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恋と愛の違いって


こんばんは。

今日はタイトルの通り恋と愛の違いについて超個人的にお話ししていこうと。

きっかけは、単純にPeingにこの質問が来たからです(笑)

この二つの概念が重なり合って、恋愛となるんですね。

恋をして、愛する。離婚して、かなりこのようなことを敬遠しがちになっていますが、改めてこのことを考えるようになりましたので自分の考えを整理するためにも、書いていこうと思います。

まず、辞書的な意味について。

恋:特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいという感情。

愛:大切にすること、かわいがること、めでること。思いやり。

だそうです。かなりざっくりですね(笑)

辞書的な意味だとあまり違いが感じられない気もしますが、ベクトルが違うのかな。

恋は自分の気持ちを自覚する。愛は相手を思って自分で動く。ってところですかね。

じゃあ、あなたが思う恋って?と言うと、自分の気持ちを特定の相手に向けていることを自覚することだと思っています。いわゆる”ソロ活動”。相手の気持ちや状況はこの場合あまり関係ありません。自分の欲望(会いたい、一緒にいたいなど)を実現したいと思う気持ちを自覚して、初めて恋と認識できる。じゃあ好きって気持ちはなんだろう?と考えた時に、辞書の説明が尤もで、ある人物を特別に思うこと、会いたい、一緒にいたい、はたまた触れたいと思う、その内に秘めた淡い気持ちなんだと思います。その気持ちを”自覚”することが恋なのです。その欲望を実現するためにアプローチすることもちろん恋になりますが、遠くから相手思っているだけでもそれは恋です。”ソロ活動”には違いありません。出発点が自分であることには変わりないのですから。

では、愛ってなんだろう?と言うところです。まず、愛とは恋をする相手だけが対象になりません。家族や友人を思って行動する、その行為こそが”愛”と呼べます。決定的に違うのは相手を思うことが出発点になることです。相手のことを考え、相手のためを思い、行動すること。それが愛となります。愛に関しては、相手との強い関係性が前提となり、愛を続けるために相手とその行動を交換し合うことで愛が維持され、育まれます。愛は”等価交換”が必須となるのです。この時点における”等価交換”とはお金やバックグラウンドに限りません。相手を思い、その気持ちをお互いに実現し合うことです。等価交換を続けない限り、愛は執着に様変わりし、はたまた愛を手放す選択をせざるを得なくなってしまいます。


じゃあ、例えば余命数ヶ月で寝たきりの人、認知症のパートナー(もしくは親)が相手の場合等価交換はできないんじゃないの?と思ったりしますよね。

そこがポイントで、等価交換できるのです。

では、余命数ヶ月で寝たきりの夫と献身的に介護するその妻を例に挙げてみましょう。

奥様はなぜ介護するか?そこには様々ですが理由が必ずあります。1日でも長く生きて欲しい、1秒でも長く一緒にいたい、奇跡が起きて完治して欲しい。余命数ヶ月の当の本人もそれを望んでいる。そのためにできることを全力ですることが奥様からの愛であることはご理解いただけると思います。ただ、ここで旦那様は愛を奥様に贈れているのか?と言うところですよね。

1日でも、1秒でも長く生きようとする、それこそが愛を送り返してる行為だと私は考えています。そこに等価交換は成立しているのです。一見そんなの全然価値違うじゃ〜ん!と思うかもしれません。

では奥様がこの時点で旦那様に望んでいることはなんですか?”1日でも長く生きて欲しい”と言うことですよね。それを彼女の願いを実現しようと努力する。それこそ愛と呼べるのではないかと私は考えます。

様々なパターンが考えられますが、一例として挙げてみました。

愛は時間差もあるのでご注意を。

ではまた、次回に。


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