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おじいとおばあ(国際結婚・ブラジル移住)



義母の両親はすでに他界していたので、私は写真でしか知らない。義父の両親は、義実家から車で1時間弱のサンパウロ郊外に二人で暮らしていた。

ある日、義母と同居の義姉と私たちで、おじいとおばあ(沖縄の人は祖父母をこう呼ぶ)の家を訪問した。1階部分はガレージで大きな犬が放し飼いになっていた。階段を上がって、玄関を開けるとすぐ居間だった。ドアを開けると部屋中おしっこの匂いが充満していた。居間のど真ん中には床に直置きしたベッドマット、その上にはオムツ姿のおじいが横たわっていた。

奥の部屋からおばあが出てきた。おばあは自立しているようだったが、一人でおじいの面倒を見ることは出来ず、近くに住む義父の妹が週に数回来ては、掃除、買い物、料理、シャワーなどを手伝っていた。

戸惑いを隠しつつ、居間、部屋、キッチン回り、浴室の掃除を手伝った。旦那と義姉でおじいとおばあの体を洗い、服を着替えさせてから洗濯をした。義母がお昼ご飯を作った。洗濯物を干してから皆で昼ごはんを食べ、着替えたおじいは居間のソファに座った。掃除をしても、ベッドマットに染み込んだおしっこの匂いは中々消えなかった。

そろそろ1歳になる息子を、ソファに座ったおじいの膝に乗せた。おじいは嬉しそうに笑った。おばあも息子を抱いた。そして嬉しそうに笑った。少しだけ休んでから、私たちはおじいとおばあの家を後にした。

それから何回か、週末には皆でおじいとおばあの家に行き、同じことを繰り返した。行く度に旦那が、うちを案内しながら昔話をしてくれた。

敷地内に大きな家が2軒隣接していて、昔はおじいとおばあ、義父(長男)と義母、その子供たち4人と独身の次男、三男、、、、年の離れた末の弟までが一緒に住み、義母が一人で全員分の家事をしていたという。ちなみに義父は8人兄弟だ。長女の子供たちや妹の子供たちも一緒に住んでいたようだ。

今は誰も住んでいない方も2階建てで、1階はキッチンと居間、2階は居間とバス・トイレ、そしてコンクリートで塗り固められた灰色の壁の細長い部屋が3つ隣り合わせにくっついていた。昔は旦那とその兄弟、いとこたちが使っていたようだが、人が住んでいない空っぽの部屋は、独房のように見えた。そういえば、レンガ、コンクリート、タイルで出来たブラジルの家は冷たくて、慣れるのに数年かかった。最近の新しいマンションは真っ白な壁に木製のフローリング、ガラスや鏡を沢山採り入れて素敵なのだけど。


それからしばらくして、おじいが死んだ。

義父は出稼ぎで、一人京都に住んでいた。長男(旦那の兄)も出稼ぎで愛知に住んでいた。8人兄弟の長男である義父の代わりに、旦那と義母、義姉たちがバタバタと動いた。

ブラジルでは火葬する人もいれば、土葬する人もいる。遺灰を自然に返す人もいるそうだ。義父のうちは火葬だった。一晩誰かが付き添って翌日、火葬場内にある広いスペースで別れの儀式が執り行われた。中心におじいの棺が据えられ、棺を中心に親戚、家族、友人らがぐるっと囲んだ。

驚いたのは参列者の服装だった。私は喪服を持っていなかったので、黒いワンピースで参加した。男性はスーツ姿の人もいたけれど、女性は普段着の人がほとんどだった。参列者の中に真っ赤な漫画Tシャツにスパッツという参列者がいた。旦那のいとこだった。今でも鮮明に覚えている。でも軽くショックを受けたのは私だけで、誰も気にしていないように見えた。

参列者が一人ひとり棺の中に花を入れ、最後のお別れをした。最後に、旦那が代表で挨拶をして終了し、遺灰を受け取るために、旦那の家族だけが残った。たったそれだけのシンプルなお葬式だった。







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