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「文句ばかり言って何もしない人」の心理

久々に失礼な人に出会って呆れた話

文句ばっかり言ってるくせに
何もしない人が嫌いだ。

最近の話だが、ある趣味のグループ活動を立ち上げることになった。有志メンバーの中に、とにかく現状に文句を言って「こうすればいいのに」「ああすればいいのに」とまくしたてる人がいて、ではその意見も取り込み、協力しあって実現させましょうという話になった。

代表の椅子はだいたいみんなが避けるし、小人数の集まりだったので、代表としてのとりまとめは、わたしがやるが、わたしも主婦業に仕事にあれこれ忙しい。

なので、会計や事務連絡などの雑務は他のメンバーに手伝ってほしいという話になると、さんざんアドバイスや要望を言い放ったその人は、いきなり及び腰になり「何もできません」と言った。

少人数の集まりの小銭の勘定や会議室予約など、やること一つ一つは大したことがない。それでも「絶対にできません」と言い放った。

いろいろモヤモヤする部分はあったが、わたしも実現したいことだったので、なんとか活動をスタートした。

しかし、その「何もしない人」は、活動内容についても毎回文句を言い続け、上から目線で評価をし、外野からヤジを飛ばした挙句、ある日突然やめた。自分の思う内容ではなかったのだろう。

辞め方もお粗末だった。
お互いの連絡先は知っていたのに、事前に連絡はなく、
いきなりその日に「今日で辞めます」だった。

なんかもう、怒りを通り越して呆れてしまう体験だった。

それぞれ生活の中でいろんな事情があるのは当然だ。しかも別に職場でもなんでもなく、有志で立ち上げている少人数のグループだ。こっちもスキマ時間を使ってやっているのだ。協力し合わないとやっていけないことくらい、分からないのだろうか。いろいろ文句を言うなら、できる範囲で協力するのがスジというものだと思うし、できないならできないで、上から目線の余計な文句は言わないでいただきたい。


この人は、今までの人生でも、ずっとこうやって外野から文句だけ言って生きてきて、これからもそうやって生きていくのだろうな、と思う。

なので、その行動について特にわたしから相手に対してコメントしていないし、この人は何か言っても変わらないだろうから、それは失礼だよ、とか言うつもりもない。

本人なりに何か思うところや行動基準があるのだろうが、とにかく関わりたくない人種だ。

人に自分の意見を言い散らかすくせに、自分は一切かかわらない、協力しない、という行動に加えて、最後の辞め方にしてもいろいろと失礼だな、と思うし、わたしの中ではやっぱり「ナシ」だと思う。

さらにタチの悪い「文句だけ言って自分の意見がない人」に一番必要なこと

最近のことなのでフレッシュな怒りとともにこの記事を書いているが、書いてみるとある程度冷静になってくる。いや、さらに悪いパターンがあるぞと。

この「文句ばっかり言って突然やめた人」の場合は、改善案をじゃんじゃん挙げた割に、自分は一切協力しないというタチの悪さだったが、さらに悪いパターンで、絶対に関わりたくない人種に

「文句は言うけど改善案がない」

という人種がいる。

しかも結構な割合で存在する。


文句しか言わない。
しゃべってスッキリ!な愚痴ではなく、
なんというか怨念のこもった感じの「文句」だ。

「上司の指示がわかりにくいからできない」
とか

「わたしに仕事を任せてくれない。信用されていない」

とか

わたしからすると
「・・・で?」
ということを聞かされることがある。

そういう人には
「自分はこうしたい」
という案さえない。

このパターンの人は、だいたい評価されていないことが多いのだが、
ふだんの行動を見ていて、「それは評価されないよね」と思わざるを得ない状態であることが多い。

もちろんパワハラ上司や無能な上司なんていうのもいるから
一概には言えないが、

上司の指示が分かりにくいなら、
わかるまで聞けばいいし、

信頼されていない、と感じて、それが不満なら
信頼されていないと思われているポイントは何か?
と冷静に自分を客観視して、行動を改めてみたり

ある程度自分で考えて工夫してみたりする必要があると思う。

わたしの経験則でしかないが、だいたいこういう人は、言われたことしかやらないし、機転が利かない。気を利かせてその先の行動を読む、などもあまりしない、という共通点がある気がする。

自分が現状の自分のままで評価されない。
それは相手が悪いからだ。

という感じに聞こえる。

自分は変わる気がない、改善する必要もない、と考えている時点で
もう終了な感じである。

それを聞かされる方もたまらない。

他人がわたしを評価しない、という半ば怨念のような感じのもので
聞かされるだけで体内のエネルギーが奪われていくのを感じる。

この人たちに足りないものは「自分を客観視する力」なのだと思う。

ただし、それに気づかないから今のような状態になっているのだろうから、なんとも難しい話だが。


改善モンスターのわたしと、現状維持マシーンの旦那

えらく厳しいことを書いたが
そういうわたしはどれだけ偉いんだ?
と自分で突っ込みながら自分のことを書く。

わたしは自分で「改善モンスター」「効率の鬼」の自覚があるほど、日々生活していく中で、改善の種ばかり探してしまう癖がある。

「こうしたらもっと効率が良いのに」
「こうしたらもっと良くなるのに」

常にそんなことを考えているので、ちょっと特殊だなとは思う。

行動力も瞬発力もある方だと思うし、
職務的に立場が上の人だろうが何だろうが、
人としてはフラットだと思うので、

もちろん人と場所を選んでの上だが、
今までの職場でもおかしいと思ったことや意見は言ってきたし、
今の職場でも改善点や変な部分は質問する。


腹の中では思っていても、
実際にこういうことをする人は多くないだろうと思う。

人によっては私のことを「面倒な人」と思うだろうが
今のところは意見に耳を傾けてくれる場にいられてありがたい。

今までの職場でも、現場からの意見を聞く耳を持ってくれた上司や職場に恵まれていたということかもしれない。

そんな私はお気楽な人間に見られているようだが
頭がいつもフル回転しているし、ベッドに入ってもあれこれ考えてしまうので不眠症だ。公園でのんびりボーっとしようとすると、周りの人の行動をウォッチしてしまったりして、まったくボーっとできない。目標指向なので、行き先がない「散歩」が苦手。

と、そもそもせっかちで頭が忙しい。


そんな自分に結構疲れるし、いろいろと気づきすぎて自己否定に入ったり、いろいろと悩ましい時代も過ごしたが、

乳がんを患って、いろいろとしんどい思いをし、ひと皮むけたのか
最近は、「こんな私だからこそできること」に
人生を使おうと思うことにした。

場を選びながら、
今までなら、あえて静かにしておいた場面でも、
あえて「でしゃばりとおせっかい」を買って出ている。


ちなみにこんな私の旦那さんは
「現状維持が命」な保守派である。

まったくの真逆だ。

改革派のわたしと保守派の旦那さん
きっと両極端で惹かれ合ったのだろうが
その分ケンカになったときの平行線ぶりがすごい。

まったくかみ合わない、
とお互いに思っている。

そもそも生き方のベースが違う。

わたしは
「生きてるうちにいろんなことを経験したい」

と思って生きているのに対し

旦那さんは
「心穏やかに、何事もなく平穏に生きたい」
と思っているようだ。


根幹が違えば、同じ事象に対する行動も考え方も真逆になる。


なので、これに関してもあれこれ大変ではあり、
書けば長編になるのでまた改めて書こうと思うが

結婚15年、いろいろとやりあった挙句、
お互いの違いを認められるようになってはきている、、
ような気がする。

そしてこの旦那さんは「徹底的な保守派」なので、
何か理不尽なことがあっても一切文句を言わない。

国の方針がどんなにおかしかろうが、会社でどんな理不尽なことがあろうが、それを「甘んじて受け入れる」ということに徹底しているのだ。

生き方はまったく真逆なのだが、

文句も言わずによくそれを受け入れて、長いこと同じ会社に勤め上げている、その筋の通りっぷりは尊敬している。

変えたいなら行動するわたし、と
現状を受け入れて粛々と勤めあげる旦那さん

こういう中で生活しているので、
中途半端にぬるいことを言う人を見るとイラっとするのかもしれない。


文句を言うだけならアホでもできる


これからの時代、ぼんやり流されて生きていくと
権力者が甘い汁をチューチュー吸えるように、うまいこと騙され
庶民はいいように使われていくだろう。

毎日垂れ流されるワイドショーのくだらないトークやコメントを見ていても、政治家の発言を見ていても思うが、文句を言うだけならアホでもできるのだ。

テレビに関しては制作者の圧力や意図があるので仕方ない部分もあるが、

文句ばっかり言って、人の揚げ足ばかり取って、自分の意見がない人は、結局、心の底ではきっと、何も変えたくないし、変える気もないし、自分の意見もないのだろう。


ある意味おめでたいが、わたしはそんな生き方は嫌だ。


思い通りにならない人生を、どう生きるか?


人間、生きていれば思い通りにならないことだらけだ。


腹が立ったりイラっとすることは多いが、そうはいっても今の位置で毎日を過ごすのだから、愚痴ってスッキリ、また明日から頑張りましょ、みたいな感じで済む場合も多いし、わたしだって愚痴も多い。

そして、その現状を甘んじて受け入れるか、改善できるように行動するか
そのあたりは個人の選択だから、それも良い悪いではなく、その人の生き方だ。

思い通りにならないことを、愚痴ってスッキリしつつ甘んじて受け入れるものひとつ、改善できそうなことは行動して改善できるよう働きかけてみるのもひとつ、それをうまく使い分けながら人生をやりくりしているのだと思う。

人生は「今」の積み重ねだ。文句と不満と愚痴で埋め尽くされた毎日の積み重ねは、不満な人生を作る。難所は幾度となく訪れるが、そこからどう切り抜けたか、という経験をもって人生の豊かさが生まれるのではないかと思う。

思い通りにならないことも多いこの世の中でもわたしは、できるだけ自分という主体性をもって、自分のできることを精いっぱいやって、思い切り楽しんで人生を生きていきたいと思う。


今日もお読みくださりありがとうございました!


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