美意識にシミを付けない!

昔、友達たちが流行りの言葉を使っているのを見聞きして、

何が良いのかよくわからない、使いたくない

これが本音だったのだけど、


使わないとお高くとまって見える、変に思われる、仲間はずれにされる、

そんな風に思って私はそれらの言葉を使い始めた

今思えばこの瞬間私は自分の信念を、美意識を曲げてしまったのだと思う


大衆に迎合するために…


誰かが言っていたけれど、


例えば汚れたテーブルを真っ白なふきんで拭くとふきんが汚れ、洗ってもシミが残る。


ほんのちょっとのことだとそのときは思うのだけど、一度でも汚れを許すと人は汚れることそのものへの抵抗が薄れるのだというのだ。


それと同じことが子供の頃の私にも起こったのだと思う。


一度流行の言葉を使うと、それに引きずられるように男の人言葉を使ったり、汚い言葉を面白がって使ったりもした。


それを許してしまったのだ。


私の場合は、祖母がそうしたことに厳しかったことと、あるとき汚い言葉を使っている人を見て私も同じことをしているのか!と愕然とし、同じになりたくない!(←これがまさに私の美意識なのだろう)

と強烈に思ったためにやめたのだけれど、

完璧に美しいふきんには戻れず、うっすらシミは残っている。

何が言いたいのかというと、


崩すのは簡単で直すのは難しく、

信念を曲げるのは簡単で信念をまた構築するのは至難の業である、ということ


自分に正直に生きる価値はここにある


しかし、至難の業ではあるものの、決して不可能ではないのだ。


気づいたところから始めたら良い。


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