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【自己紹介】死にたくなった先生がnoteを始めるまで


「日本を教育で変えたい。」その思いが、私の教員人生の出発点です。小学校教員になって10年。子どもたちが主体的に学ぶ姿を目指して、日々教材研究に打ち込んできました。授業作りに対する熱意は誰にも負けない、と思っていました。初任校では、公開授業研究会を積極的に行いました。独自の授業プランが評価され、教員向け雑誌に授業実践が掲載されるなど、教員としてのキャリアを着実に積み重ねていました。


しかし、3校目の異動先で適応障害と診断され、休職をすることになりました。原因は、子どもとの関係。いくら良い授業プランを考えても、一生懸命教材研究をしても、子どもとの関係がうまくいかなければ、意味がありません。「どうせ私は何も変えられない。」と思いました。教員を志したあの熱い思いは、10年の年月を経て、どこかへ消えてしまっていたのです。


学校に行けなくなって1ヶ月は、何もする気がおきず、家でぼーっと過ごしていました。何もしていないと、急に「死にたい」気持ちが降ってきました。湧いてくるのではなく、降ってくるという感覚。雨みたいに突然、自然と「死にたい」が降ってくるのです。「このままではいけない。」と思いました。


読むことが好きだったので、本屋さんに行き、気になる本を片っ端から買いました。その中で、「世界一やさしい やりたいことの見つけ方」(八木仁平著・角川文庫)という自己理解に関する本に出会いました。本当にやりたいことは、「大事なこと=価値観」と「好きなこと=情熱」と「得意なこと=才能」のかけ算で見つかるのだそうです。私は、自分自身の過去を振り返って、自己分析を行いました。


過去を振り返っていると、小学校のときの夢を思い出しました。卒業文章の将来の夢のページには、確か「作家」と書いていました。小6の私は「ズッコケ三人組」シリーズが大好きで、小学生に愛される冒険物語を書きたいと思っていました。中学生になると、使わなくなったノートにオリジナルの物語を幾つかしたためました。「自分とは何か」そんな壮大なテーマを掲げた物語でした。高校生になると、所属していた演劇部で脚本を担当しました。コンクールで発表したときには、自分が書いた脚本が舞台という形になっていることに、ひどく感激したのを覚えています。


そうか、私は「書くこと」が好きだったんだ。と、そこで初めて気付きました。少しだけ情熱が戻ってきたような気がしました。そして、私が本を読んだことがきっかけで変わったように、書くことで世界が変わるきっかけが作れるのではないかと考えるようになりました。


「書くことで世界が変わるきっかけを作る。」

これが私のやりたいことです。書いた記事が誰かの変わるきっかけになる、そんなライターを目指します。

【紹介した本】


【noteの記事紹介】

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▷ 休職中の過ごし方のヒント


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