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第四話⭐️ ドメスティックプロフェッショナルー専業主婦は経歴に書けますか?ー

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「疲れたー」
 と仕事も終わり、大我と相馬の送り迎えの時間には中抜けができ、子供2人を職場の人に紹介して帰ってきた。

「よし……ご飯作るか」
 加奈子は事前に食材を切り分けあとは焼いたり煮るなりするだけでできるメニューにしておいた。
 それは本当に正解で、面接と施設説明だけなのにかなり神経を使ったのか……人一倍人見知りもあって……クタクタな状態である。

 今後も仕事を続けたらこんな感じなのか? いやそれ以上に疲れる。
 私はとあることが頭によぎった。

『仕事するなら全部の家事をちゃんとしてら僕が帰ってくる前には晩御飯しっかり一汁三菜用意できてないとダメだよ』
 という謙太の言葉。私が結婚当初にやっぱりいつかは仕事をしたいとぽろっといった時の返答がこれだった。
 当時はまだ主婦になりたてだったからそんなの無理、と思ったけどここ10年ちかくやっていたら無理じゃない、なんとかなる! と思ったんだけどもやっぱり無理……なのかな。

 一汁三菜なんて。有名料理家が一汁一菜でいいんですよ、てテレビで言ってるのに謙太はありえないとか笑ってた。

 最近太り気味だ、尿酸値高いと言われたから私に対して食事でちゃんと対策してくれよと病院でもらってきた食事指導の紙をペラッと謙太に渡された時にはもう白目になった。

 料理だけであんたの体良くなると思う? 土日はゴロゴロして家事手伝ってくれない……むむむ。

 それなのに一汁三菜を求めてくるなんて。渡してくれる生活費増やしてくれないのに? 子供たちがどんどん食欲増してきているのに? やりくりできないのは妻のせい、って……?

 ダメダメ、こんな余計なこと考えたらあっという間に時間過ぎちゃう。

 もし今日、しっかりできなかったら……謙太に……仕事やるなって言われてしまう。

 あと他にも少し凹むことがあった。あの例の現れた老女から言われた言葉。

『資格のないただの主婦を雇ってそんな奴にお金払うのは無駄だ』

 確かに普通自動車免許以外持っていない。資格はなくてもいいのよ、と坂本さんはいってくれたけどあの老女は
『会計のできる人を雇った方がいいじゃないの、人件費削減してもっと施設に還元しておくれ』
 だなんて。

 会計なんてやったことないし。簿記の資格はあるかしら、私は一級持ってるけどと流れるように坂本さんは言ったけど……簿記は何度も挫折したっけ。

 それに謙太言ってたっけ。
『女は賢すぎるとモテないぞ』
 って。それは彼の親戚の女の子が東京のトップクラスの大学に入学したという話があって彼の親戚の中でその話で盛り上がったけどどうせ結婚したら意味がないからコスパが悪い、女が賢くても婚期が遅れるからやめさせろ、結婚したら夫を尻で敷くんだろなどネガティブな話題で飛び交っていた。

 これは私たちが結婚した時の話だからもう彼女は大学を卒業していい会社に勤めて30歳くらい、親戚づたいではまだ結婚はしていないが彼女を含めた家族はもう親族会に来ていないからよくわからないそうだ。

 ……かといって賢くなかったら
『だから馬鹿な女はダメなんだ』
 と罵られる。

 女は賢すぎてもそうでなくてもなんだかんだ言われてしまう。
 あぁ、どっちなんだよ。



 なんだかんだで謙太が帰ってくるまでには晩御飯は揃えられたがモヤモヤとした気持ちや考え事をしていたら焦がしたり煮すぎてしまったけども謙太は何も文句を言わなかった。結婚当初であったら大目玉で作り直せとかどう作ったんだとか問い詰められているところだったのに。
 いつしか面倒になって健康に気を使う料理も作らなくなっても何も言わず食べている。

『男はいずれ丸くなるから今は耐えなさい』
 母に言われたっけ。丸くなるまで10年近くかかったものだ。見た目もだいぶ丸くなってしまったのだが。

 私は一番焦げてしまったハンバーグを食べる。あぁ苦い。

 早速加奈子は次の日からの勤務になった。嫌なことを言われた次の日だが坂本さん曰く昨日の老女はたまにしか来ないしきてもこっちから相手しなければソファーでテレビを見て帰るだけだから、とのことだ。

 服はどうしようか悩んでいたのが特に決まりはないわよ、と言ってる坂本さんも窪田さんも上はジャケットを羽織っていた。
 施設の掃除があるからジーパンでとは言われた。
 ジャケットは子供の晴れの日用の紺色スーツのジャケット、白色のトップスに普段から履いているジーパン、スニーカーである。

「こんなラフな格好でいいのかしら」
 と加奈子は玄関前の姿見で自分を見ていると
「ママ、かっこいいー」
 と大我はランドセルを背負って学校に向かう準備をしていた。

「ありがとう。大我、施設の前に来たら待っているのよ。ママが迎えに行くからね」
「わかったよ」
「横断歩道あるけどママが迎えに行くまでは絶対に渡らないでね」
「はぁい」
 まだ大我は1人で横断歩道を渡ったことがないため通学路と施設のあるばしょが横断歩道の反対側のため大丈夫かと心配したがその時間帯には仕事を抜けて迎えに行けれるため待っててもらうことにしたのだが初めてのことで上手く行くか心配になりつつ
「心配しないでよ、僕はもう3年生だから」
「3年生だからこそ心配するんだから」
「心配するのは相馬じゃない? あ、もう時間だ、行ってきます!」

 どうしてこんなにしっかりしたものかと大我の後ろ姿を見て加奈子は胸が熱くなるが……

「ママぁ……」
「相馬……」
 そこには口の周りにケチャップを付け、いや口だけでなく幼稚園の制服も……。それは晩御飯用に置いてあった鶏もものケチャップ煮であった。

「美味しそうだったもん」
「あぁああああああ」
 加奈子はその場で崩れた。





 なんだかんだで制服を綺麗にして……と言っても制服にはトマトの匂いが……。
 大我からのお下がりで高額なため替えもないからしょうがないと思いつつバスに乗せてすぐセンターに向かう。

「おはようございます!」
 坂本はニコニコとして加奈子を出迎えた。

「あらぁーおはよう、加奈子さん。お子さんはもう学校に行ったかしら」
「はい、なんとか……」
「なんとか、なかんじね。お茶入れたから飲んでからセンターあけましょうね」

 髪の毛も服も振り乱した姿がセンターの窓ガラスに映ったが加奈子はふと思った。

「窓ガラス……汚い」
 坂本さんが中に入ったのを見て加奈子はセンターの入り口も見る。
 全体的に古いと言うのはイベントで訪れた際には気付いてはいた。先日も面接の際に入口の窓を見たがサッシも汚く開けづらかった。

 入り口を開けてガラスに貼ってあった『入り口』と書かれた看板の裏側が内側から見えるのだが小蠅の死骸がびっちりついていたのだ。

「なぜ誰も気づかぬ……」
 加奈子はすぐカバンを置き入り口を出て看板を外す。簡単に外れる。
 うわぁって顔をしながら近くにあった雑巾で看板の裏側とそれに面したガラスを拭く。
「洗剤あったら拭かないと」

 と一旦看板を貼り直した。そのついでに玄関を見ながら後退りする。四隅に蜘蛛の巣。ひぃいいと加奈子は近くにあった箒で払うが上の隅は届かない。ジャンプしても無理だった。

「俺がやろうか」
 加奈子はびっくりして振り返ると出社してきたばかりの窪田さんが立っていた。びっくりして頭を下げて窪田さんに箒を渡す。加奈子よりも頭ひとつでかい彼はひょいと綺麗にしてくれた。
「ありがとうございます」
「いやいや」
 と窪田は加奈子に箒を返して事務所に入って行った。

「私よりも背が高いのに気づかないのかしら……」


 その日は他の箇所の掃除ができていない場所が見つかった。今日はとりあえず1日の流れを見てねと坂本に言われ、来館者の老人や貸し部屋を利用する人たちに挨拶をしながら掃除をしていた。
 坂本は電話対応や来館の常連のお年寄りと話していて、窪田は自治会の仕事も併設の事務所でしていたため様子はわからない。

「あまり無理しないでね」
 と職場で働き始めて五日目。玄関の黒ずみを洗剤をつけて本来の白さを取り戻したところに後ろから自治会事務所の女性がやってきた。
 50代くらいの女性だった。スーツを着てとても明るそうなと言うよりもこの施設にいる自分より歳の上の人たちはなんだかイキイキしている、この5日で気づいた。

 そもそも利用者も働く人たちも加奈子よりも年上のものしかいないのだが。たまに自治会の班長で同年代や若い転居してきたばかりの主婦もいるのだがその女性たちは仕事のついでに自治会の用事を済ませている人であった。

「お給料以上のことをやるともったいないからね。体壊すだけだから」
 と事務員、角田さんはそそくさと事務所に入っていった。
「はぁ……」
 お給料以上……加奈子はしばらくは専業主婦で給料の概念がよくわからない。今は県の最低時給よりもプラス20円。
 さて、今までは時給に換算すると……と考えたくなかったものである。生活費の中に加奈子のお小遣いとやらも含まれていたらしいがスマホ代も月に1000円以内(機種代は支払い済みの2年同じものを使用している)、自動車が必須の町のためガソリンは仕事をしていなくても買い物や子供たちの習い事の送迎やお出かけなどで月に4、5000円。特にサブスクも某ショッピングサイトと映画見放題がくっついた月500円のプランのみだ。
 そして貯金に回していたのだが……。
 贅沢はしていないのに食費や生活費を支払っていると逼迫していく家計。なのにやることは家事全般、調理、子育て、義父母の話し相手、謙太の支度の準備、あれやらこれやら……。

 それと考えていたら今の施設内の気になるところの掃除が給料外の仕事というのは苦ではない加奈子。それよりもどうしてこんなにも掃除が行き届いていないのか、誰も何も思わないのかと疑問に感じているようであった。


「加奈子さんー、今日は庭師かねぇ」
 と伸び放題であった施設の生垣を小型の植木鋏を持って完全日差し避け怪しげスタイルで選定する加奈子に施設の常連が話しかけてきた。

「そうですねぇー」
「すごい慣れてるじゃない」
「家でやってたんで」
「ほえー、若い人が珍しい。大体はシルバーさんやら庭師さんに頼むじゃない」
「そうですけど結構無心になれていいんですよー」

 と笑って返すが内心そうじゃないと思う加奈子。専業主婦になってまさか経験するとは思っていなかった庭木の剪定。実家では大抵庭師に頼んでいた両親、時たま加奈子のあまり趣味の無い父親がチョキチョキと切っていたところを見ていたがやはりもう歳になるとやらなくなり庭師どころか全部伐採してフェンスをつけてしまった。

 そっちの方が毎年庭師を頼むよりも安いと母が話していたのを覚えていた加奈子だが謙太に提案すると
『長い目で見ても庭師頼むのとフェンスをつけるのはトントンになるだけでどっちもやらなかったらお金かからないでしょ。毎年コツコツやればいいの。加奈子が日中家にいるんだからやればいい話でしょ』

 と言い返されたのだ。確かにごもっともとネットでフェンスを取りつける料金を見たらとんでもない値段、こんなのすぐ出来ないと思い諦めた。

 で、加奈子がネットで調べて生活費の中で買った剪定鋏で汗水垂らしてやっていると義父母たちがやってきて手伝いに来て週末に謙太も手伝い終わる、それの繰り返しであった。

 もう何年もやっていたら高所恐怖症だった彼女も脚立に立派に乗れるようになり剪定鋏の扱いも慣れたものである。もちろんこれも坂本や窪田に頼まれたことではない。
 センターの決められた仕事をこなしてから来館者が来ないためずっと気になっていた伸びきった庭木を坂本に許可を得て切っているのだ。

 やらなくてもいいけどやってくれるならいいわよ、とのことだったがだんだん綺麗になっていくセンターに加奈子は資格を持ってはいないがやりがいを感じる、がもちろん時給は変わらず。お金さえしっかりもらえればいい、だなんて今まで不透明な時給で働いていた彼女ならではである。

「本当加奈子さんは細かいところによく気づいてくれるからありがたいわ」
「いえいえ」
 内心、なんでこんなに汚くなるまで気づかないんだろうと微笑む坂本に思う加奈子だが渡されたお茶は癒しである。自分が庭木の剪定していてもお茶を用意するのは自分だった。そして義父母がいる場合は自分が用意して気を利かせなくてはいけなかったのだ。
 今を思えば自分だけでやれば人に気を使うこともない、と加奈子は思っていたが坂本の優しさを感じホッとするのも束の間、思い出してしまったことがある。
「うわ……うちの剪定もそろそろ……」
 ブルーになるのだが今はセンターの剪定を先にしよう……と加奈子が作業に戻った時だった。

 颯爽にセンターの前を一台の自転車が去っていく。加奈子は気づいた。その人はあのうどん屋で見た青年だった。服装も同じものですぐにわかった。
「……あの人、この辺の人?」

 加奈子の胸は何かに締め付けられたかのようにぎゅううっとなった。夫も子供もいる身なのに、と罪悪感を感じるがあの時に抱いたドキドキがいまだにあるのはなんだろうか、時たま思い出す彼のこと。

 少し前に仕事のことを心配して電話かけてくれた瑠美に加奈子はその男性のことを話すと
『夫や子供がいても他所で推しを作ることは大事よ』

 と。推し……加奈子は推し活とやらはしてこなかった。お金が掛かるからだ。よくファンレターやプレゼントを渡したりコンサートやイベントに行くことを結婚前はしていたがコンサートは家族のイベントや学校などのイベントと被ったら行けなくなる、行くことになっても預けるかぞく何日も前から頭を下げて帰りにはお土産も買ってとか、それ以前に家族が病気や急用ができたら安くも無いチケット代が無駄になる、独身時代と同じことはできないコスパの悪いものだと思っている加奈子はしばらく推しはいなかった。

 テレビも子供向け番組ばかりだが子供向け番組のお兄さんに一時期入れ上げたこともあったもののやはり後ろめたさがあってそこまで入れ込むことができなかった。

 気づいた頃には新しいお兄さんに交代し、なおかつ実は既婚者でした、となった時に加奈子は『ダブル不倫だった』と意味不明な落胆をしたこともあった。(妄想の中で不倫していた気分になっていた)
 加奈子は今思えばこれも推し活だったのかと思うが今は違う。リアルに手に届く相手にドキッとしているのだ。

 ただ加奈子は彼が今のこの剪定職人スタイルを見たのだろうか、それだけが心配であった。


 そして加奈子は手慣れた子供の送迎ルーティーンをこなし、家に戻って驚いたのだ。なんと謙太が家の庭木を剪定していたのだ。子供たちはかっこいい! と言うと謙太は笑った。今まで自分からやることなんてない、やってよと加奈子が言うと不機嫌になり最後は渋々やるスタイルだった。ようやく数年前から最終日にはやってくれるようになったものの……。

 それよりも仕事は? と加奈子が問いかけると
「言わなかったっけ。今日は直帰だって。後輩がこっちのお客さんにミスやらかして同行していった帰りだよ。帰っても誰もいなかったし天気もさほど暑くないしやることもないから」

 加奈子は内心子供たちの送迎をして欲しかったものだが、彼が直帰だったことを忘れていた。無趣味だったのは父も同じだ、似たような人と結婚するというアイドルの歌の歌詞を思い出してクスッと笑った加奈子は
「アイスあるから食べなよ」
 と自分のご褒美であるアイスのことを思い出し、この日ばかりは差し出そうと言う気分になった。すると謙太は
「どれだけあんの」
 と。
「6カップよ」
 と答えるとホッとした顔をする謙太。そして顎で何処かを指す。何か嫌な予感がしたのだ。

「アラーおかえりさい! 私たちも奥の方やってたからアイスいただこうかしら」
「お婆ちゃん、おじいちゃん!」

 植木から覗かせたのは義父母たちであった。謙太がこんな気を利かせることはない、そう思ってはいたと、予想は当たっていた。


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