見出し画像

伊勢日記 4巻・5巻

12月3日

今日は休みにする。昼過ぎに宿へ戻り、ごろごろしながらNetflixで炎炎ノ消防隊を一気見する。おもしろい。

12月4日。

7時半起床。

今日は伊勢和紙館の見学へ。

自然光で紙のチェックをするそうで、工場は陽の光で明るく、清々しい。いたるところに紙垂(しで)が飾られている。

伊勢和紙の原料となる木の皮。

手漉きだけでなく機械透きも行われている。機械は50年もの。

できあがった紙を検品する。紙の山が高く積まれている。

1時間半ほど見学したあと、移動して仕事をし、一日が終わる。

正直言って、一人で伊勢2週間の滞在は孤独である。トラベル感は数日のうちに消え、仕事しながら暮らしている感覚なのだが、太陽の光のなか人通りの少ない道を歩いていると、体がふわふわして、どこか死んでいるような気持ちになる。旅に出るとそういう感覚になることがある。実際に死者になったときも、案外こんな感覚なのではないかと思う。なんだ、「延長線上」じゃないか、と気づく。その感覚的な発見にぞっとするし、不思議な気持ちにもなる。突然、ぽんとカメラが切り替わって、自分を俯瞰で見ているような感覚だ。

さみしさ、孤独感、むなしさ、知的興奮、すがすがしさ。不安で臆病な自分と、いつもと違う場所・状況で、どんなことを感じるのかわくわくしている自分。この滞在中にそういう感覚の変化を観察し、なんらかの形にしたくてここに来たようなところがある。主観と客観の視点を持つ、相反する自分が心のなかにいるのだ。

せっかく長く滞在するので、できるだけ土地の空気を感じて、そこで暮らしているひとがどんなものをまとっているのかを理解したい。消費だけでなく場所に同化して、いろいろな角度からこの土地を見たい。けれど伊勢神宮はなんというか存在があまりに大きくて、感覚的にこの場所を理解するにはすごく時間が必要だ。何度足を運んでも、違う場所のように感じる。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。