自分に嘘をつかない、正直になる
前回の記事でモーニングのお店をやりたいと思っていたことを思い出したことについて書きましたが
「やりたい」という思いに対して素直になれなくなったのって、子供の頃のことが影響してるんですよね。
よくあるのが習い事
友だちが習ってて自分もやってみたいと思ってもその気持ちを素直に親に言えなかったという経験ある人って多いのではないでしょうか?
家庭の事情(兄弟が多いとか経済的事情だったり、送り迎えのこと)もあったり、他の習い事との日時の問題だったり、親も積極的に関わらなくてはならない習い事となると親が面倒だからやらせたくないということもあったりしますよね。
逆に、親がやらせたいという思いでやらせてる場合もあったり、習い事は良くても先生が嫌だとか、友達と合わないとかいろんなことが関係してきます。
今なんて習い事のバリエーションが豊富だし、お教室も多いから大変ですよね。
学校選びに関しても、行きたいと思っても学力や経済的なこと、住む場所や学校のある場所も関係してくるし、留学とかだって行きたいと思っても誰もが行けるわけではないから
もちろんやりたいという思い全てが思い通りにいくわけでもなく、我慢することだったり、自分で選択する力などを身につけたり、学ぶために必要な過程だったりもするけど
これらの絡みの影響で素直にやりたいという思いを出せなくなっちゃうんですよね。
そういえば少し前にチケットの束からの気づきで、いろんな選択に関すること書いてました。
数日前に「嘘をつく」というキーワードが入ってきたのですが、そこと自分のやりたいこととがリンクして、自分のやりたいことをなかったことにしたり、押し込めたり、蓋をしたりすることって、自分に嘘をついてるってことだよなぁと思ったんですよね。
本当の自分はやりたいと思っているけど、いろんな過去の影響だったり、恐れや不安などというネガティブ感情邪魔をされ、やりたいという思いが埋もれてしまいわからなくなる。
その結果
となってしまうんですね。
私自身、今の仕事をはじめるまでやりたいことがわからず、ずーっと悩んでました。
このことについては以前何回も記事にしてきてますが、今の視点でまた近いうちに記事にしてみようと思うので今回は詳しくは書きませんが、とにかく不要なもの外しをしてきました。
不要なもの外しというのは、浄化、解放、クリアリング、手放しなどいろんな表現がありますが、自分のことを知らないから自分は何もない、何もできないという無価値感や劣等感、不安や恐れなどを持ってしまってて、これらが不要なもの
これらを継続しながら、その時の自分ができることに取り組み、自分の進む方向を軌道修正しつつ、自分らしく生きることを目標にしてきていました。
以前の私は自分らしく生きることの先は何も見えていなかったのですが、ようやく自分の使命というものがわかり、受け入れることができたことで、本当の自分を生きることができるようになったなぁと感じています。
本当の自分を生きるということは、自分に正直になる、嘘をつかないってこと
本当の自分を生きることって、シンプルになればいいだけだから本当は簡単なはずなのに自分で難しくしちゃってるんですよね。
魂の視点でみると、今回この地球に生まれてきた理由、課題というのが人それぞれあるから、難しくしてることに気づくことは誰もが取り組む必要があることなんだけど
このまま書いてるとキリがなくなりそうなので、今回はこのへんで終わりにしようと思います。