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京都の個展でのこと

10月17日から始まった個展にあわせて、京都へ行った。

ひさしぶりに京都駅で降りたとき、前回のような高揚感はほとんどなかった代わりに、地に足がついたような感覚があった。「観光」ではなく「暮らし」にフォーカスがあっているような。

旅って、目的地に着いたときに自分の精神状態が分かるところがある。普段の生活の中でははっきりと見えない自分の姿が、電車や飛行機や徒歩で移動していくうちに、まとわりついたものがするすると落ちてあらわになっていく感じがする。距離があるほどすっきりする。新幹線が走った距離とスピードのおかげで、京都に着いたわたしが持っているのは、一人の人間としての自分の身体と精神だけ。本当はこんなに軽いのだ。

個展初日は、細かい雨が降っていた。本来、初日の雨は残念に思えるのだけど、今回はむしろ、ほどよい湿度のおかげで身体が土地になじんでいく気がした。水分は、何かと何かをつなげてくれる。身体と土地、身体と身体、心と心。おかげで緊張もやわらいで、落ち着くことができた。恵みの雨だ。

2日間の在廊中、たくさんの方とお話しした。一つ一つの出会いがとてもあたたかく、思いやりにあふれていて、感謝することばかりだった。そんな時間を過ごすなかで、ふと、「他者を肯定したい」というとても大きなテーマが頭に浮かんできた。「他者を肯定したい」っていうのはどういうことなんだろう?と考えていくと、「他者を肯定する」ことで「自分自身を肯定したい」ということだと思った。「他者を肯定する」なんて、わたしにそんな大きなことができるんだろうか?と戸惑ったけど、でも、これはわたしにとって業のようなもので、たぶん一生つきあっていくテーマだと感じた。

あわただしく京都から帰ったあと、自分の仕事をあらわす言葉を「イラストレーター」から、「絵と言葉」に変えた。絵描き、画家、作家、とか、いろいろ考えたのだけど、一番しっくりきたのが「絵と言葉」だった。ずっと「イラストレーター」という言葉がしっくりこなくて、でも、なんとなく勇気がわかずにそのままにしていた。でも、自分の暮らす場所から離れて、たくさんのひとに作品を見ていただいて、お話をするなかで、わたしの活動はもっともっと広く、自由でいいんだなと感じた。だからそれにふさわしい名前をつけてあげたいと、そう思ったのだった。

自分の活動のことなのに、「つけてあげたい」というのは自己陶酔っぽい表現で妙だと思われる方もいるかもしれない。自己陶酔警察のわたし自身、それを感じている。でも、たくさんのものや、ひとや、いろいろな力を借りながら、それを形にする立場として、活動のフィールドを整える責任があるという妙な感覚があって、今回はそれをそのまま書いておきたかったのです。

個展は11月1日まで続きます。ぜひ、お運びください。

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