無知の知について
こんばんは!年中鼻炎のたけむです!
今回はソクラテスの名言である無知の知について考察します。
言葉のまま定義すると知らないことを知っていること。これに転じて自分がいかにわかっていないかを自覚せよ、という意味です。
年齢を重ねるほど、経験値が増えてくる一方でついつい少し知っている物事をあたかも自分は詳しいと感じてしまうのが人間です。必然的に周りの人から教えを乞うということを少なくしていることが多いのでしょうか。
特に皆さんは自分より年齢が下の人に積極的に物事を聞こうとしているでしょうか。
この「自分が他人より知らない状態」は往々にして存在していると思います。
例えば中学生の時、自分の所属している部活動では自分は後輩より知っているorより良いパフォーマンスができるということはあると思います。
しかし自分より学年が下の別の部活動に所属している人(Aさんと仮定)はどうでしょう。
Aさんが所属する部活の知識やノウハウは自分よりAさんの方が優れていることの方が多いと思います。それなのに、自分の持っている知識だけでAさんにマウントをとることはできるでしょうか。
社会人になると、社会人歴=優位性になっているように感じます。
間違いではないと思いますが、正解とも限りません。
確かに歴自体が長いかもしれませんが、社会人という枠組み自体があいまいで、1つの会社や団体に所属して仕事or活動した年数のことを社会人歴と言っています。その会社や団体内では優位性を持てたとしても、別の場所に所属する社会人歴の自分より浅い人(Aさんのような人)より自分の方が社会人として確立している、と思うのは浅はかだと思います。
その「社会人プライド」というものが構築されるほど、自分の枠が狭まり、気が付けば柔軟性の欠いた状態になるのではないでしょうか。
無知の知
2000年以上前から伝わるこの言葉は現代でも大いに考えさせられる表現だと思います。
明日もいろんな人に教えを乞いにいこうっと!
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