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名言バトルとホールネス

10日ぶりになりました。継続していきましょう。

今日は、「SNS等でしばしば観測される、企業アカウントや企業の肩書を付した個人アカウントにおいて、なんかいちばん名言ぽいやつ言った人が優勝みたいなやつ」がすごいイヤだよね、うんうんわかるーという話です。この現象もだいぶ下火になってきてよかったなと思っています。

以前も少し書いたんですけど、最近よく思いを巡らせるのはこれです。

何かと、人のもつ機能や特徴で切り分けられがちな世の中だけど、みんな生身の人間だからね。人間から特定の機能だけを切り取って使うわけにはいかない。

なりゆきで採用や人事制度の仕事をしていたらなんと15年ぐらい経っていたので、企業において「人」がどのように扱われてきたかという、流れのようなものを肌で感じてきました。自分自身の就活まで含めると2度の就職氷河期(買い手市場)を経験し、いま人事としては2度目の売り手市場に泣かされています。

どうせ雑な文章なので限りなく雑に言うと、この間、多くの企業が年功序列から成果主義になり、職能評価から職務評価になり、メンバーシップ型からジョブ型への転換を目指す、というように、企業が人に求めるものは「ライフサイクル全体で期待できる成果」から「いまここで出せる成果」に変わってきました。

この流れの中で、ジョブディスクリプションは細分化されより詳細になり、人は自分の持つ経験・能力と、ジョブディスクリプションを見比べて職選びをし、企業側も同様に人選びをすることになります。「職務」と「機能」をマッチングするイメージですね。

ところが、環境変化が激しいだーなんだーかんだーで、明確なヒエラルキー内で厳密に記述された職務に対し人の持つ機能をあてはめていくというやり方ではスピードが遅すぎるから、同じ価値観を下敷きにしつつチームで学習し、それぞれ主体的にやってとにかく勝ち残っていこうぜ、おれたち有機体だぜ、硬直化するレーティングにNO! みたいな雰囲気が盛り上がっていくわけです。ビジョンミッションバリューを語り、1on1をやり、個人の強みを伸ばし障壁を取り払うマネジメントをする。それでもってホラクラシーだティールだってなる。だいぶ感覚的に端折りましたけど。

実際、過去と比べたらVUCAな時代なのだろうし、対応するためにトレンドが変わっていった、というのはきっと正しいのだと思います。だけどそれだけではなく、「人が『機能』として振舞うことにほとほと疲れた」という背景もあるのではないでしょうか。

企業としては人々の「強い機能」だけを集めることができたら効率的なのでしょうけど、人には頭があり、手足があり、胴体があって不可分です。「あなたの右手だけください、他は不要です」という理屈は(まあ純粋な理屈の上では成り立ちそうだしテクノロジーはそっちに伸びそうだけど)生身の世界では通らない。

「まるごとの人間として存在を認められる」ということを、仕事の場においても、みんな求めてるんじゃないかなと思うんです。ティール組織に出てくる「ホールネス」ですかねー。

我が子の発達を見ていて思うのですけど、たぶん何万年も前から、もっと前から? 人間の子の発達段階って変わってないはずなんですよ。個人差はあるものの、おおよそ生後半年ぐらいで歯が生えはじめて、1歳ごろからだんだん歩きはじめて、3歳ごろで抽象概念を扱いはじめ、4~5歳で手指の骨格が完成する。

子どもの発達段階が変わらないように、太古の昔から人間にはそれぞれ得手不得手や好き嫌いがあって、愛着や嫉妬や劣等感などの感情があって、食べて寝て子を成したり成さなかったりしてきたんだろうなと。

生物としての生身の文脈がたった数十年で書き換わるわけもなく、テクニックやテクノロジーに人間の身体感覚が追いついてないんじゃないのかなーと、この頃強く感じています。つまり「土から離れては生きられないのよ」です。

それで冒頭の話に戻るんですけど、なんで私が「名言カードでデッキを組む」みたいなのがつらいなーと感じるかと言うと、やっぱそこに「機能の切り売り感」を見てしまうからなんですよ。あなたのカードバトルが見たいんじゃない、あなた自身が何を信じてどう生きているのかが見たい、と思う。

何度も書いてる気がするけど、こうやってくだらないことばかり雑な言葉で書き散らかしているのは、名言バトル的な価値観へのアンチテーゼだったりするんです。いいからホールネス見せてよっていう。

そんなわけで、もっとみんなのタイニーな気持ちを知りたいな。私もまたオタクがちな話をしますので。

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