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「天下一品」のこってりラーメンを食べるときリアルに蘇る「大学時代の苦い思い出」


「天下一品」のラーメンが大好きだ。

大学時代、京都市内に下宿していて、アパートの近所にある天下一品に足しげく通っていた。

そんな天下一品、関東には店舗が少なく、本日、数年ぶりに食べることができた。

久々の天下一品を食べて、いろんな思いが蘇ってきたので、わたしの天下一品愛と共に、ここにしたためておこうと思う。


天下一品は、ラーメンではなく「天下一品という食べ物」だ


「天下一品」のラーメンをご存じない方のために、いちおう説明する。

通称「天一(てんいち)」
京都発祥、ものすごく平たく言うと「超こってりラーメン」。

しかし、他の追随を許さない独特のドロドロ感があるスープは、もはや飲み物ではなく「食べ物」。

ラーメンというジャンルにも括れない、
「天下一品という食べ物」である。

好き嫌いがハッキリ分かれるが、好きになるとハマってしまう魔性の食べ物だ。

いちおう「あっさりラーメン」というのも存在するのだが、わたしは食べたことがない。わたしの中では、この「あっさりラーメン」は、こってりラーメンが好きじゃない人が、こってりラーメン好きな人と来るはめになったときに仕方なく頼むメニューなんじゃないかと思っている。

(あっさりラーメンが美味しかったらごめんなさい)

関東ではあまりポピュラーではないが、「アメトーーーク!!」で「天下一品芸人」なんて特集もやっていたし、関西出身の吉本芸人さんたちに愛好家が多いので耳にしたことがある人も多いかもしれない。

大学時代、足しげく通っていたのだが、就職で関東に来てからはめっきり食べる機会が減り、何かの用事で出かけた先に「天下一品」の店舗を発見すると駆け込む。

しかし店舗が都内に多く、わたしが住む神奈川には数店舗しかないし、なぜか我が家からアクセスが悪いところにばかりあるので、なかなか行けない。何かにつけて「天下一品食べたいなぁ」と思っていた。


歌舞伎町で天下一品を食べそびれる


この前息子と新宿のゴジラルームに泊まったとき、ホテルの目の前に天下一品があった。

息子はこってりラーメンが苦手だし、部屋でコンビニラーメンを食べるという。しかし、どうしても天下一品が食べたくなり、夜に息子を部屋に置いて食べに出ることにした。

夜の10時過ぎだったのだが、なんとコロナによる時短営業で10時に閉店していた。ショック。

まぁ、結果的には閉まっていてよかった。

なぜならその夜、都内で震度5の地震があって、息子と2人で30階のゴジラルームでガタガタ震えていたからだ。

もしわたしが天下一品を食べていたら、その頃に地震に遭っていたはずで、30階のゴジラルームにいる息子と離れ離れになっていた。

下手するとエレベーターを使わずに自力で30階まで階段を登らなくてはいけなかったかもしれないから、行けなくてよかったといえばよかったのだが。

天下一品に飢える日々


けれどそれからも、何かにつけて「天下一品」が食べたくなった。ある日、近所のセブンイレブンで、「天下一品」のカップラーメンを見つけた。

早速買って食べてみたが、あまりに天下一品度が低すぎた。あのコッテリをカップ麺で再現するのは難しいと思いつつ、あまりに無難なカップラーメンになっていてガッカリ。逆に、さらに天下一品への思いが燃え上がってしまった。

もう数年も食べてないので、あまりに食べたくなり、新店舗でもできていないかと店舗所在地を調べてみたら、横浜駅に店舗があった。

横浜駅なら行けるので、「次に横浜駅に行くときは必ず寄る」と心に誓った。

やっとありつけた「一杯のこってりラーメン」

そして今日。

ちょうど、パートの面接で横浜に行く用事があった。今日こそ天下一品デーと張り切って家を出た。どちらかというと、気持ちは面接より「天下一品のため」だった。

面接が朝10時半ごろに終わってしまったので、時間調整のため、ドンキで韓国の食材を買い、ビックカメラを覗いてお昼どきを待つ。

しかし、12時すぎたらきっと混むので、12時前に入店。「天下一品」横浜店は、ラーメン激戦区の一帯にあった。

2軒ほど先には、横浜家系ラーメンの雄「吉村家」、向かいには博多ラーメンの有名店「一風堂」がある。少し離れるが同じく博多ラーメンの「一蘭」もある。

関東ではあまりメジャーではないだろうと踏んでいたが、12時前でも店内はけっこう賑わっていた。

かなり狭い店舗で、カウンターに案内される。コロナ対策の仕切りがついているが、その幅がめちゃくちゃ狭い。わたしの肩幅より狭い。本当にラーメンとごはんを乗せたら終了。というくらいのカウンターの狭さ。

年月が経って、タッチパネルで注文し、精算は自動精算機で支払う仕組みになっていた。

何年振りか分からない、待ちに待った「天下一品」。カウンターの狭さなんてどうでもいい。ワクワクしながらいっぱいを待つ。もちろんオーダーは「こってりラーメン」一択だ。

しばらくして運ばれてきたのは、あの「天下一品」こってりラーメン。においが懐かしい。ドロドロして、麺が思うように持ち上がらない感覚も懐かしい。九条ネギの青々しさも懐かしい。

伸びないうちに食べようとすると、ドロドロスープが熱すぎてちょっと舌を焼いちゃうのも、あるあるだ。

天下一品の味と共に思い出す、大学時代のしょっぱいエピソード


あれだけ恋焦がれた天下一品をすすりながら、大学時代のエピソードを思い出していた。

あれは1年生の期末試験。第二外国語としてフランス語を選択。フランス語のテスト前日、当時つきあっていた彼と、彼のアパートに泊まり込んでフランス語の試験勉強をした。


※ちなみにこの彼は、デートで110円のジュース1缶を2人で飲んで、55円ずつワリカンしようとした、この彼と同一人物だ。彼とは大学時代のほとんどを一緒に過ごしたので、エピソードに事欠かない。


さて、この彼と本気で徹夜で頑張ってフランス語のテスト勉強をした。語学はとにかく暗記だ。英文科でバリバリ文系の私たちは暗記が得意。がんばって朝の5時くらいにある程度の暗記が完成した。これで単位が取れる!とお互いに喜んだあと、少しだけ仮眠を取ることにした。

この時点で分かる人にはオチがお分かりかと思うが、うっかり寝込んだわたしたちが起きたのは昼過ぎ。

フランス語のテストが終わっている時間だった。

ちなみに第二外国語は履修が3年あり、2つ一緒に取ることができないため、1回単位を落としただけで、留年にリーチがかかる。

あれだけ勉強したのに、うっかり寝過ごしただけで単位を落とすなんてと自分たちを呪い、学校に電話しようか、けれど教授の連絡先が分からない、とオタオタしているうちに時間が経ってしまった。

いま思えば、すぐに大学の事務室に電話して、先生につないでもらって釈明すればなんとかなったのかもしれないが、まだ19歳の私たちはそんなことも思いつかず、呆然としていた。

なんだか腹が立ってどうしようもなく、彼氏の家にあった古いジャンプを破いたりしてヤケクソを起こしたり、しばらく二人で荒れていた。そんなことをしているうちに夕方になり、せっかく死に物狂いで勉強したテストを欠席し、何の対策も打たずに日が暮れた。

やるせなさのやり場がないながらも、だんだんお腹がすいてきた。晩ごはんは「天下一品のこってりラーメンで景気づけしよう」ということになった。

ふたりでしょんぼりと、いつもの「天下一品」に入り、2人で瓶ビールを頼んだ。(このときのワリカンはどうしたか覚えていないが、もちろんワリカンだった)

そしてしょんぼりビールを飲んでいたその瞬間、
わたしたちの目の前に、フランス語の教授が現れた。

学校の近くに住んでいたが、今まで外食中に教授にばったり会ったことなんか一度もなかった。なんだか悪い夢を見ているような気持ちで、彼と顔を見合わせ、二度見した。

あちらはまだ私たちに気づいていない様子で、彼と教授に話しかけようかどうしようかひそひそ話で相談した。

話し合いの結果、潔く寝過ごしたことを告白して謝りに行こうということになった。

ふたりで席を立ち、教授の座っている席に行き、挨拶をした。にこやかなフランス語の教授は、「あれえ?どうしたの?今日いなかったよね?」と言った。

ことの事情を説明し、2人で必死に勉強したのだけど、朝方寝てしまい、寝過ごしてしまった。申し訳ないとひたすら謝った。

わたしたちにとっては一大事だったのだが、教授にとってはあるあるなのか、あまり驚く様子もなく、「残念だったねぇ」といい、その後、驚くべき言葉を発した。

教授は、

「すぐに電話くれたら、なんとか試験を受けさせてあげられたのにねぇ」

と言ったのだ。

わたしたちは今日の昼間、いったい何をしていたのだろう。寝過ごしたことで呆然自失となり、ただうろたえていただけで、何も行動しなかった。その結果、単位を落としてしまったのだ。

教授にはダメもとで、再試験などは受けさせてもらえないかとお願いしてみたが、当日中に試験を受けないと不正になるので、もう教授の力ではどうにもならないという。その後、予定通り単位を落とし、翌年からは「掃きだめ」と呼ばれる再履修コースでフランス語を3年間履修し、なんとか留年せずに卒業した。

ちなみにフランス語の再履修クラスは、さすが「掃きだめ」と呼ばれるだけあって、生徒も先生もやる気がゼロだった。再履修のテキストは「ゾウのババール」という幼児向けの本。さすが再履修だけあって、数字の1から10を数か月かけて覚えるような授業だった。前のクラスではアップアップでついていけなかったのに、あまり勉強しなくても余裕の高得点で単位をとれたので、良かったと言えばよかったのだが。

そんなこんなで思い返すと、なんとも未熟な学生のエピソードだなぁと思うが、天下一品のラーメンをすすっていると、その当時の空気感や香り、冬の寒さ、彼との会話、あれこれが鮮明によみがえってくるのだ。


もしかしたら、わたしはラーメンではなく、その思い出を食べているのかもしれない。


これからも、天下一品を食べるたびに、このことを思い出すのだろう。


今日もお読みくださりありがとうございました!

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