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入れたままになっていたフィルムには小さな私の見ていた世界が写っていた。

みなさんは小さい頃の記憶はどこまであるだろうか。
人によって小学生の頃まで覚えている人や、幼少期のころまでハッキリ覚えている人、お腹の中の記憶もあったなんて人もいるかもしれない。

私はというと、断片的に小学生の頃がやっと思い出せる程度。

思い出は記憶の中にずっとあるものだけど、次第に新しい記憶に埋もれて薄れていくものである。いつまでも明確に1から10まで覚えている人はそう多くないはず。

しかし人の記憶とは面白いもので、その時に身につけていたものや、貰ったもの、写真や映像を見る事で、タイムカプセルのように、その時を鮮明に思い出すことがある。

私と5年ほどの付き合いとなっているフィルムデジカメとの思い出もまさにそうだ。

確か5年以上前のお話。

私が専門学生の時にカメラにハマった頃と同時期に、オールドレンズやフィルム、写ルンですなどが流行りだした。
フィルムの写真の色合いや、オールドレンズの独特のボケ味がお洒落で、私もいつかは使ってみたいと思っていた。
そんな話をいつだったか父と話をしていると、父が学生時代に使っていたフィルムカメラを見せてくれた。
ダメもとで譲ってくれないかとお願いしてみたが、さすがに父の大切な思い出の詰まったカメラだ。そう簡単に譲ってくれるわけもない。

「お父さんがいつか亡くなった時に譲るよ」
と大事そうにカメラを持つ父に言われ、なんだか軽い気持ちでお願いしたことが申し訳なくなった。

そんな時に「これなら良いよ」と渡されたのがそのフィルムデジカメだった。渡されたカメラにはまだ入ったままのフィルム。15年以上前から使ってないから、どんな写真が入っているかわからないと父に言われた。

私は気になって早速カメラのキタムラへ。
その日のうちに現像が仕上がった。

家に帰って写真を見ると、ブレている写真や真っ暗な写真がほとんどだったけど、その中に幼少期に過ごした田舎の家の写真が数枚出てきたのだ。その中にあったとある写真に目が留まる。
それは私が小学生の頃に使っていたピアノのキーボードの写真。しかも見覚えのある小学校のジャージを履いた自分の膝に乗せた写真だ。

あ、、これ私が撮った写真。

そこで記憶が蘇った。

小学生の頃の私もカメラに興味を持って、父にお願いをしてそのフィルムデジカメを借りたのだ。
デジャブすぎてびっくりする。

その他にも祖父母が毎年やっていた干し柿が吊るしてある写真や、なぜか洗濯物を干すピンチハンガーだけの写真もあった。

なにこれ、、と笑いながらめくっていく。

干し柿で一つ思い出した記憶がある。

前にも書いたことがあるのだが、私はおじいちゃん子で、小さい頃からおじいちゃんがやっていた畑仕事を手伝っていた。

この干し柿作りもそうだ。
おじいちゃんが山から柿を取ってきて、おばあちゃんと3人で柿を剥いてビニール紐に2つ吊して干していく作業をよくやっていた。

たくさん柿を剥いていると爪の中が真っ黒になって、どれだけ手を洗っても渋が取れなくて大変だったけど、その作業が楽しくて毎年お手伝いをした。

なによりお父さんたちが私が作ったものだからと美味しそうに食べてくれるのが嬉しかった記憶がある。

思い返せば父は私が作ったお菓子や、母の手伝いをした時の夕ご飯はいつも美味しそうに食べてくれた。味が濃くても薄くても、不味いとは言わず「次はこうしてみたらもっと美味しいよ」と優しく言ってくれた。

懐かしくて暖かい記憶。

フィルムカメラに詰まったたくさんの優しさを思い出した。

それ以降、私の大切なパートナーとして一緒に持ち歩いているのだが、最近は電源が付きずらかったり、設定の表示画面が見えなくなってしまったり、かなり劣化してきている。

それでも私はこのカメラを手放すことはないだろう。
このカメラに詰まった思い出をいつでも思い起こせるように。

私が見てきた景色を思い出せるように。


由佳

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