う)。しかしこれは私が実際に聴いた話だが、ある医者の奥さんが夜中にホメオパス(ホメオパシーの医者)の元へ緊急で連絡をよこし、レメディを買いにきたという。立場的に医者本人が堂々とは来られないためいつも奥さんが夜遅くに来るという。つまりその医者は自分は患者に薬を処方するのに、自分ではそれを服用しないのである。その意味は是非自分で予想してもらいたい。

どれくらい風邪程度で病院に行く日本人がいるかその数は定かでないが、もしも自然治療法やホメオパシーなどの使用により簡単な風邪ぐらい自分自身で健康的に治す人口が増えたとしたら、この社会保障にあたる医療費部門の額は、思うよりも大きく変わってくるのではないかと予想している。緊急の場合を除いて、病院に頼らず人間本来の力を最大限に利用した健康維持の方法を国民が学んだとしたら、この額はより大きく変動するはずである。もちろん自然治療法やホメオパシーでなくても良いのだが、市販の薬にも副作用などの問題はたくさんある。それを考慮すると、私のあげたふたつは比較的安全なのだ。

私は皆と同じく保険料を納めているわけだが、事実8年間ほどはその納めている保険料の90%を利用していない。別に保険料は自分のために払っているわけではなく、必要な国民に行き渡るために納めるものなので、その点に関し文句を言うつもりはないが、しかし同時に腑に落ちない感じがあるのは認めざるを得ない。

ごちゃごちゃと説明しきらない形でたらたら書いてしまったが、簡単にまとめると、国債がどうのこうのとか、税金を引き上げて税収をとろうとする前に、日本政府は風邪くらいで病院に行って薬を飲ませるような悪しき風習を取り除くことから始めるべきだと、私個人としては思うのだ。社会保障費が足りないと嘆く前に、他国の言いなりになって化学物質をホイホイ許可して、日本国民を化学物質まみれにするのはやめましょうと、立ち上がるべきなのだ(実際日本人は、飛行機事故があった時などは死体鑑定を後回しにされる。化学物質が多量に蓄積されている日本人の体は他国の人々のそれよりも「腐りにくい」からだ。)。社会保障に回す税収が足りないのではない。簡単なことでも社会保障に頼ってしまうような仕組みをさらに悪化させるシステムと教育を変える気がなく、またそれにより自分たちの利益を念頭に考えることをやめないことが原因なのだ。
あるブログで「いろんな治療法が存在していてそれは個人の選択であり、それを選ぶことは人権のひとつとして認められている。これはだめ、あれはだめと廃棄の方向へもしも医師が促すようなことがあれば、それは医療放棄と同罪である」というようなことが書かれてあったが、私もそれに同意する。

税収があがると比例して国民の不安が増しているのは、この社会システムの歯車が機能していない証拠である。もちろん私の書いたことにも間違いはあるかもしれない。説明が足りない部分は多いし、税収に対する理解もきちんとできていない部分は多い。しかしそれでも、自分の生活の中から感じることは、それだけは、何を言われても本物であることに間違いはない。そしてこれは私だけの話ではなく、実際に周囲にいる人々(特にホメオパシーなんか信じてもいなかった人々にも効果があった)の経験を通しても実感した上で思うことのひとつである。それもやはり、間違いはない。人はもう少し、薬が人口的で基本的には不自然なものであることを理解した上で選択した方がよいと思う。

私がむしろ落胆しているのは、もう日本政府とかそういうことでもなく、もっと広い意味で、人間に本来備わっている自然の力に対して無認識である人があまりにも多すぎることに対する落胆なのかもしれない。会社を休めないからインフルエンザにかからないように予防接種をしたり、ちょっとした風邪の症状で病院に行く人の気持ちもわからないことはないが、そんな時でさえ休みひとつ簡単に得られない世の中のスピード感にもうんざりしている、という落胆もあるのだと思う。前回も書いたが、誰が悪いとか誰が正しいとか言い出だしても、正直本当にしょうもないと思っている。それくらいまでに埒のあかない世界になってしまっている。とはいえ、やはり諦めることはできない。だって私は日々を生きていくことしか、選択肢の中から選ばないからである。

だからこそ、私は私個人をやっていく。その行動の延長線上に、こうした書く場を設けている。どれだけの人の目に触れるかはわからない。それでも世界に開ていきたいから、やはりどうにか未来に繋ぐものを紡ぎたいから、だから書き続けていく。私にできるのはそれくらいしかないし、しかしそれくらいのことをやめてしまったら、私はちゃんと生きたといえなくなってしまう気がするのだ。それくらいのことを、真剣にやっていく。それくらいの想いを、未来に繋げていく。それくらいが積み重なって、未来の空は広がるんだと、そういう莫大なものに向かって、それくらいを続けていく中に、今日の私が息をしている。

さてさて、どうしたピー。あついぞ今日は。

いつもよりも好き勝手に書いてしまったが、熱意だけは少しくらい伝わったのではないだろうか。

これだけ言っておいてあれだが、私は別に西洋医学を全否定しているわけではない。それが必要となる時もあるし、それは必要でもある。これも前回書いたことと重なるが、ノレないことを消そうとかないことにしようという動きには、なんの意味もない。西洋医学と共にあるのが自然治療法だったりホメオパシーだったりする。西洋医学も人を救うし、処方される薬が必要な人だっている。あのブログの言葉のように、あらゆる医学のあり方が互いを支え合えば良いのだ。誰もが自分の一番心地良い方法を選べばいい。ただ私は、その選択肢を奪うような状況を意図してつくり出すべきではない、というのがいちばん伝えたいことだ。だからこそ、日本の医師界がホメオパシーをひとつの事故をきっかけに邪魔者扱いにしようとしたことが許せないし(西洋医学の方法でどれだけの人が死んでいるというのか!)、そういう人たちがトップにはびこっている限り、多義な意味で日本はダメになってしまうと思うのだ(もうなってしまっているが)。

「税収」から飛んで熱く医療に対する考えを書いてきたが、今日はここでやめておく。
自然治療法やホメオパシー以外にも実はまだまだ、みんなが???となるような驚く話はあるのだが、それはまた機会があれば書くとしよう。とりあえず風邪をひいて熱が出たら、濡らしたキャベツの葉をかぶって、ご飯食べずに、りんごジュースだけ飲んで寝ましょう。言いたいのはそれだけです。

チャオ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?