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卒業式の定番 高村光太郎「道程」はもともと102行あった!?

道程  高村光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

自分の人生を自分の力で切り開いていこうという決意の表れたこの詩。
卒業式などの節目に親しまれています。

「道程」は9行の短い詩です。

しかし、実はもともとこの詩は、102行の長い詩でした。
そのはじめの部分を紹介します。

道程   高村光太郎

どこかに通じている大道を僕は歩いているのじゃない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから 道の最端にいつでも僕は立っている

何という曲がりくねり 迷いまよった道だろう
自堕落に消え 滅びかけたあの道
絶望に閉じ込められたあの道
幼い苦悩に もみつぶされたあの道

ふり返ってみると 自分の道は 戦慄に値する
支離滅裂な また むざんなこの光景を見て
誰がこれを 生命の道と信ずるだろう
それだのに やっぱり これが生命に導く道だった
(略)

この詩の作者は高村光太郎
明治時代を代表する彫刻家高村光雲の長男です。

東京美術学校に進学し、彫刻科を研究しますが、その中でオーギュスト・ロダンに傾倒するようになります。その後、アメリカやヨーロッパなどに留学をし、西洋美術を学びました。

帰国した光太郎は、日本の古い美術界の慣習への反発から、展覧会にも出品せず、日本の美術界を批判したエッセイや詩を書くようになりました。

光太郎が父の期待に応えられず、新しい芸術も作れないままもがく様子が、この詩のはじめの部分と重なります。

「何という曲がりくねり 迷いまよった道だろう」

光太郎の「道程」は、決して明るく希望に溢れてる道ではないのです。
悩み、苦しみながら歩いてきた道なのです。

「道程」の詩が発表された1914年、「智恵子抄」のモデルである長沼智恵子と結婚します。

102行の詩が雑誌に掲載されたのは同年2月。
9行の詩を詩集「道程」に収めたのが同年10月。
そして、結婚したのが12月。

93行もの詩をばっさり削除し、自立を宣言する部分のみを残した光太郎。
智恵子との結婚をきっかけに、過去の迷いもがいていた自分と決別したのかもしれません。



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