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届けること、受け取ること

書きたいことが断続的にあって、続けているこのnote。最近では「note見てます」と、初対面の方にも感想をいただく機会が多くなった。もともと、ひとの日記を読むのが好きで、mixiやブログから作家の日記まで読み、そこからたくさんのことを受け取ってきたので、この日記もまた誰かに読んでもらえているということが不思議で、うれしい。ありがとうございます。

わたしたちは別の人間だからこそ、たがいに共感しあえたり、違いを味わえたりする。それがコミュニケーションの醍醐味だと思う。わたしはわたしで、あなたはあなた。それがとてもいい。

ものを作る(書く)上で、一人ではなしえないイマジネーションの広がりこそ、もっとも大切にしたいことだと思っている。受け取ったひとが自由に解釈し、楽しむこと。絵での表現においてはその自由さが楽しく、むずかしくもあるのだけど、言葉での表現は楽しいところも、むずかしいところも、絵のそれとは少し違うところにある。

言葉は、それ自身が持つ意味が限定的な分、ここまでは読み手と共有したうえで想像してもらえるだろうと思いながら書く。でも、言葉は同じでも、その言葉の持つ意味の捉え方がひとによって違うから、伝わるように書いたつもりでも案外伝わらない。自分の言葉が思いがけないところへ転がってゆくとき、考える。もちろん、わたしの文章の未熟さゆえに伝わらないところもあるだろう。でも、伝えたいこととむしろ対極にある解釈を聞くと、その違いをおもしろいと感じると同時に、自分では制御できないところで、わたしの言葉が誰かを傷つけてしまうかもしれないという可能性に背筋がぞっとする。

誰もが気軽に使えるツールだからこそ、慎重に。丁寧に。そして遊べる余地を残したい。話し言葉も、つぶやきも同様だ。言葉の力のつよさを思う。

いつもお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、これからの作品作りに使いたいと思います。