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【追悼】伝説の映画宣伝プロデューサー、叶井俊太郎氏によせて。ペンネーム「塩辛いか乃」の発祥は叶井さんの映画がきっかけだった。

映画界の異端児、映画プロデューサーの叶井俊太郎氏が亡くなった。享年56歳だった。

叶井さんは映画業界では超有名人。エログロなカルト映画やB級映画を買い付け、ぶっ飛んだ宣伝手法でヘンテコ映画を世に送り出し続けたレジェンド宣伝マンだ。

サラリーマンながら、その奇抜な発想力と行動力、人懐っこさで業界の異端児と呼ばれながらも数多くの映画監督や業界人に愛されていた叶井さん。

そんな叶井さんだが、末期の膵臓がんが分かり「余命半年」と宣告を受けた。けれど標準治療を選択せず、日常通り会社に行く生活をしていたそう。

それどころか「タダじゃ死なない」とばかりに、ジブリの鈴木プロデューサーをはじめとした著名文化人との対談本を上梓し、余命半年をとっくに超えて、宣告から1年半ほど生き延び、つい先日亡くなったそうだ。

著書も読ませてもらったが「毎日が充実しているからやり残したことはない」と言いきっていた。

その去り際さえ「叶井さんらしい」としか言いようがなく、華麗にこの世を去った映画界のレジェンドについて何か書きとめておきたいと思った。

実はわたしのペンネーム「塩辛いか乃」も、叶井さんがきっかけで生まれた名前だ。堂々と語るほどのエピソードではないので、わざわざ書かずに来たが、叶井さんの追悼によせて、このことを書いてみようと思う。

もう20年ほど前になるが、わたしも何度か叶井さんにお会いしたことがある。当時は「アルバトロスフィルム」という映画会社でとんでもないエログロB級映画の買い付けや宣伝をされていた。

その当時、エログロ映画と間違えて買い付けた「アメリ」が大ヒット。劇中に登場するクレームブリュレが大流行するなど、社会現象にまで発展したこの映画のDVD販促で叶井さんにお会いする機会があったのだ。

背が高くて、オトコマエで、おしゃれ。おしゃべり上手で、面白くて、声がシブい。女性関係のエピソードも豊富と聞いたが、こりゃあモテるのも分かるわ、と納得した記憶がある。

その当時、プロモーションの一環として、その「間違えて買った映画が大ヒット」したエピソードを記事にすべく、叶井さんにインタビューさせてもらった。

もう20年も前の話になるので、そのときのことも交えて紹介していこう。

アルバトロスフィルムでB級映画ばかり買い付けていた叶井さん。当然メジャーヒット作はないが、一部カルトの間で語り継がれている作品なども手掛けていた。

たとえば、界隈では有名らしい「八仙飯店之人肉饅頭」

すいません、わたしはホラーとグロいのが苦手なもんで観てません(観られません)

そんなニッチな作品ばかり買い付けていた、ちょっと変態な叶井さんが、うっかり買ってしまい、うっかり大ヒットを飛ばしたのが、かの有名な「アメリ」

(C)2001 UGC IMAGES-TAPIOCA FILM-FRANCE 3 CINEMA-MMC INDEPENDENT-Tous droits reserves

といってもかれこれ20年ほど前だから、最近の若い人は知らないのかなぁ。

舞台はパリ。妄想癖のあるちょっと不思議な女の子が恋をする話(だったと思う、記憶曖昧)。独特の世界観と可愛いモチーフ、主演のオドレイ・トトゥのキュートさで女性に大ウケした。当時はミニシアターで上映される予定が、確かシネコンでも上演されていたと思う。

(C)2001 UGC IMAGES-TAPIOCA FILM-FRANCE 3 CINEMA-MMC INDEPENDENT-Tous droits reserves登場するアイテムの色遣いとかインテリアがいちいち可愛いのよ。


(C)2001 UGC IMAGES-TAPIOCA FILM-FRANCE 3 CINEMA-MMC INDEPENDENT-Tous droits reserves
こんな部屋に住みたいっ!と乙女心をくすぐるビジュアル。

特にモンマルトルのカフェでクレームブリュレをパリパリするシーンがフィーチャーされパリ発祥のカフェまで一躍有名に。

映画の大ヒットはめでたいのだけど、実は叶井さん、本作の監督が「デリカテッセン」というカルト映画の監督だってことで「当然エログロっしょ」と買い付けたのだとか。ストーカー気質の女の子の話と聞いただけで気軽に買い付け、まさかこんなキュートな映画とも思わず、もちろん大ブレイクするとは思わず、安く買い付けたらしい(ので、たいそう儲かったでしょう)

ちなみに「アメリ」の監督の前作はこれ

デリカテッセン・・・このジャケットだけでなんとなく中身の想像がついてしまう(わたしは観られません)


社会現象となった「アメリ」のおかげで、叶井さんはテレビにも引っ張りだこ。しゃべりもうまいしカッコイイので、そりゃあモテに磨きがかかったでしょうに。

でもそこで調子に乗ってメジャーな世界に行かないのが叶井さん。その後もきっちりふざけた映画ばかり手掛けているところがブレなくて好き。

仕事で関わったことで、その後わたし宛てに、アルバトロスが配給する試写会の案内状も送られてくるようになった。それがどれもトンデモ作品で、毎回試写状に爆笑した(が、内容は、叶井さんにも、DVDのバイヤーにも観なくていいと言われたので観ていない)

たとえば「えびボクサー」
キャッチコピーは「もう、海には帰れない」(笑)

予告編があったので載せておくけど、やばい、逆に見たくなった
(当時一緒に仕事をしていたバイヤーも発見!なつかしい)

その後、えびボクサーの日本版みたいなのをつくりたいということで、叶井さんが企画・プロデュースして作ってしまったのが「いかレスラー」(笑)

当時はアルバトロスフィルムを退社し、ファントムフィルムという映画会社を立ち上げていた模様。


この「いかレスラー」、当時送られてきた試写状があまりにもインパクト強くて、マグネットで会社のキャビネットに貼り付けてあったんだよな。試写状がイカの形で気に入ってしまって。

探したら当時の試写状画像発見!!

ちょうどこの時、世の中に「ブログ」というものができ始めたばかりの頃で、WEBサイトを運営する会社にいたわたしたち社員は、勉強のために個人でブログを作ってみなさいというお達しが出た。

ブログを本名で運営するのはなんだかなぁと思っていたが、ニックネームが思いつかない。そんなときにこれが目に入った。

「イカでいいか」

サクッと決めて「いか」で人生初ブログを立ち上げた。
その後、何度も新たなブログを立ち上げたが、そのたびに「いか」のペンネームで運営し続けていた。ほかに思いつかなかったし。

試写状は退職するときに処分してしまったので(取っておけばよかった!)、結婚後にアイコン画像をどうしようか迷った。そういえば「いかレスラーの」チラシって強烈だったな、、、と思い出した。

叶井さんは映画を見ずに宣伝することもあるという。作品によっては超厳しい許諾も叶井さんは「なんでも使っていいよ」という感じ。「いかレスラー」から10年以上経っていたし、私的ブログだしということで、アイコンとしてこの黄色いビジュアルをしばらく使わせてもらっていた。

ペンネームは「いか」だと他の人とダブってしまうことがあり、「いかといえば・・・塩辛だよな」と安易につけた名前が「いかの塩辛」。

そうこうしているうちに、新たにこのnoteを立ち上げることになった。今回はライターとして仕事を受ける顔となるブログだ。いくらゆるい許諾とて、他人さまの作品を勝手に拝借したアイコンはまずかろうと判断し、イラストレーターさんにアイコンを作成してもらうことにした。

だがしかし、以前使っていたこの激しい黄色のインパクトが忘れられず、
としてのこの黄色が強烈で、自分も慣れ親しんでしまっていたので、背景カラーを蛍光イエローにしてもらった。

せっかくなので塩辛を持たせてもらった。

ペンネームはしばらく「いかの塩辛」でやっていたのだが、女子SPA!さんにお仕事をいただいたとき、「ペンネームは人名でお願いします」と言われてしまった。なんでもGoogleが人名として認識しないと検索に引っかからないのだとか。

実際「いかの塩辛」で検索すると、本物のいかの塩辛ばっかり出てくる。

それでひっくり返したのが「塩辛いか乃」だ。もっと人名っぽくと言われたけど、10年以上馴染んだ「いか」からもう離れられなかった。
「辛酸なめ子」さんをイメージしてます!と押し通し、めでたく「塩辛いか乃」が爆誕したというわけだ。

「塩辛いか乃」で検索すると、わたししか出てこない。女子SPA!さん、あのとき助言をありがとうございます。

と、こんな感じでグダグダとペンネームとアイコンができてしまったのだが、このペンネームとアイコンがなかなか強烈なようで「塩辛好きなんですか?」とか「いかって・・・(笑)」と言われる。

今回のWEB制作会社からのスカウトでも「なんでお声がけくださったんですか?」と聞くと「塩辛っておもしろいから」という返答。インパクトって大事なんだな・・・

というわけで、叶井さん本人とは本当に小さな接点しかなかったのだけれど、その後送られてきた「いかレスラー」が今のわたしの原点となった。あの試写状がなければ、塩辛いか乃はいなかった。

いったいどんなペンネームになっていたのか、アイコンはこんなに強烈に作れていたのか・・・と思うと、ふと、この名前って「叶井さんのおかげ」なのだなぁと思う。わたしのこともきっと全く覚えていないと思うけれど、遠くの人間まで叶井さんの影響力は届いています、と伝えたくてこのことを書いてみた。ほんとうにありがとうございます。

そして叶井さん、数々の武勇伝を残すほど派手な女性関係も有名だったけれど、最後には雑誌SPA!で「だめんず・うぉ~か~」を連載していた「くらたま」こと倉田真由美さんと結婚し、夫婦仲睦まじいままこの世を去ったのもかっこいい。ちなみにわたしは30代までSPA!を愛読していて、くらたまさんの漫画も愛読していたので結婚したと聞いたときは驚いた。

今回の末期がんのことも、わたしがフォローしていたくらたまさんのxで知った。バリバリ余命を生きまくる叶井さんの横で、悩みながらも全力でサポートするくらたまさんにも、「だめんず・うぉ~か~」のときとは全く違う顔を見た。xにときどき投稿されるツイートも、愛に溢れる投稿が多くて泣けた。きっと今は悲しみにくれていると思うけれど、最期まで気丈に、破天荒な叶井さんに寄り添ってるくらたまさんもカッコイイ。

ちなみに叶井さん、余命半年宣告から1年半後に叶井俊太郎映画祭なども行われ、トークショーにも参加したっぽい。すごいなほんと。

最後に、観なくてもタイトルだけで笑える叶井俊太郎フィルモグラフィー

「裏方もエンターテイナーであれ」って叶井さんかっこよすぎだよ。

ヅラ刑事(笑)

コアラ課長(笑)

日本以外全部沈没(笑)
たぶん「日本沈没」が上映されてたんでしょう(笑)


ここでは紹介しないが、往年のカルト名作も手掛けていた叶井さん。「映画界の異端児」としてその名はずっと語り継がれるだろう。

本当に華麗な生き方を見せてくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りします。


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